第17話 最強の剣と楯 Ⅳ

文字数 3,580文字

 シェーニンガー宮殿の一室で目を覚ます者がいた。
「オッティ……!」
 無意識に誰かの名を呼び、ハッとなって起き上がる。
 フリッツィだ。
 リッヒモーディスと一緒に墜落して意識を失ったまま、グローテゲルト伯爵夫人に介抱してもらっていた。
 フリッツィは部屋を見渡すと、窓際で身を震わせる庇護者に気づいて呼びかけた。
「フェルディナンダ?」
「目が覚めたか、フリッツィ……」
「どうしたの、そんな所で?」
「感じないのか、この寒気を……」
「寒気……?」
 いわれてフリッツィも感じとった。強大な二つの魔力がせめぎ合い、大気が悲鳴のような振動を起こしている。そのうちの一方が冷たく凍てつき、精神を不安にさせる死の恐怖を漂わせていた。
「ヴァルトハイデが戦ってるのね……でもその相手って、まさか!!」
 フリッツィは慌ててベッドから立ち上がり、窓際へ駆け寄った。
「ううん、違う……そんなことあるわけない…………」
 魔力の主を確かめると、否定するように自分に言い聞かせた。
「戦っているのは、ヴァルトハイデなのだろう?」
 グローテゲルト伯爵夫人が訊ねた。フリッツィは頷いて答える。
「うん。でも、相手が誰なのかは分からない」
「会場に現れた三人のうちの一人ではないのか?」
「……そうだと思うけど、こんな魔力の持ち主はいなかった…………」
「これが魔女の放つ魔力というものなのか……初めてだ、人間であるわたしにも感じられるほどとは。まるで伝説の、呪いの魔女が再臨したようではないか……」
 グローテゲルト伯爵夫人は青ざめた表情のまま立ち尽くした。
「……ねえ、フェルディナンダ?」
「なんだ?」
「あたし何かいってた?」
「いや」
「そう、ならいいわ……」
 フリッツィは、なぜ自分が飛び起きたのか分かるような気がした。


 ヴァルトハイデは切り刻まれ、五体から血を流していた。
「アハハ、結構頑張ったじゃない? でも、もうボロボロだよ。もう少し遊んであげたかったけど、もうすぐ夜が明けるからね。そろそろ止めを刺してあげるよ!」
 リントガルトはさらに殺気と魔力を手斧に込め、ヴァルトハイデに襲いかかった。
 ハルツの魔女は限界に達していたが、それでも精神と肉体の均衡を保ちながら必死に耐えた。
 フレルクに植え付けられた呪いの魔女の肉片は、無限の魔力の源ではない。かつての自分がそうであったように、ヴァルトハイデは間もなく訪れるであろう終極の時を待っていた。
「お前の右目をくりぬいて、ボクの楯に張り付けてやる! その目で、ボクたちが創る魔女の国を見るといいよ!!」
 リントガルトはヴァルトハイデが限界に達したものと判断し、止めを刺しにいった。が、限界に達したのはヴァルトハイデ一人ではなかった。ひとしく、同じ瞬間がリントガルトにも訪れようとしていた。
 リントガルトは左目に激痛が走るのを感じると、視界の左半分がひび割れるのを目撃した。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
 痛みに耐え切れず、悶絶して悲鳴をあげる。急速に魔力がしぼんでいき、左目を侵食していた陰も消えた。
「リントガルト!!」
 スヴァンブルクが叫んだ。
 リントガルトは蹲り、激痛に耐える。
 もはや戦闘を継続できる状態ではなかった。自らを顧みない者に対する力の反動だった。
 この時を待っていたはずのヴァルトハイデだったが、決定的な好機を前にしても勝利の高揚感はなかった。あるのは自らの手で妹の命を奪わなければならない使命感のみで、後に押し寄せるであろう後悔や喪失感を今は麻痺させておくことで精一杯だった。
 無情のまま、苦痛から解放してやるために妹の傍まで歩み寄る。
「……よく頑張った、リントガルト。本当に強くなったな。姉として誇りに思う。叶うなら、もう一度お前と並んで金色の小麦畑を眺めたかった。人の目で。さようなら、最愛の妹よ…………」
 ヴァルトハイデがランメルスベルクの剣を構えた。うずくまる妹の首筋へ白刃を振り下ろそうとした瞬間だった。
「……助けてお姉ちゃん。苦しいよ…………」
 リントガルトの表情から険が消えた。ヴァルトハイデの記憶にある、人間だった頃の顔に戻った。
「リントガルト、お前……!!」
 ヴァルトハイデは振りおろさなければならないはずの、呪いの連鎖を断ち切るための剣を躊躇わせた。眼帯の魔女は、その一瞬を逃さなかった。
「……ホントに甘い奴だね!!」
 はたしてそれが演技だったのか、ほんの僅かでもリントガルトの心が過去へ還ることができたのかは分からない。ただ、力を失ったはずの魔女は最期に嘲笑うと、怯んだハルツの魔女に手斧を向けた。だが、妹の手で姉の血がさらに流されることはなかった。
 リッヒモーディスが頭髪を伸ばし、リントガルトを拘束した。
「何してる、ハルツの魔女! さっさとリントガルトの心臓を突き刺すんだよ!!」
 その行為に、姉妹は同時に驚いた。
「リッヒモーディス、またボクを裏切るのか……!」
 恨みに満ちた目でリントガルトが睨みつける。
「リントガルトが悪いんだよ……」
 悲しげにスヴァンブルクが答えた。
「ボクが悪い……?」
「何度も止めたのに、リントガルトが聞かなかったから……」
「スヴァンブルクのいうとおりだ。わたしたちは、お前がこうならないように見張ってたのさ。わたしたちとは違う、一世代前の移植手術を受けたお前が魔女の呪いに堕ちないように」
「リントガルトがいうこと聞いてれば、こんなことをしなくて済んだのに……」
「ファストラーデからいわれてたのさ。もしお前が呪いの魔女になることがあれば、みんなで殺してやってくれって」
「ファストラーデが……!?」
「ランメルスベルクの剣も、本当はそのために必要だったのさ」
「そんなの嘘だ! ファストラーデがボクを殺すなんて……!!」
「嘘じゃない。けど、誰もこんなことしたくなかった……」
「ファストラーデの優しささ。あいつなりに苦しんで決めたことだ」
 スヴァンブルクは涙をこぼす。リッヒモーディスは切なく瞳を伏せると、ヴァルトハイデに懇請した。
「聞きな、ハルツの魔女。あたしたちは呪いの魔女を復活させるつもりはない。かつてのオッティリアがそうだったように、呪いに堕ちた魔女はこの世を破滅させるまで戦いと殺戮を止めはしない。人も魔女も、すべてが憎しみの対象になっちまうんだ。だから、ここであんたたちに味方してリントガルトを殺させる。リントガルトを魔女の呪いから救ってやるためにもね!」
 聞く者たちの耳目を聳動(しょうどう)させる、衝撃的な内容だった。しかし、その理由はヴァルトハイデと同じで、仲間を思いやる悲しい優しさから生じたものだった。
「何を躊躇っているハルツの魔女! リントガルトの魔力はすぐに復活するよ!! あんただって、自分の妹を呪いの魔女になんかしたくないんだろ!!」
 リッヒモーディスが訴えた。もちろん、その通りである。その通りではあるが、一度躊躇った剣を再び閃かせるのは容易な精神力では為し得なかった。
「……そっか、よく分かったよ。みんなでボクを利用してたんだね? ボクの力に嫉妬して、ボクを怖がってたんだ……みんなでボクを騙してたんだ!!」
 リントガルトは逆上すると、再び左目に黒い陰を浮かび上がらせた。
「早くするんだよ!」
 リッヒモーディスが呼びかけたが、もはやその頭髪は怒りに打ち震える失意の魔女を抑えつけておくことはできなかった。
「こんな物でボクを止められないことぐらい、分かってるだろ!!」
 瞳孔の陰が眼球内だけにとどまらず、顔の左半分へ広がっていく。同時に、抑えきれない魔力が体外へ漏れ出した。
「リッヒモーディスの髪が……!」
 いち早く、その変化に気付いたのはスヴァンブルクだった。金髪の魔女の髪が、リントガルトに絡みついた部分から黒く変色していく。
「今すぐリントガルトを放せ! さもないと呪いの連鎖に取り込まれるぞ!!」
 ヴァルトハイデが警告した。
 黒く噴き出したリントガルトの魔力がオッティリアの髪を伝い、リッヒモーディスへと呪いを感染させようとしていた。
「ちっ、何てこったい!!」
 慌ててリッヒモーディスは頭髪を自切させた。
 事実を知ったリントガルトは、むしろ納得して、落ち着いた様子に変わった。
「……そうだよね。考えてみれば、ボクだけ特別だったんだ。ボクはみんなほど眠らなくてもいいし、銀の拘束具なんて必要なかった。初めからボクは選ばれてたんだ。世界を支配する呪いの魔女になることを!!」
 左目の陰は顔の半分から、さらに首筋へと広がっていた。人相も変わり、すべてが吹っ切れたような躁状態が感情を支配する。
「お前たちは後でゆっくり遊んでやるよ。その前に、決着をつけないとね、お姉ちゃん!」
 リントガルトはリッヒモーディスとスヴァンブルクに言い放つと、再びヴァルトハイデに向き直った。
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