第44話 つぎはぎの魔女 Ⅰ

文字数 5,132文字

 霧深い早朝のハルツ。
 ゲーパの曾祖母であるヘーダは、日課であるヘルヴィガの墓参りへ行こうとしていた。
 朝陽も登り切っていない薄暗い墓地に、質素な墓石が並ぶ。ハルツの長といっても他の魔女と変わることはない。墓地の片隅に、墓碑銘もないまま埋葬されている。
 老人にとって、自分より若くして逝った者を偲ぶことほど辛いものはない。今も下界で戦っている者たちの無事を祈らずにはいられなかった。
 墓地へ着いたときだった。ヘーダは人の気配を感じて足を止めた。
 銀の冠をかぶった見知らぬ女が、ヘルヴィガの墓前に立っている。ヘーダは、警戒しながら呼びかけた。
「おぬし、何者じゃ! そこで何をしておる?」
 どこから入り込んだのだろうか。周囲の山々には結界が張られており、人間はもちろん、魔女であっても容易に立ち入ることはできない。
 声に気づいた女が振り返ると、ヘーダはその顔を見て息をのんだ。
 女の顔に皮膚を縫い合わせたような、大きな傷跡がある。
 ハルツの住人ではない。ヘーダが知る誰とも似ていない。しかし、女のことを知っているような気がした。
 女は寂しさを湛えた瞳でヘーダを見やると、静かに口を開いた。
「わたしは、ここに呼ばれた気がした。なのに、ここにはわたしの探しているものはない……」
「探し物じゃと……?」
「ここは、わたしの居場所じゃない。もう、ここに用はない……」
 女は口を閉じると、猛烈な魔力を解き放った。
「うっ……!」
 激しい魔力の波動がヘーダを叩きつける。
「わたしを呼ぶのは誰? あなたは、どこにいるの……?」
 渦を巻いた空気が霧を集め、女の身体を覆い隠す。ヘーダは奔出する魔力を浴びて、飛ばされないようその場に踏みとどまるのがやっとだった。
 暴れ狂う魔力が収まった時、女は霧とともに消えていた。
「ヘーダ様!」
 すぐに、異変に気づいた使い魔のブリュネが駆け付ける。
「何がったのですか?」
「分らぬ……じゃが、懐かしいあやつに会ったような気がする……」
 ありえないと否定しながらも、ヘーダは不吉な予感を拭い去ることができなかった。


 ヴァルトハイデが去った帝都ではレギスヴィンダがゲーパとフリッツィを呼んで、協議を行っていた。
「でも、ひどいわよね。あたしはともかく、ゲーパやレギスヴィンダ様にまで、あんなつれない態度で出て行っちゃうなんて」
 いなくなった女を咎めるように、フリッツィがいった。
「たしかにショックだったわ。でも、今回のことは切っ掛けの一つにすぎなかったと思うの。色々なことが、少しずつヴァルトハイデに負担をかけてたのよ。こうなる前に気づいてあげられなかった、あたしたちにも責任があるわ……」
 ゲーパは責めようとしなかった。むしろ同情した。
 ヴァルトハイデのことを無敵の超人のようにとらえて、なんでも解決してくれると頼り切っていた。
 何のために自分がハルツからついてきたのか、本当に必要とされていた役割はなんだったのかを、今頃になって考えさせられた。
「ですが、今さら彼女のことをいっても仕方ありません。わたくしたちは、わたくしたちのできる範囲で問題の解決に取り組まなければなりません」
 意外なほどレギスヴィンダは落ち着いていた。むしろ冷淡といってもいいかもしれない。あるいは、意識して感情を抑えていないと平静を保っていられないのかもしれないとゲーパは思った。
「まずは、姿を消したルオトリープの行方を追うことが急務です」
「それについては、フロドアルト公子が力を入れてるって聞きました」
 ゲーパが答えた。
「リカルダたちもベロルディンゲンに残って手伝ってるらしいわね?」
 フリッツィが訊ねた。レギスヴィンダは頷いて答える。
「ですが、未だ手がかりすらつかめていないとのことです。このまま大人しくしてるはずもなく、おそらく今もどこかに息をひそめ、次なる姦計を巡らしていることでしょう」
「イドゥベルガを利用してランメルスベルクの剣を使えなくすることには成功したんだから、こっちから捜さなくても、向こうから新しい魔女を送り込んでくるんじゃないですか?」
 ゲーパが訊ねた。
「もちろん、ルオトリープの目的はそうなのでしょうが、魔女が現れるのを待っていては後手に回ります。つねに先手を打ち、相手の思い通りにさせないことが肝要だと、わたくしは考えています」
「陛下のいうとおりね。考えようによっては、ヴァルトハイデがいないっていうのも好都合かもしれないわ。もし新しい魔女が攻めてきても、今のヴァルトハイデじゃ戦えないでしょ。向こうも、まさかヴァルトハイデがいないなんて思ってないだろうから、裏をかくって意味ならもう出来てるんじゃない?」
 極めて楽観的にフリッツィがいった。
 さすがにレギスヴィンダもゲーパも、現状を好都合だとは考えていないが、戦えない魔女がここに居ても仕方がないという意見には賛同できた。
 三人が話し合っていると、窓の方から「コツッ、コツッ」と小さな音が聞こえた。
 それぞれが音の方へ視線を向けると、一羽の小鳥が窓ガラスをつついていた。
「ルツィンデ様!」
 最初に気づいたのはゲーパだった。
「げ、またぁ……」
 続いて、フリッツィが顔をひきつらせた。
 ゲーパが窓を開けると、小鳥に変身するのが得意な魔女が入ってくる。
 テーブルにとまると、レギスヴィンダが話しかけた。
「お久しぶりです、ルツィンデ様」
「久しぶりじゃな、姫さま。いや、違った。今は皇帝陛下じゃったな?」
「はい。ところで本日はなんのご用でしょうか?」
「ハルツから伝言を頼まれてな。ヴァルトハイデは居るか?」
「ヴァルトハイデですか……」
 レギスヴィンダが口ごもると、何かあったのかとルツィンデはゲーパとフリッツィの方を見た。
「あたしたちと一緒じゃ戦えないって、出て行っちゃったのよ」
 恨み節のようにフリッツィが答えた。
「なんと、ヴァルトハイデが……いったい、何があったのじゃ?」
「実は……」
 ゲーパが一連の出来事を話した。
「なるほどのう。そんなことがあったのか……」
「今まであたしたちは、ヴァルトハイデに頼り切ってたんだと思います。今回のことで、それがよく分りました……」
「うむ……ともかく、ランメルスベルクの剣に関しては放っておいても再生はするのじゃが、それも持主の精神状態に強く影響されるのでのう。ヴァルトハイデが自信をなくして落ち込んでおる限りは、本来の威力(ちから)を取り戻すのは難しかろう……」
「せっかくあたしたちが慰めてあげようと思ってたのに、その前に出て行っちゃうなんて。内緒で用意したビンテージワインが無駄になっちゃったわ」
「おぬしは、酒を飲む口実が欲しいだけじゃろ?」
 冷たくルツィンデがいった。ゲーパも、そう思った。
「それより、ルツィンデ様には伝言があったのではありませんか?」
 話を本筋に戻すため、レギスヴィンダが訊ねた。
「おお、そうじゃった。ヘーダから、ヴァルトハイデに訊きたいことがあると頼まれてのう」
「ひいお婆ちゃんから?」
 何だろうかとゲーパが訊ねた。
「相変わらずの伝書鳩ね」
 フリッツィは、ろくでもないことだろうなと想像した。
「黙らぬか。重要な話じゃ!」
 ルツィンデが叱りつけると、レギスヴィンダたちは襟を正して聞き入った。
「七人の魔女についてなんじゃがな」
「七人の魔女……」
 その名を聞いて、レギスヴィンダは襲撃のあった夜を想い出した。
 彼女たちは両親の仇であり、多くの命を奪った大罪人である。その行為については許すことができなかったが、一方で同情もしていた。
 彼女たちも人と魔女の反目が生み出した歴史の犠牲者だったと、いまでは考えていた。
「今さら七人の魔女がどうしたっていうのよ。みんなもう、死んじゃったじゃない」
 フリッツィが答えた。
「表だって行動していたのが七人だけならのう」
「どういうことですか? 他にもまだ仲間がいたと……」
「はっきりしたことはいえぬが、あ奴らに似た魔力をもった魔女がハルツに現れたのじゃ」
「ハルツに?」
 信じられない表情でゲーパが訊ねた。
「ヘルヴィガの墓の前に、立ちすくんでおったそうじゃ」
「何かの見間違いじゃないの?」
 フリッツィがいった。
「ヘーダが見たといっておる。間違いなかろう」
「ひいお婆ちゃんが……」
「どのような魔女だったのですか?」
 レギスヴィンダが訊ねた。それが本当なら、また悲しい戦いが始まると思った。
「銀の冠をかぶり、顔に皮膚を縫い合わせたような痕のある若い女じゃ。ヘーダは、つぎはぎの魔女と呼んでおった」
「一人だけ?」
 フリッツィが訊ねた。
「ハルツに現れたのはのう」
「でもおかしいわね。ヴァルトハイデ以外に生き残った魔女がいたなんて聞いたことないし、ファストラーデも七人以外に仲間がいるなんていってなかったわよ」
 ゲーパがいった。レギスヴィンダも続ける。
「確かに、あの時ファストラーデはリントガルトや仲間たちと一緒に黒き森に眠るといいました。ドクター・フレルクに生み出された魔女は、ヴァルトハイデを含めても八人だけのはずです……」
 二人は、他に七人の魔女の生き残りがいるとは思えないと否定する。では、何者なのかと考えあぐねた。
「……それって、もしかしてルオトリープの魔女じゃない?」
 ぽつりとフリッツィがいった。今まさに協議していた内容である。
「確かに、その可能性は否定できませんね……」
 レギスヴィンダが答えると、ゲーパもそうに違いないと同意した。
「何者じゃ、それは?」
 意味の分からないルツィンデが訊ねると、レギスヴィンダが説明した。
「ルオトリープというのは、先ほどお話したランメルスベルクの剣を砕いた魔女に力を与えた人物です。ドクター・フレルクの息子だともいわれています」
「フレルクの息子とな……」
「イドゥベルガの目的は、ランメルスベルクの剣を使えなくすることでした。そうすればヴァルトハイデは戦えなくなり、次に現れる魔女に必ず負けるとルオトリープに吹き込まれていたようです」
「つまり、ヘーダが見たのはヴァルトハイデにとどめを刺すために送り込まれた、刺客の魔女だというのじゃな?」
「そうだと思います」
 話を聞いて事情を理解すると、ルツィンデは納得した。
「それなら辻褄があうのう……つぎはぎの魔女は、何かをさがしているといっておったそうじゃ」
「きっと、ヴァルトハイデのことね!」
 フリッツィがいった。レギスヴィンダとゲーパもそう思う。
「いまのヴァルトハイデじゃ、襲われたらどうしようもないわ……」
 いなくなった女を案じてゲーパがいった。
「このことを、ヴァルトハイデ自身に伝える方法はないでしょうか……」
 レギスヴィンダが呟く。あれ以来、ヴァルトハイデに音沙汰はない。どこにいるのか、生きているのかも定かでなかった。
「難しいわね。とりあえず今は、二人が出会わないことを祈るしかないわね……でもやっぱり、ここにヴァルトハイデがいなくて良かったんじゃない? もし、つぎはぎの魔女がここにきてたら、あたしたちも含めて、全員殺されてたかも知れないわよ」
 深刻になるのを嫌うように、フリッツィはあえて都合のいいように解釈した。
 皮肉な話だった。ヴァルトハイデの行方が知れないということは、レギスヴィンダたちから連絡を取る方法がないのと同時に、つぎはぎの魔女にとっても相手を見つける手段がないということだった。
 楽観的な黒猫の予言は、偶然にも当たっていた。
「ともかく、これがルオトリープによって送り込まれた二人目の魔女だとすれば、この事実をベロルディンゲンのフロドアルト公子にも伝えなければなりません。かの人物については、ここよりもベロルディンゲンの方が詳しいでしょうから」
 レギスヴィンダがいった。
「それだったら、あたしに任せてください。箒でひとっ飛びしてきます。リカルダたちにも話して、力を貸してくれるよう頼んでみます!」
 ゲーパが申し出ると、レギスヴィンダは「頼みました」と答えた。
「では、わしは帰らせてもらおうかのう。ルオトリープとやらのことは、わしからヘーダに伝えておいてやろう」
「お願いします」
「伝言役も大変ね。お年寄りなのに」
「おぬしにはいわれたくないわ!」
 ルツィンデは用事を済ませ、窓辺から飛び去る。が、そのまえに一言レギスヴィンダに頼みごとをした。
「皇帝陛下や、ヴァルトハイデはまだまだ未熟じゃ。じゃが、必ず立ち直って戻ってくるじゃろう。それを信じ、どうかあやつを見捨てないでやって欲しい。わしからのお願いじゃ」
 小鳥の魔女はレギスヴィンダの返答を待たず、青空へ翼を広げた。その姿を見送りながら、レギスヴィンダは思った。
 当たり前だと。
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