第3話 英雄を継ぐ者 Ⅲ

文字数 5,069文字

 翌日、フロドアルトが帝都へ到着した。
「帝都へ来るのは昨年の夏以来だな」
 感慨を抱くほどの時間が経っているわけではないが、馬車の窓から眺める景色は大きく変わっていた。
 都市を囲む城壁には風穴があき、多くの建物が破壊され、痛々しい傷跡をさらしている。
「これもすべて魔女の仕業によるものか……」
 当初は魔女に対してそれほど脅威を抱いていなかったが、帝都の惨状を見て考えを改めた。
 腹心のヴィッテキントが答える。
「深夜のこととはいえ、これだけの力を持った魔女の襲撃となれば、精鋭を誇る宮廷騎士団が持ちこたえられなかったのも無理はありません」
「魔女どもの目的は、やはり帝国に対する宣戦布告だったのか?」
「兵士の中に、魔女の目的が魔女の国(ヘクセントゥーム)の樹立にあるという発言を聞いた者がいるとのことです。であれば、皇帝陛下の御命を狙った単発的な襲撃ではなく、継続的な戦闘行為を前提としたものだと判断されます」
「魔女の国か……確か七十年前に現れた呪いの魔女も、同じことを目指していたな。となれば、今後は帝国の力を結集して立ち向かわねばならなくなる。諸侯が、素直に言うことを聞いてくれるかは疑問だが……」
「その心配はありません。諸侯とて、魔女の恐ろしさは身をもって体験しております。七十年前の悲劇を繰り返したいと思う者はおりますまい」
「だといいのだがな。まずはオステラウアーと話をつけねばならない。宰相府は無事だったらしいな?」
「魔女は帝都に侵入した後、複数の経路からシェーニンガー宮殿へ進攻しました。その経路上にあった建物などは被害を受けましたが、宰相府はシェーニンガー宮殿から離れていたこともあり、目立った損害はないとのことです」
「オステラウアーには、よほど悪運が味方していると見える。わたしはどうも、あの男を好きにはなれない。有能であることは認めるが人間味が薄いというか……」
「フロドアルト様には不本意であるかもしれませんが、帝国は現在、再び現れた魔女によって存亡の危機にあります。これに立ち向かえるのは、レムベルト皇太子の血を受け継いだフロドアルト様だけです。どうか宰相閣下とは反目なさらず、味方にお加えするようお考えください」
「分かっている。好き嫌いをいっている場合ではない。おそらく向こうも、こちらを歓迎してはいまいさ」
 フロドアルトは気だるく呟き、馬車は宰相府へ向かった。


 フロドアルトが到着するとオステラウアーは応接室へ案内した。
「ようこそおいで下さいました、フロドアルト公子。このような状況下では十分なもてなしもできませんが、心から歓迎いたします」
「こちらこそ大変な時期に無理を言って申し訳ない。貴重な時間を割いてもらったことに感謝する」
 二人はテーブルを挟んで向かい合い、あいさつを済ませ着席する。
「早速ですが公子、帝都を襲った魔女についてですが――」
 腰かけるなり、オステラウアーが切り出した。が、その前にフロドアルトには確認しておかなければならないことがあると、話を遮った。
「両陛下のご遺体はどうされた? 典範に従えば、両陛下のご葬儀は国葬を以って行われなければならない。今の帝都でこれを行うだけの余裕はあるまい?」
「……これは失礼しました。公子のおっしゃる通り、本来であれば大喪儀(たいそうぎ)を執り行わなければならないところ、略式ではありますが両陛下にはご寛恕(かんじょ)頂き、ドライハウプト僧院教会のモスブレヒ枢機卿を招いて、納骨の儀のみを執り行わせていただきました。いずれ帝都の情勢が落ち着き次第、改めて大喪儀を行いたいと考えております」
「わたしは帝国に仕える臣ではあるが、皇帝皇后両陛下は伯父伯母にもあたる。両陛下の御霊が安んじられなければ、魔女に立ち向かうことはできない」
「……御もっともなお言葉。モスブレヒ枢機卿には、丁重に両陛下のご遺体をお預かりするよう申し伝えておきます」
「それを聞いて安心した。では、改めて帝都を襲った魔女について聞かせてもらおう」
「………………」
 オステラウアーは閉口する。
 やはりフロドアルトは侮れない。皇帝皇后の遺体をどう扱ったかを質すふりをして、自分の立場をアピールしてみせたのだ。
 オステラウアーはフロドアルトのことを自尊心が強いだけの浅薄(せんぱく)な若造だと嫌っていたが、一筋縄でいく相手ではないことを認識した。
「帝都を襲撃した魔女は七名。いずれも若く、極めて好戦的で、冷酷非情な者たちでした」
「若い魔女……ということは、七十年前の戦いの生き残りではないということか? 今回現れた魔女の目的が魔女の国(ヘクセントゥーム)の樹立にあると伺ったのだが、七十年前の魔女との関係はあるのだろうか?」
「それはまだ分かっておりません。あるいは、かつて現れた魔女らの子孫なのかもしれませんが、その目的が如何にあれ、今回の出来事が帝国への侵略行為であることに変わりはありません。いずれにしても放置しておいてよい理由にはなりません」
「それについては勿論、わたしもまったくの同感だ。ルーム帝国は魔女に勝利した英雄の国。その輝かしい歴史と栄光を傷つけられたまま引き下がることはでない」
「ですが魔女の力は人知を超えています。帝都を守護する宮廷騎士は勇敢に立ち向かいましたが、とても敵うものではありませんでした」
「わたしもここへ来るまでに、幾つかの戦いの爪痕を目撃した。魔女の猛威がいかに猖獗(しょうけつ)を極めたか、思い知らされるものだった。散っていった騎士と、犠牲になった市民に哀悼の意を捧げる」
「我々の被った損害は甚大で、誰もが不安と悲しみに暮れております。この国難ともいえる危機を乗り越えるには結束した国家の力、中でもライヒェンバッハ家の力添えは必要不可欠です。公子にはこのまま帝都にとどまり、魔女討伐の指揮を執っていただけないでしょうか?」
「このわたしが……個人的には構わぬが、宮廷騎士団にはまだ多くの兵士が残っている。彼らを押しのけ、わたしが帝都に居座ったのでは騎士はもちろん、諸侯も納得すまい」
「いいえ、公子はかの大英雄レムベルト皇太子の曾孫にございます。公子をおいて、何人にこの大役が務まりましょうか?」
「………………」
 今度はフロドアルトが口ごもった。
 オステラウアーは自分を歓迎していないと考えていた。それがまさか、魔女を討つための軍を率いるよう要請してくるとは思わなかった。
 もちろん、オステラウアーも現在の権力の空白状態で、どの相手と手を組むのが最も自分の利益になるかを判断してのことだが、フロドアルトにとっては渡りに船だった。
「……分かった。そういう事情ならば仕方あるまい。いずれ、何者かが魔女を討たねばならぬのだ。非才の身ではあるが、身命を賭して務めさせていただく」
「心強いお言葉に感謝いたします。では、公子にお渡ししたい物があります」
 オステラウアーは恭しく謝辞を述べると、官吏に命じてある物を運ばせた。
 何かと思ったフロドアルトは、テーブルの上に置かれたそれを見て息を呑んだ。
「これは……」
「レムベルト皇太子が魔女を討つのに用いた、勝利の剣にございます」
「……そんなことは見れば分かる。だが、これは帝国の至宝であり、権力の象徴。皇帝のみが帯びることを許された伝説の剣……なぜ、その剣がここに?」
「この剣は抜き身のまま陛下の寝室に放置されておりました。おそらく陛下はこの剣を用いて魔女と戦われたのでしょう」
「陛下が魔女と……」
「公子には、この剣を用いて陛下の無念を晴らしていただきたいのです」
「だが……」
「おっしゃられずとも、公子のお気持ちは理解しております。この剣を所有することは、帝国を所有することと同義であると。ですが、公子はいずれレギスヴィンダ内親王殿下と成婚し、帝国の共同統治者となられます。十分に、この剣の所有者となる資格を得ていると存じております」
「今すぐ、わたしに陛下の後を継げというのか……」
 フロドアルトは過去に何度もその剣を目にし、憧れていた。まさかそれが、こんなにも早く自分のものになるとは思いもしなかった。
 フロドアルトは吸い寄せられるように剣に手を伸ばした。その重みと付随する逸話の数々に、さすがの英傑も身を震わせずにはいられなかった。
「……宰相閣下の申し出、快く受けよう。このフロドアルト、勝利の剣に誓って必ずや魔女を討ち滅ぼし、両陛下の御霊に報いることを約束する」
「宰相府といたしましても、万全の態勢で公子を支持し、支援する旨をお約束いたします」
 フロドアルトは、まさかオステラウアーがこれほどまでに自分を高く評価しているとは思いもしなかった。好き嫌いは別にしてだが。
 オステラウアーにとっても、たった一本の剣でフロドアルトを懐柔できるなら、これほど安い買い物はなかった。
「ところで内親王殿下の行方について、心当たりはないのか?」
 フロドアルトが訊ねた。
「一部では帝都を落ち延びられたという噂もありますが、確証に足るものは何も。総力をあげてお捜ししてはいるのですが、ようとして手がかりはなく、魔女に連れ去られたという可能性も疑われております」
「魔女が内親王殿下を操り、帝国を乗っ取ろうとしているというのか?」
「あるいはレギスヴィンダ様の御命を盾に、別の物を要求するつもりかも知れません」
「いずれにしても、魔女と取引などありえぬ。かといって内親王殿下の御命を犠牲にすることもできない。難しい選択を迫られるのではないか?」
「おっしゃられる通りではありますが、今はそのような仮定を元に論じる時ではありません。一刻も早い帝都の復興と、魔女たちの素性を調べることに専念すべきです。あれほどの力を持った魔女集団です。姿を隠すにしても、帝都襲撃の準備を行うにしても、目立たぬものではありません。必ず何らかの足跡を残すでしょう」
「確かに、その過程で内親王殿下の行方も判明するかもしれない。あるいは魔女の方から接触を求めてくる可能性もあるだろう。宰相閣下の言われるとおり、焦らずに待つとしよう」
 フロドアルトは、レギスヴィンダの捜索については宰相府に一任することにした。
「わたしは帝都に腰を据え、魔女討伐に全力を傾注することにする。願わくば、どこかそれに適した拠点を借りることはできないだろうか?」
「それでは、アウフデアハイデ城はいかがでしょうか? 永らく無人ではありましたが、手入れは欠かしておりませんので、本日からでもご使用になれます」
「アウフデアハイデというと、レムベルト皇太子が大本営を置いた場所ではないか?」
「はい。魔女討伐の指揮を執るのに、これ以上に適した拠点はありますまい」
 アウフデアハイデ城とは、まだ帝都が今ほどの大都市でなかった時代に荒野を見張るために建てられた要塞だった。
 現在の帝都の礎ともなったその山城はシェーニンガー宮殿ほどの壮麗さはないが、ルーム帝国五百年の歴史を物語る遺産でもあった。
「それは有り難い。是非とも借り受けたい」
「では、すぐにでも宰相府の者に指示し、公子をご案内いたします」
「うむ。宰相閣下のご高配に感謝し、さっそく魔女を討つ準備に取り掛かろう。今後とも不逞な魔女どもを掃滅するため、宰相府とは手を取り合っていきたいものだ」
 フロドアルトは礼を述べると、オステラウアーと固く握手を交わして部屋を出た。
 廊下を進み、部屋から離れて声も届かなくなったところで、満足したように腹心に話しかけた。
「ヴィッテキントよ、見たかオステラウアーの卑屈な態度を。このわたしに、勝利の剣ばかりかアウフデアハイデまで差し出しおったわ」
「宰相閣下にできうる、最大限の誠意を示したのでありましょう。今の帝国には、フロドアルト様以上に帝都を納めるにふさわしいお方はおりません。当然の判断ではありませんか?」
「奴もタヌキよ。これでわたしの歓心を買い、自己の保身に役立てようと図っているのだ。せいぜい利用させてもらうさ」
 フロドアルトは答えると、上機嫌でアウフデアハイデ城へ向かった。
 フロドアルトが退席した後、オステラウアーは椅子に腰かけたまま会談してみての感想を呟いた。
「あの小僧、レムベルト皇太子の末孫として貴公子を気取ってはいるが、所詮は成り上がりのライヒェンバッハよ。レムベルト皇太子の剣を見たとたん、表情を一変させおった。そこが逆に御しやすくもあるのだが。あとは、それに見合うだけの実力があればなお好いのだがな……」
 腹の底では相手を軽蔑しながらも、諸侯を牽制するには十分役立つだろうというのがオステラウアーの評価だった。
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