第25話 同盟 Ⅲ

文字数 3,170文字

 混濁した意識の中、目を覚ます者がいた。
「兄貴……姫様……ヘンデリクス隊長……ゲーパ!」
 自分の発した声に起こされるように、意識を取り戻したのはオトヘルムだった。
 ハッとなって起き上がろうとするが、鉛のよう身体が重たくいうことをきかない。全身に痛みが走った。
「どこだここは……」
 横になったまま、周囲を見渡す。暗く、ごつごつした岩肌が壁や天井を覆う。自然の景観だ。人工的に造られた部屋ではない。
 これがあの世の景色なのかとも思いかけたが、痛みという生きている証がそれを否定した。応急ながら、身体には手当てが施されている。
「目が覚めたか。大したものだな、ルームの騎士は。常人なら死んでいただろう」
 女の声が聞こえた。オトヘルムは自分を介抱してくれた相手だと思い、無理やり身体を起して礼をいおうとした。
「オレを助けてくれたのか……感謝する。ところで、ここはいったい……」
 いいかけて、途中で言葉を失った。ぼやけた瞳に、見覚えのある銀の胸甲が映った。
「……お前は、ファストラーデ!!」
 名前を呼ばれた女は、不快さと不可解さを表情にした。
「貴様、いったい何者だ。なぜ、わたしの名前を知っている?」
 オトヘルムにとっては見間違えるはずのない相手であるが、ファストラーデにしてみれば数多いるルームの騎士など、いちいち覚えていない。
「忘れるものか、お前とはハルツで会っている……」
「ハルツ……」
 いわれてファストラーデは記憶を巻き戻す。
「レギスヴィンダ殿下とともにいた騎士の一人か?」
「そうだ……!」
 得心し、不快さと不可解さは消えて、滑稽さと親しさが湧きおこる。
「奇遇だな。まさか、あのときの騎士だったとは……」
「それはこっちのセリフだ。なぜ、オレを助けた!」
「ルームの騎士には、まだわたしのために働いてもらわなければならないことがある」
「……お前のためにだと?」
「そうだ。だから、そう構えるな。わたしには、お前を殺す気などない。殺すつもりなら、はじめから助けたりなどしないはずだ」
「………………」
 魔女のいうことを信じるつもりはなかったが、理屈は通っている。いまさら抗ったところで太刀打ちできる相手でもなく、オトヘルムは妙な諦観と納得によって、ひとまず警戒心を和らげることにした。
「こんなところで何をしている? ここはいったい、どこだ?」
 改めてオトヘルムが訊ねた。
「ここは黒き森。その一角に口を開けたほら穴の中だ」
 周囲の岩肌は湿り気を帯び、天井から冷たい雫が落ちる。なぜ、そんなところにとオトヘルムは疑問を抱いた。
「……ミッターゴルディング城ではないのか?」
「あれはリントガルトの物だ。わたしに居場所はない」
 七人の魔女が分裂し、互いに殺しあったということは聞いていた。どこか寂しげに、また自嘲するように語るファストラーデの様子から、でたらめをいっているようには思えなかった。
「リントガルトというのは、ヴァルトハイデ殿の妹だな?」
「ヴァルトハイデ……あのハルツの魔女か。そうだ、どおりで強いはずだ。まさか二人が同じ血を分けた実の姉妹だったとは、わたしなどに気づきえるはずもない」
「それでリントガルトに怯えて、こんなところに隠れていたのか?」
「それもある。だが、ヴァルトハイデを待つためでもある。七十年前のように、ハルツの魔女がルームの大軍を率いてやって来るのをな」
「ヴァルトハイデ殿が、リントガルトを殺してくれるのを期待してか?」
「違う。リントガルトを殺すのは、このわたしだ。仲間たちに誓った、わたしの使命だ」
「仲間に誓った……?」
「そうだ。七人の魔女はもういない。残っているのは、わたしとリントガルトの二人だけ。一対一の戦いだ」
 ファストラーデはリントガルトによって、仲間が殺されたことを話した。そして、今自分が生きているのは仲間の仇を討つため。さらに魔女の呪いに囚われたリントガルトに死という名の救いをもたらすためだと語った。
「この胸甲を見ろ。黒くくすんでいるだろう。わたしたちは魔力を使うたびに少しずつオッティリアの呪いに冒されていく。この銀の胸甲がそれを抑えてくれていたが、それももう限界だ。おそらくは、わたしが全力で戦えるのはあと一回が限度。それまでに、無駄な戦いをしている余裕はないのだ」
「それでオレたちを利用するため、この森にリントガルトが潜んでいることをグローテゲルト伯爵夫人に伝えたのだな?」
「否定はしない。わたし一人で、リントガルトの下に集まった千人ものはぐれ魔女を相手にすることはできない。お前たちが囮となって戦っているうちにミッターゴルディング城へ乗り込み、わたしがリントガルトと決着をつける」
「そんなに都合よくいくと思うのか?」
「利用されるのが不服だというのであれば、今から帝都へ戻ってこのことを伝えればいい。邪魔はせぬ」
「そんなつもりはない……」
 オトヘルムは、横に首を振った。たとえ利用されていることを知ったとしても、ヴァルトハイデは必ずこの森へ来る。自分の手で運命を断ち切る使命を負わされたハルツの魔女を、いまさら思いとどまらせることなど不可能だった。
「お前にリントガルトが討てるのか?」
 オトヘルムが訊ねた。ヴァルトハイデが負うものと同等の覚悟があるのかを、厳しく問い質すように。ファストラーデは、どこかうつろで、不安定な瞳で答えた。
「……リントガルトは強い。元より、わたしたちの中で最強だった。それが今は呪いの連鎖に心を呑まれ、破壊と殺戮の衝動に突き動かされている。リントガルトを、あの娘を止めてやることはこの命をもってしても難しいだろう……」
 意外にも弱音を吐いたファストラーデの表情からは、ルーム帝国を滅ぼそうとした悪なる魔女の首領としての凶暴さや猛々しさは微塵も見られなかった。
 オトヘルムは、むしろそんな女の顔つきだからこそ、彼女の置かれている立場の危うさをくみ取ることができた。
「お前やヴァルトハイデ殿がリントガルトを助けたい、救ってやりたいと考える気持ちは分かった。しかし、奴はオレにとっては兄の仇。お前を含め、七人の魔女は皇帝皇后両陛下を手にかけ、ルーム帝国を滅ぼそうと企んだ宿敵だ。理解はしても、同情するつもりはない」
「ならば今ここで、わたしと戦ってみるか?」
「バカなことをいうな。こんな傷ついた身体で……それでなくても、お前に勝てる見込みなどありはしない。だが、オレたちなら、リントガルトに勝てるかもしれない」
「……オレたち(・・)だと?」
「そうだ!」
 ファストラーデは怪訝な顔をする。アスヴィーネとの戦いで強く頭でも打ったのかと心配する。オトヘルムは正気だった。
 傍らに置かれた剣に手をやった。
「この剣を見ろ。これは七十年前の戦いでレムベルト皇太子の側近として呪いの魔女と戦った我が祖父から受け継いだもの。ヴァルトハイデ殿のランメルスベルクの剣ほどではないにしても、由緒正しき魔女を打つ剣、グリミング家の宝刀だ。これであれば、リントガルトを蝕む呪いの連鎖を断ち切れるかもしれない」
「それを、わたしにくれるというのか。兄の仇を討たせるために……」
「違う、止めを刺すのはこのオレだ。その瞬間まで、お前に貸してやってもいいといっているのだ」
「貴様……このわたしを利用しようというのか?」
「お互い様だ。さあ、どうする?」
 真剣に問いかけるオトヘルムに、思わずファストラーデは失笑する。
「貴様、名前は何という?」
「オトヘルム・フォン・グリミング。ルーム帝国の宮廷騎士だ!」
「よかろう、オトヘルム。七人の魔女がリーダー、胸甲の魔女ファストラーデが貴様に利用されてやる。その剣を借りるぞ!」
 ファストラーデは、グリミングの剣を手に取る。
 それぞれの思いを果たすため、利害打算に基づいた魔女と騎士の同盟が結ばれた。
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