第49話 この腕の中に Ⅰ

文字数 3,218文字

 行方をくらましていたハルツの魔女が帝都へ帰ってきた。
 最初に、その姿に気づいたのは宮廷騎士団のノーター・ガルライプ・フォン・ディナイガーだった。
「いま騎士団本部で話を聞いたんだが、ついにルオトリープの隠れ家が発見されたそうだ」
 警邏中の仲間を呼びとめ情報を伝える。
「本当かそれは?」
「ライヒェンバッハ公フロドアルト様が兵を率いて出陣された」
「よかった。これでようやく戦いに終止符が打たれる」
「皇帝陛下も安堵されていることだろう」
「だが、ひとつ不満があるとすれば、オレたちに出番がなかったということだ」
 仲間と冗談交じりに話しあうその傍らを、ヴァルトハイデが駆けていく。
「いまのは……」
 見覚えのある人影に気づきながらも、ディナイガーは確信が持てなかった。
「ヴァルトハイデ殿!」
 走り去る背中に呼びかけたが、女は答えない。
 おりしも、皇帝の寝室につぎはぎの魔女が現れ、ルオトリープの隠れ家が発見されたばかりの出来事だった。
 ディナイガーは本人かどうかを確かめるべく、仲間たちと女の後を追った。


 帝都へ帰り着いたヴァルトハイデが、まず不可解に感じたのは、そこに日常の光景が広がっていたことだった。
 つぎはぎの魔女の魔力(こえ)を聞いた時から、すでに帝都は蹂躙され、レギスヴィンダやゲーパやフリッツィは捕らえられ、あるいは殺されているかもしれないと焦り、怖れ、諦めかけていた。にもかかわらず人々は平常通りの営みを続け、市中には笑い声や活気があふれている。
「どういうことだ、これは……」
 ヴァルトハイデは広場の真ん中までくると、困惑して立ちつくした。
 魔女の声という幻聴を聞いていたのか、それともすでに敵の術中にはまり幻を見せられているのか、想像と現実の乖離に理解が追いつかなかった。
「……違う。そんなはずはない!」
 ヴァルトハイデは頭を振った。魔女の声は今も聞こえている。
 声の主を捜すべく広場を見渡すと、レムベルト皇太子の石像の足下に、顔に皮膚を縫い合わせた傷跡のある女がいた。
 ヴァルトハイデは、その女こそ自分を呼ぶ声の主だと確信すると、反射的に周囲の者たちに叫んだ。
「この広場にいる者は全員避難しろ! そこに、魔女がいる!!」
 声が響くと、人々は何事かと足を止める。が、その警告に従う者はいなかった。
「姉さん、何いってるんだ。魔女の禍は、もう終わったんだよ」
「その通りさ。皇帝陛下が魔女と和解してくれたおかげで、オレたちは怯えて暮らさなくてよくなったんだ。魔女はみんな、遠くの町へ行っちまったよ」
 通りかかった男たちが笑いながら話しかけた。
 社会はレギスヴィンダが望んだ、平和の時代を謳歌し始めていた。皮肉にも、それがヴァルトハイデを絶望させた。
「お前たちの方こそ何をいっている。ここにいると、巻き添えを食うぞ! 大勢の人間が死ぬことになる!!」
 ヴァルトハイデが訴えるが、話を聞く者はいない。中には頭のおかしい女を見るような目で、ヴァルトハイデを突き飛ばす者さえいた。
 このまま戦いになれば、多くの人間を巻き込むことになる。ヴァルトハイデはどうすべきか迷った。すると、その意を察したように、つぎはぎの魔女は人差し指を立て、ゆっくりと天を差した。
 ヴァルトハイデが見上げると帝都の上空に黒雲が立ち込める。直後、雷鳴がとどろいた。
 青天の霹靂だった。
 広場をそぞろ歩いていた人々の頭上へ、邪魔者を追い払うように大粒の雹が降り注いだ。
 氷の粒を浴びた人々は悲鳴を上げながら逃げ惑い、間もなく広場には向かい合った魔女以外に誰もいなくなる。
 つぎはぎの魔女は、相手が待ち焦がれた女であることを認識すると、穏やかな口調で問いかけた。
「あなたが、ヴァルトハイデだったのね。探していた物は見つかった?」
「わたしのことはどうでもいい。それよりも、レギスヴィンダ様はどうした!」
「彼女には、宮殿で眠ってもらっているわ。あなたのことを待ち疲れているようだったから」
「無事なのだな?」
「心配しなくても、彼女には何もしていないわ。わたしも皇帝も、あなたが帰ってくると信じていたから」
 つぎはぎも魔女の言葉を聞いて、ヴァルトハイデは安心する。帝都の様子を見ても分かる通り、つぎはぎの魔女は人質には手を出さないでいた。
 レギスヴィンダがつぎはぎの魔女を説得してくれていたのだろうと思った。
「お前が探していた物は見つかったのか?」
 ハルツの魔女が反問する。
「それは、あなた次第よ」
「どういうことだ?」
「今のままだと、わたしは長く生きられない。でも、あなたと一つになれば、永遠にも近い時間を生きていられるわ」
「多くの魔女だけでは飽き足らず、わたしの身体まで手に入れようというのか?」
「二人で、より完全な魔女になるのよ。そうすれば、きっとあなたが探しているものも見つかるわ」
「お前はルオトリープに騙されている。わたしと一つになったところで、お前が探しているものなど見つかりはしない。わたしが追い求めているものも然りだ」
「分らないわ」
「アジトへ帰って、あの男を締め上げろ。そんなものは存在しないと本当のことをいうだろう」
「いいえ。わたしは誰にも騙されていない。わたしは覚えているわ。この腕の中に、大切な何かを抱いていたことを……」
 二人の議論は平行線をたどる。
 ヴァルトハイデは、つぎはぎの魔女の『探しているもの』とは、彼女を操るためにルオトリープが作り上げた偽りの記憶であると考えていた。
 しかし、騙されているというだけで、ここまで執着するだろうかという迷いもあった。
「お前は、それを見つけてどうするつもりだ?」
 ともすれば、それが戦いの発端だった可能性もある。探しているものを手に入れたことで満足して眠りにつく可能性もあれば、呪いの魔女として完全に復活する可能性もあった。
「どうもしないわ」
 つぎはぎの魔女は寂しそうに答えた。
「……どうもしないだと?」
「わたしは理解しているの。ここが、わたしの生きていてもいい時代じゃないことを。でも、それが何だったのかを想い出すまでは、もういちど眠りにつくこともできない。だから、あなたの身体を貸してちょうだい。わたしのさがしている物を見つけるために」
 レギスヴィンダがそうであったように、ヴァルトハイデもまた目の前の女を憐れんだ。
 できれば探しものの手伝いをしてやりたかったが、こればかりはどうしようもない。
 話し合いは決裂した。


 二人の魔女が向かい合っているころ、シェーニンガー宮殿の玉座で眠るレギスヴィンダに、若い侍女が話しかけた。
「陛下、皇帝陛下……どうされたのですか?」
 侍女はうろたえていた。激務がたたり、身体を壊されたのではないかと不安に駆られた。
 声に気づいて意識を取り戻すと、自分を覗き込む侍女の顔に向かってレギスヴィンダが訊ねた。
「アディーナ……わたくしはいったい?」
 目を覚ましても、すぐには状況が呑み込めなかった。眠らされていたことにも気付いていない。
「良かった陛下がご無事で……」
 侍女は安堵する。外では黒雲が稲光を放っており、時ならぬ雹や雷鳴は皇帝陛下が御隠れになる前兆ではないかとさえ思われた。
 涙ぐむ侍女の顔を見ても、レギスヴィンダは何があったのか想い出せない。
 その時、玉座の間に冷たい風が吹き込んだ。
 心まで凍てつくような空気を吸って、レギスヴィンダはようやく状況を理解した。
「ここにいた魔女はどうしましたか!」
「魔女……? いいえ、わたくしは、寝室へは行っておりませんが……」
 侍女の返答は要領を得るものではなかった。
 玉座の間を見渡しても、彼女の姿はどこにもない。
「すぐに騎士団本部に連絡を。帝都全域に、緊急事態宣言を発令します!」
「は、はい……!」
 二人の魔女が出会ってしまったのだ。
 レギスヴィンダはじっとなどしていられるはずもなく、侍女に命じると自分の目で確かめるべく、玉座から立ち上がった。
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