第11話 猫の手も借りたい? Ⅱ

文字数 3,550文字

 ヴァルトハイデは偽ることなく、グローテゲルト伯爵夫人とフリッツィにすべて話した。自身の置かれた境遇や、望み、望まずして背負わされた使命までも含めて。
「……なるほど。そのためにすべてを(なげう)つ覚悟で戦っていると?」
「今のわたしがあるのは、ハルツとヘルヴィガ様のおかげ。この命を差し出すことに、何の躊躇もありません」
 話を聞き終えたとき、グローテゲルト伯爵夫人はヴァルトハイデの運命に同情し、気高くも一途なその精神に感銘した。自分に出来ることがあれば、何でも協力すると申し出ずにはいられなかった。
「わたしだけではありません。このフリッツィにも役にたてることがあれば、何なりとお命じ下さい。我が伯爵家は改めて、殿下とルーム帝国に忠節を誓います。そうだな、フリッツィ?」
 グローテゲルト伯爵夫人が同意を求めたとき、フリッツィは心ここに在らずといった状態だった。
「どうしたのだ、フリッツィ?」
「……え、何だっけ?」
「我々も殿下の戦いに協力するといっているのだ」
「そ、そうね。もちろんよ! そんな悪い魔女を放っておけるはずないわ! がんばりましょ!!」
 わざとらしく明るめの声を作って答えた。そんな黒猫の口には出さない心の声に気づけた者は一人もいなかった。
 話に一区切りがついたところで、グローテゲルト伯爵夫人は客人らに食事を振る舞った。
 心のこもったもてなしは、ほんのひと時であってもレギスヴィンダに魔女や戦のことを忘れさせてくれる開放や癒しをもたらした。しかし、そんな穏やかな時間は長く続かなかった。
 伯爵家の執事が、火急の報せを伝えにきた。
「……それは本当か? 分かった。引き続き、事実の確認と詳細の把握に努めてくれ」
 執事を下がらせると、伯爵夫人は険しい表情を作ってレギスヴィンダたちに向き合った。その場にいた誰もが、よくない報せがもたらされたのだと直感した。
「フロドアルト公子が諸侯を率い、クラースフォークトに現われた死者の軍勢と戦って敗北したそうです」
 グローテゲルト伯爵夫人が説明すると、誰よりも濃く驚愕の色を浮かべ、自身を責めるように胸を痛めたのは、やはりレギスヴィンダだった。
「フロドアルト公子が……それで、公子はどうなったのですか……?」
「ご心配には及びません。諸侯の中には戦死した者も出たそうですが、フロドアルト公子は命からがら帝都へ戻られたそうです」
「それならばいいのですが……」
 フロドアルトが無事だったことについては、レギスヴィンダも安堵した。しかし、諸侯に犠牲者が出たことは取り返しのつかない不幸であり、自分の至らなさ、配慮のなさが招いた過ちだと痛感した。
「わたくしが公子に対応を一任させてしまったのが原因です。あの時、わたくしたちが帝都へ戻るまで、自重するよういっておけばこんなことには……」
 先日フロドアルトの部下と会った時、レギスヴィンダは公子の顔を立てるために諸侯連合を認め、指揮権を与えてしまった。自分たちが帝都へ帰還するまでは戦いを避け、臣民の保護と復旧のみに専念するよう指示しておけば、こんなことにはならずに済んだのではないかと後悔した。
「それで、いったい何者なのですか、公子が戦った相手というのは?」
 年長の騎士ブルヒャルトが訊ねた。
「死者の軍勢といわれましたが?」
 同じく、年若の騎士オトヘルムが続けた。
「相手は魔女じゃないわよね?」
 腑に落ちないようにゲーパも疑問符を並べた。
「ヴァルトハイデは知っていますか?」
 レギスヴィンダが訊ねた。
「いいえ、そのような者の存在は聞いたことがありません」
 下問する皇女に誰も答えられないでいると、一人だけ平然と食事を続けるフリッツィが、思い当たる節があると告げた。
「それだったら、たぶんエルシェンブロイヒね」
「知っているのか?」
 グローテゲルト伯爵夫人が訊ねる。
「まあね。七十年前、魔女と帝国の戦いのどさくさにまぎれて火事場泥棒みたいなことをした、ろくでなしの魔術師よ」
「どのような人物なのですか?」
 レギスヴィンダが訊ねた。
「人物っていうか、あれはもう人じゃないわ。たしか名前はイースフリート・フォン・エルシェンブロイヒだったっけ? 怨念で生きてる化け物よ」
「死者の軍勢といったが、となると不死の術の使い手だろうか?」
 ヴァルトハイデが訊ねた。
「そうよ。自分自身に術をかけて、ルーム帝国に奪われた領土を取り戻すんだって何百年もこの世にしがみついてる生きてる化石よ。七十年前にも現われたんだけど、たしかレムベルト皇太子に追い払われたはず。フロドアルト公子って人が何者かは知らないけど、早まったことをしたわね。エルシェンブロイヒの術で甦った復活者(ヴィーダーゲンガー)には普通の武器や戦い方は通用しないわ。まあ襲われたんなら、やり返すしかないんだろうけど」
 まるで他人事のように答える黒猫の使い魔に、ヴァルトハイデは感心する。
「詳しいのですね」
「当然よ。あのころは大変だったのよ。毎日が生きるための戦いだったんだから」
「フリッツィも、ずいぶん苦労されたのではありませんか?」
「まあね……って、ちがうわよ! そんなことがあったって、人からきいたの!」
「そうでしたか。まるで経験者のような口ぶりだったので、わたしはてっきり、ご自身の話しかと思いました」
「経験者なわけないじゃない! あたしがそんな年寄りに見える?」
「そういうつもりではありませんが、ずいぶん懐かしそうな顔をするのでつい。ところで、本当は幾つなのですか?」
「や、やーね……女性に歳を訊くもんじゃないわよ。それに猫は一年で人よりもたくさん歳をとるの……たぶん、そういうことよ……」
「そうなのですか……わたしには、よく分かりません」
 ヴァルトハイデが納得するような、しないような顔をすると、一同は苦笑した。
「ちょうどいい。よろしければ殿下の戦いに、フリッツィもお供させてもらえないでしょうか? この通り、エルシェンブロイヒとやらについても詳しいようですし、何よりも任意の姿に化ける術を心得ています。きっと殿下のお役に立てるでしょう」
「わたくしは構いませんが、本人はどうなのですか?」
「仕方ないわね。正義のためだっていうんなら、ひと肌脱いであげてもいいわよ?」
「分かりました。では、その術と博識に期待します。わたくしのためではなく、この国と人々のために力をつくしてください」
「任せといて!」
「コラ! せめて、お任せ下さいとはいえないのか? 殿下、申し訳ありません。このフリッツィ、少々礼儀がなっていない部分もありますが、悪気があるわけではないのでどうかご容赦ください」
「わたくしは気にしません。フリッツィも自然体のままで接してくださいね」
「さすが皇女様、心が広い!」
「調子に乗るな! 本当に申し訳ありません、殿下」
「もう、フェルディナンダは口うるさいわね。そんなだから、幾つになっても行き遅れるのよ」
「なんだと、お前に人のことがいえるのか!?」
 今度はフリッツィとグローテゲルト伯爵のやり取りが始まると、皆がどっと笑った。


 レギスヴィンダたちが新たな仲間と活力を得たころ、暗闇の淵で謀議を交わす者がいた。
「イースフリート様、エルシェンブロイヒの王よ、我ら、ただいま戻りました」
 白骨馬の騎士と首なしの魔女が並んで玉座の前に跪く。
 二人の拝謁を受けるのは、自らに術をかけて不死者となった死霊の王である。長い年月のうちに、その姿はミイラのように枯れ果て生気を失い、それでも権威を象徴するマント、冠、杖を手放さず、容儀を保ったいでたちのまま玉座に腰かけている。
 あるいは、玉座にしがみついていると表現した方が適切だったかもしれない。
「此度のクラースフォークトでの勝利、見事であった」
「ははっ!」
「もったいなきお言葉……」
 王から賛辞を賜り、二人の死者はさらに頭を低くする。
「だが、ライヒェンバッハの小僧を取り逃がしたのは失態だったな」
「……どのような処罰も覚悟しております」
「ラインハルディーネだけの責任ではありません。次こそは帝都へ乗り込み、公子の躯を王の御前に献上いたして見せます。どうか我らの忠誠と今後の実績を以って御寛恕下さい」
「責めはせぬ。余は十分に満足している。だが、貴様らも分かっていよう。我がエルシェンブロイヒの地を侵すルーム帝国を存続させてはならぬ。帝室に連なる一族の血は、一滴さえも残さず根絶やしにせねばならぬのだ」
「御意!」
「魔女は復活した。次は余の番だ。ルームに滅びを。そして、魔女さえも余の前にひざまずかせるのだ。常闇のエルシェンブロイヒこそが、この世の支配者にふさわしいことを知らしめよ!」
 二人の死者には含むところもあったが、術者である冥府の王に逆らうことはできなかった。
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