第50話 最後の君命 Ⅱ

文字数 2,290文字

 つぎはぎの魔女との戦いで重傷を負ったヴァルトハイデは安静が必要と診断され、シェーニンガー宮殿にて療養に専念した。
 一時、昏睡状態に陥り生死の境をさ迷うこともあったが、国家をあげての医療支援と、周囲の者たちの祈りの効果によって、容体は回復していった。
 長い治療期間を経て面会が許されるようになると、すぐにゲーパとフリッツィが見舞いにやってきた。
「ヴァルトハイデ起きてる? お見舞いに来てあげたわよ!」
 意気揚々と寝室のドアを開け放ち、フリッツィがいった。
 二人は、さぞやヴァルトハイデが一人寂しく退屈にしているだろうと思い、色々なお土産や四方山話(よもやまばなし)を用意して元気づけてやろうと考えていた。が、部屋を開けると、すでに先客が患者のベッドの横に腰かけ、楽しげに会話していた。
「レギスヴィンダ様!?」
 黒猫の後ろから部屋を覗き込んでゲーパがいった。この時間は宰相のオステラウアーの監視の下、執務室で山積みにされた書類と格闘しているはずだった。
「ずるい! どうして陛下がここにいるの?」
 自分たちが最初の見舞い客になるつもりだったフリッツィは、騙されたとふくれた。
 もちろんレギスヴィンダに騙す意図はなく、執務の合間に息抜きを兼ねてヴァルトハイデを見舞いに来ただけだった。
「フリッツィ、ゲーパ、よく来てくれた。入ってくれ!」
 そんなことなど知る由もなく、ヴァルトハイデは二人を歓迎する。
 レギスヴィンダは、なぜフリッツィに睨まれているのか訳が分からなかった。
「ところでそれ、どうしたの?」
 花を花瓶に移しながらゲーパがいった。
「これか……?」
 ヴァルトハイデは右目を押さえながら答える。銀の眼帯をしていた。
「これは、二度目の帝都襲撃を行った時にリントガルトが残して行ったものだ。わたしのために調整し直し、今しがたレギスヴィンダ様が届けてくれた。変かな?」
「そうじゃなくって。そんなのしてるってことは、右目はもう……」
 つぎはぎの魔女との戦いでヴァルトハイデの右目は限界を超え、視力と魔力を失った。
 それは少女を魔女へと変えた呪いの連鎖が終わったことを意味していた。ヴァルトハイデは力の代償を手放すことで、人間に戻れた。
「戦いは終わった。わたしは後悔していない」
「でも、それじゃ……」
 二度とヴァルトハイデは魔女として剣を振るうことはできない。しかし、別の見方をすれば、ようやく戦いの呪縛から解放され、運命の重荷を下ろすことができた。
 それはゲーパが願ったことでもあったが、同時に寂しさが募った。
「だからといって、なにも変わりはしないさ。わたしは、ハルツのヴァルトハイデ。それ以外の何者でもない」
 すっきりとした表情で答える。
 ゲーパは「うん」と頷く。人であっても魔女であっても、これまで二人が積み重ねてきた時間や友情までもが消えてなくなるわけではなかった。
「ねえ、聞いた? ルオトリープも見つかったんだって」
 唐突にフリッツィがいった。
「レギスヴィンダ様から聞いたところだ。思えば、彼も憐れな男だ。フレルクやルオトリープの行ったことは許されることではないが、以前ほど強く憎む気持ちもない。きっとフレルクは、いや、オッティリアの息子だったフリードリヒは呪いの魔女を復活させたかったのではなく、母親に会いたかっただけなのではないか。わたしには、そんな風に思えて仕方がない。彼らもまた、呪いの連鎖によって照らし出された、誰の心にも潜む弱さだったのだろう。立場が違えば、わたしがああなっていたかもしれない……」
 切々とヴァルトハイデが語った。否定する者はいなかった。それほど人の心は繊細で、ほんの少しのきっかけで傷つき、狂い、壊れてしまうのだと感じた。
 その後も、女たちはとりとめのない会話を続けた。
 何を憂うこともなく、何について協議するわけでもない、地位も立場も関係ない、ただ時間を浪費するだけの無駄話である。
 それでもレギスヴィンダには、そんな行為がとても大切に思えた。ともすれば、彼女たちと出会ってから初めてそんな風に時を過ごせたのかもしれなかった。
 できることならいつまでも気の置けない者たちと無意味な会話を楽しんでいたかったが、皇帝としての務めがそれを許さない。レギスヴィンダは執務に戻らなければならなかった。
「仕方ありません。まだヴァルトハイデに無理をさせるわけにはいきませんし、何よりもオステラウアーがうるさいですから。彼は皇帝であるわたくしよりも、規則や時計の針にこそ、ルームの威厳を見出しているようです」
 小さく嫌味をいってから席を立つ。が、その前に、一つだけヴァルトハイデに訊いておくことがあった。
「あの時、フクロウがいなければ、あなたは本気で彼女にとどめを刺すつもりだったのですか?」
 ランメルスベルクの剣は、フクロウによってほんの僅かに威力をそがれ、つぎはぎの魔女の命脈を断ち切ることができなかった。
 だが、本当にそうだったのだろうか。もしもヴァルトハイデが容赦なく魔女の心臓を貫くつもりだったなら、フクロウ程度の邪魔が入ったところで切っ先が狂うことなどあり得なかった。
 レギスヴィンダはあの瞬間、フクロウではなく白髪の人影が二人の間に割って入ったような錯覚を見た気がした。ヴァルトハイデもそれに躊躇い、止めを刺し損ねたのではないのかと思った。
「さあ、どうだったのでしょう。まだ記憶が混濁し、うまく思い出せません……」
 本当のことはヴァルトハイデにしか分からない。でも、レギスヴィンダは、それでいいと思った。きっとあの瞬間に、ヴァルトハイデは運命を断ち切ったに違いなかった。
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