第45話 彷徨う剣 Ⅱ

文字数 4,530文字

 ゲーパからつぎはぎの魔女の話を聞いたリカルダは、風来の魔女集団に加わっていた仲間たちにもその旨を伝え、広く情報収集に努めた。
 リカルダとともに戦った最年少魔女のエメリーネと横笛の魔女オーディルベルタはハウプスという町へ向かい、新たな生活を始めたかつての同胞を訪ねた。
「つぎはぎの魔女だって? 知らないねえ……」
「何だっていいんだ。少しでも心当たりがあれば教えてほしいんだ!」
「事情は分かるよ。でもね、こういうことされると困るんだよ……」
 人目を避けた路地裏で話を聞く。エメリーネは非常事態だと訴えるが、返ってくる答えは当事者意識や緊急性を欠いたものばかりだった。
 言葉にこそしないものの、あからさまに迷惑そうな顔で追い返されたエメリーネは憤懣を隠そうともしなかった。
「ちっ、何だよ。誰のおかげで今の生活があると思ってるんだ!」
「そういうな。みな怖がっているんだ。もし、また自分が魔女だということが周囲に知られれば、この町からも出ていかなければならなくなる。せっかく取り戻した日常を壊されたくないのさ」
 年長のオーディルベルタには、女たちの気持ちがわからなくもなかった。
「そうだけどさ。このままルオトリープやつぎはぎの魔女を放っておいたら、人も魔女も関係なく、みんな殺されちゃうよ。あいつは自分の実験のために、ライヒェンバッハを利用して魔女狩りをさせたようなやつなんだぞ!」
「分かっている。だから、わたしたちだけでもこうやって協力してるじゃないか。少しでも手がかりを見つけるために」
 二人にも不満や考え方の違いはあった。それでも一致団結しなければ、この難局は乗り越えられなかった。
 エメリーネとオーディルベルタは、気持ちを切り替え次の町へ行こうとする。
 噴水のある広場にさしかかった時だった。千里を見はるかすその瞳に、通りを歩く意外な人物が飛び込んだ。
「オーディルベルタ、あれ……!」
 戸惑いのまま指をさす。横笛の魔女がその方向へ視線を向けると、まぎれもなく二人の知る女がいた。
「おーい、ヴァルトハイデ!」
 名前を呼びながらエメリーネが駆け寄る。呼ばれた女は驚きながら振り返った。
「お前たちは……」
「久しぶりだな。まさか、こんなところで逢うなんて!」
「お前のことはゲーパから聞いた。帝都から逃げ出したそうだな?」
 エメリーネとオーディルベルタが遠慮のない言葉を投げつける。ヴァルトハイデは否定できなかった。ただ、ゲーパからという部分に引っかかった。
「ゲーパに会ったのか?」
「あたしたちじゃなくて、リカルダだけどな。すごく心配してたそうだぞ!」
 ヴァルトハイデには胸をえぐられるような報せだった。ゲーパだけでなく、レギスヴィンダやフリッツィにも心配をかけていることは自覚している。しかし、帝都へ帰ることはできない。心の中で詫びるしかなかった。
「それより、こんなところで何をしている。お前にはもっと他に、なすべきことがあったんじゃないのか?」
 オーディルベルタがいった。
「わたしは――」
 答えかけて、ヴァルトハイデは躊躇った。
「どうした?」
 エメリーネが顔を覗き込む。ひどく思い詰めた様子だった。オーディルベルタが心配する。
「それにしても、ずいぶん痩せたな。以前のような精悍さがまるでない」
「分った! お腹がすいてるんだろ? それで元気がないんだな。せっかくだから、何かおごってやるよ! な、いいだろ、オーディルベルタ?」
「……そうだな」
 横笛の魔女は、そんなことが原因じゃないことは百も承知だった。それでも、話を聞くための口実としては充分だった。
「あっちにさ、いい店があるんだ。こいよ!」
 ヴァルトハイデは、とても他人と食事をするような心境ではなかったが、無邪気さに許された強引さでつかんだエメリーネの手を、振り払うことができなかった。
「遠慮しなくていいんだぜ。お金はさ、フロドアルトからもらってるから。あんまり多くはないんだけどな!」
 店へ連れ込んで、好きなものを好きなだけ注文するよう勧める。
 しばらくして、テーブルに料理が並べられた。豪華ではないが、量だけは十分に満足のいく田舎料理だ。エメリーネは若い食欲に任せて皿に手を伸ばした。
「いただきまーす!」
 見事な食べっぷりだった。見ている方が胸やけをおこしそうになる。
「どうした? 早く食べないとなくなっちゃうぞ?」
 ヴァルトハイデを気に掛けながらも、食事の手を休めようとしない。そんな年若い魔女を見ていると、ヴァルトハイデは妹のことを想い出さずにはいられなかった。
「お前の考えていることはよく分かる。しかし、気にすることはない」
 不意に、オーディルベルタが呟いた。ヴァルトハイデはドキッとする。
「そうだよ。イドゥベルガは異常なんだよ。自分が死んで、仇を討とうなんてさ。正気じゃないよ!」
 料理をほおばったままエメリーネがいった。
 ヴァルトハイデはそのことかと安心する。麦酒を注いだ盃を片手に、オーディルベルタは続けた。
「お前は実力でイドゥベルガに負けたと思っているのだろう? そうではない。あんなものは単なる不意打ちだ。命をかけたからといって、必ず成功するわけではない。ルートヴィナの両親を助けようとしたとき、リカルダも自分を犠牲にしようとした。だが、うまくはいかなかった。わたしはむしろ、それでよかったと思っている。もしもあの時ルートヴィナの両親を助けられたとしても、リカルダが死んでいたら二人は一生その十字架を背負って生きていくことになった。それは自分が死ぬより辛いことだ」
「オーディルベルタのいうとおりだよ。死んで花実が咲くものか。生きてれば嫌なこともあるけど、こうしておいしい物も食べれるんだ。だから、あたしたちはみんな、お前に感謝してるよ!」
 大きな肉の塊にかぶりつきながらエメリーネがいった。
 二人の意見は率直なものだった。無理にヴァルトハイデを慰めようとしているのではない。それが却って、ヴァルトハイデの胸に沁み入った。
「まあ、あれだな。イドゥベルガってやつは、つらい現実から逃げだしたかっただけだろう。自分じゃ死ぬ勇気もないから、誰かに殺してほしかっただけじゃないの?」
 料理を食べ終わり、げっぷを吐きながらエメリーネがいった。それが一番、真実を言い当てていたかもしれない。
「そういえば、ハルツに新しい魔女が現れたといっていたぞ」
 麦酒を喉へ流し込んでからオーディルベルタがいった。
「新しい魔女……?」
「何だっけな。つぎはぎの魔女っていったかな? 冠をかぶった、顔に傷のある女だって」
 楊枝で歯をほじりながらエメリーネがいった。
「あの女がハルツに……」
 ぽつりと呟いたヴァルトハイデの言葉を、オーディルベルタは聞き洩らさなかった。
「あの女……まさか、お前も知っているのか?」
「……ああ、わたしの前にも現われた」
「どこでだよ!?」
 驚きながら、エメリーネが身を乗り出す。
「ミッターゴルディング城だ。そこで、何かを探しているといっていた」
 エメリーネとオーディルベルタは顔を見合わせた。
「待ってくれ、つぎはぎの魔女が捜しているのは、お前じゃなかったのか?」
 オーディルベルタが訊ねた。ヴァルトハイデはゆっくりと首を振った。
「……違う。わたしにも何かを探しているといった」
「話までしたのかよ……」
 エメリーネは、さらに驚いた。
「会話を交わしたというほどではない……女はすぐに、わたしの前から消えた」
「わたしたちが聞いた話もそうだ。つぎはぎの魔女は何かを探しているといって消えたそうだ」
「案外、ヴァルトハイデだって気付かなかっただけかもな?」
 のんきに笑いながらエメリーネがいった。女給を呼んで料理を追加する。
 ヴァルトハイデは、その通りかもしれないと思いながら、深刻な顔でオーディルベルタに答えた。
「何を探しているのかは、わたしにも分からない。ただ、一つだけ忠告しておく。あの女には関わるな。あれは……」
 そこまでいいかけたところで料理が運ばれてきて会話が途切れた。
「あれってなんだよ?」
 女給が去ったところで、再び料理に手を伸ばしながらエメリーネが訊ねた。
「聞くまでもない。ルオトリープに造られた、イドゥベルガと同じたぐいの女だというのだろう?」
 オーディルベルタがいった。正しくはないが、間違ってもいない。ヴァルトハイデは消極的に「そうだ」と答えた。
「そんなのこと、いわれなくても分かってるよ。あたしたちじゃ勝てないっていうんだろ?」
 お手上げといった様子でエメリーネがいう。オーディルベルタも同じ意見だった。
 ヴァルトハイデはさらに念を押して、つぎはぎの魔女に手を出すべきでない理由を語った。
「つぎはぎの魔女がどんなに強力な魔力を持っていたとしても、肉体はその負荷に耐えられない。自らの意思で魔力を抑制するすべを身につけない限り、定期的な修補を必要とする。かつてのわたしや、七人の魔女がそうだったように。つまり、ルオトリープを排除すれば、つぎはぎの魔女もやがて死に至る」
「だが、そのルオトリープが見つからなければどうしようもない。わたしたちやライヒェンバッハが総力をあげて追ってはいるが、いっこうに手がかりがない」
「そんなことはない」
「何か、あて(・・)があるのか?」
「ある」
 エメリーネが訊ねると、ヴァルトハイデは確信的に答えた。
「そんなものがあるのなら、わたしたちにも教えて欲しいものだな」
 半信半疑にオーディルベルタがいうと、ヴァルトハイデは「あて」について話し始めた。


 話を聞き終わると、感心してエメリーネが答えた。
「へー、賢いな! やみくもに歩き回ってたわけじゃないんだな?」
「だが、そんなもので本当にルオトリープを捕えることができるのか……?」
 やはり、オーディルベルタは半信半疑だった。
「どう考えるかは、お前たちの自由だ。だが、フレルクも同様の小さな拠点を持っていた。わたしが最初に連れて行かれたのも、そのような場所だった。だから、同じような場所に潜んでいる可能性は高い」
「なるほど……そういうことならリカルダにも伝えよう。手がかりは多いにこしたことはない」
「じゃあ、競争だな。あたしたちが先にルオトリープを見つけるか、ヴァルトハイデが先か!」
「繰り返しになるが、つぎはぎの魔女には手を出すな。あれは……」
「何だよ?」
「……何でもない」
 ヴァルトハイデは言いかけた言葉を呑み込んだ。
 二人にルオトリープが隠れていそうな場所の手がかりを教えると、ヴァルトハイデは店を出た。
 再び旅立とうとするハルツの魔女をオーディルベルタとエメリーネが見送る。
「ヴァルトハイデ、一人ですべてを抱え込もうとするな。わたしたちは、お前に借りがある。それを返す機会を与えてくれ」
「その気持ちだけで十分だ。これは、わたしの背負った宿命だ。他人を巻き込むつもりはない」
「他人なんて寂しいこというなよ。それに、もう巻き込まれちまってるしな!」
 屈託なくエメリーネが笑った。
 夕陽が空を染めるころ、ヴァルトハイデは町を去った。
 夜の闇に向かって歩くその背中を二人は見送った。心の中で「死ぬんじゃないぞ」と祈りながら。
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