第20話 魔女っ娘★レーヴァちゃん Ⅱ

文字数 4,015文字

 三人の魔女による襲撃から数日後、帝都プライゼンでささやかな式典が行われた。
 魔女との戦いに功績があったとして、宮廷騎士団の幾人かに勲章が授与された。その中でも特に活躍が顕著だったとされたのがオトヘルム・フォン・グリミングである。
 彼は魔女に襲撃されたシェーニンガー宮殿へいち早く駆けつけると招待客を避難させ、さらに果敢にも魔女に対して最初の一太刀を浴びせた。その勇気と他者への思いやりは騎士道の精華であり、かの大英雄レムベルト皇太子が示した救世、救国の志に適うものだった。
 確かに事象だけを取り上げれば、それは厳然たる事実であり、オトヘルムの働きによって多くの招待客が助けられ、感謝の声も上がった。しかし、彼に寄せられた称賛や与えられた栄誉の大きさは内実の一面のみにスポットライトを当て、さらに政治的に着色された虚像とも呼べるものだった。そのため、かけ離れた実像との落差にオトヘルム本人は恐縮やいたたまれなさを抱かずにはいられなかった。
 叙勲式が行われた後、宮殿の片隅に置かれたベンチに腰かけるオトヘルムを見つけ、ゲーパが声をかけた。
「どうしたの、そんなところで?」
 肩をすくめ、背中を丸めたオトヘルムを覗き込む。
「なんだ、ゲーパか……」
 顔を上げ、ため息をついた。
 礼装姿のオトヘルムは腰に伝家の宝刀を差し、胸には授与されたばかりの勲章を帯びる。一世一代の晴れ舞台を終えたばかりの燦然たる装いながら、その表情は冴えなかった。
「なんだじゃないでしょ? 今日の主役がなに暗くなってるのよ。せっかくお姫様から表彰してもらったのに、もっと嬉しそうな顔しなさいよ!」
「……わるいが、とてもそんな気持ちにはなれない。なにが勲章だ、なにが表彰だ……こんな物は魔女を取り逃がした失態から目をそらさせるための虚構だ。現実のオレはとんでもない過ちを犯した大バカ者だ……オレがヴァルトハイデ殿の妹を化け物に変えてしまった! ああ、自分の軽率さが恨めしい!!」
 オトヘルムは頭を抱える。ゲーパは苦悩の理由を知ると、過ぎたことは仕方がないと慰めた。
「確かにそうかもね。でも、あの時オトヘルムが行動しなかったら、たぶんヴァルトハイデは負けてたわ。戦うこともできずにね。結果的には、あれでよかったのよ」
 それもまた事実である。
 帝都を襲った悪しき魔女の一人がヴァルトハイデの妹だと知ったとき、ショックのあまり動ける者はいなかった。その状況が続いたなら、ゲーパのいったとおりヴァルトハイデは戦う意気地を失ったまま妹に殺され、ルーム帝国も滅びていただろう。
 あの瞬間に膠着した空気を打ち払う機転を持った者は、オトヘルム以外にいなかった。たとえそれが空気の読めないおっちょこちょいだったとしても、あるいは激しく痛みを伴う荒療治であったとしても、誰かがこの役を担わなければならなかった。
「……ヴァルトハイデ殿はオレを恨んでいないのか?」
「ぜんぜん。今頃、ベッドから起き出して、次に会ったら最初から本気でやり合う気満々で身体でも鍛えてるわよ。あの娘、全部自分の責任だって背負いこむタイプだから」
 ゲーパは少しの皮肉と、もっと周りの者を頼って欲しいと願いをこめて答えた。
 オトヘルムにとって、その言葉は感謝に堪えない慰めとなった。しかし、別の見方をすれば、自分はヴァルトハイデの恨みの対象にすらなれないちっぽけな存在なのだと気づかされた。
「だったら、オレも負けてられないな……」
 オトヘルムは落ち込んでいる場合ではなく、せめてヴァルトハイデの視界に留まるぐらいの存在にならなければと、さらなる奮起を決意して苦悩するのをやめることにした。


 リントガルトとの戦いの後、意識を失うように倒れたヴァルトハイデは一週間以上も眠り続け、叙勲式の行われる日にようやく目を覚ました。
 式典が行われている間、ヴァルトハイデはなまった身体をほぐすため宮殿を抜け出すと、帝都郊外に広がる森の中で剣を振った。
「ハッ! ハッ!」と、木立の中に息を弾ませるヴァルトハイデの声が聞こえる。
 どれだけの時間、剣を振り続けているだろうか。額には汗が浮かび、身体が熱を持って頬が上気する。
 回復具合を計るため、あるいはリハビリの一環として行うには、ややオーバーワークと思われた。近くの岩に腰かけたフリッツィが、心配の声をかけた。
「ねえ、そんなに動いて大丈夫なの?」
「心配ない。フリッツィが看病してくれたおかげだ」
「あんまり無理すると、また倒れちゃうわよ?」
「大丈夫だ。すでに傷は回復している。むしろ、これでも抑えているぐらいだ」
「………………」
 戦闘によって血と魔力と体力を失い、また眠っている間は一切の食事をとっていなかったため、ヴァルトハイデは目に見えてやつれていた。傷も完治しているわけではなく、身体のあちこちに痛みや後遺症が残っている。それでも何かに没頭していなければ、肉体への負担はともかく、精神への自傷を避けることができなかった。
「……じっとしてられないのは分かるけどさ、今はゆっくり休んだ方がいいんじゃないの?」
 戦いの後、リントガルトの行方や他の魔女の動静は掴めていない。
 フリッツィの心配はありがたかったが、それができないからこうしているのだ。黒猫の使い魔の目にも、ヴァルトハイデが無理をしているのは明らかだった。


 叙勲式を終えた後、アウフデアハイデ城に戻ったフロドアルトの下へ報せが届いた。
「ゴードレーヴァがやってくるだと……」
 近侍が用意したコーヒーを持つ手を止め、腹心のヴィッテキントに訊ねる。頭を下げて近侍が執務室を出ると、その理由をヴィッテキントが述べた。
「旦那様はゼンゲリングの戦いに続いて、再び帝都を襲撃した魔女を撃退されたことを高く評価されており、この功績に対してフロドアルト様を(よみ)し、兵士を慰問なさりたいとご希望されたとのことです」
「……なるほど。それで動けぬ父に代わって、ゴードレーヴァが来るというのだな?」
「左様でございます」
「しかし、魔女との戦いは未だ決着したわけではない。時期尚早ではないか?」
「そうは申されましても諸侯連合は解散し、戦いにも一区切りがついております。何よりも、旦那様のご好意を受けぬわけにもいきますまい」
「………………」
 フロドアルトは手を止めたまま、カップの中のコーヒーを見詰めた。
 父の好意というのは有り難いものだが、どうしても納得できないこともある。
 たゆたう香気の中に妹と過ごした幼少期の記憶がよみがえった。
 ゴードレーヴァが六歳になったときのことである。幼い公女は自分で縫った黒マントを着用し、箒に跨ると兄の目の前で窓から飛び降りた。
 そのときは咄嗟にフロドアルトが受け止めたため事なきを得たが、兄の受難はそれだけではなかった。
 八歳のときには魔女の火祭りの風習を知ると、フロドアルトの部屋でボヤを出し、十一歳のときには疲労回復の妙薬だといって毒キノコやトカゲのしっぽを煮込んだスープを食べさせられそうになった。
 その他にもゴードレーヴァによって引き起こされた小事は枚挙にいとまがない。あろうことか、公女は魔女に勝利した英雄の血を受け継いでいながら、魔女に強い関心や憧れを抱いていたのである。
「そういえば巣から落ちたカラスの雛を拾い、使い魔にするといって隠れて育てていたこともあったな……」
「あのときは雛を取り戻そうとする親ガラスによって、お屋敷の者が襲われ、つつきまわされたものです」
 ほのぼのとした様子で回想するヴィッテキントと対照的に、その時いちばん多くつつかれ、フンまでかけられたのは自分だと、フロドアルトは苦々しげに顔をしかめた。
「……あのお転婆め、大人しくエスペンラウプで留守番をしていればいいものを……帝都へ来るための口実欲しさに名代を買って出たのだろうが……まったく成長しておらぬようだな!」
 七人の魔女によって伯父と伯母にあたる皇帝皇后が殺害されたと知ったときは、さすがにゴードレーヴァもショックを受けた。しかし、七十年の時を経て、再び現れた魔女に興奮や感動を覚えたのも事実だった。
 討伐軍を率いてフロドアルトが出征すると決めたときも、ゴードレーヴァは自分も行くといってきかなかった。
 魔女に憧れる少女にとっては、ひと目でいいから本物の姿を瞳に焼き付けたいと願ったのだろうが、命がけで戦う兄にとっては、これほど不純で稚拙な動機はなかった。
 とはいえ、ゴードレーヴァは三つ年上のレギスヴィンダを実の姉のように慕っており、これまでにも幾度となく帝都を訪れていた。
 国難にあって魔女と戦う皇女を助けるため、居てもたってもいられず帝都へ馳せ参じたいと希望したのも本心からだった。
「それで、ゴードレーヴァはいつくるのだ?」
「明日には到着される予定です」
「そんなに早くか!?」
「すでにエスペンラウプを発っているとのことです」
「わたしが断りにくいように、報せをよこすタイミングをわざと遅らせたな……」
 兄は妹の性格を見抜いていたが、そこは妹の方が兄より一枚上手だった。
「仕方あるまい……だが、例の者たちとは間違っても顔をあわせぬようにせねばならぬ」
「例の者たちといわれますと?」
「ハルツの連中だ。ゴードレーヴァに本物の魔女を会わせてみろ、何が起こるか想像も出来ぬ」
「それは難しいかと思われます。ゴードレーヴァ様の帝都訪問の目的には、レギスヴィンダ様への表敬も含まれていますので」
「ならば、奴らに正体を隠しておくよう釘をさしておけ。くれぐれも、ゴードレーヴァの前で魔女だと気取られるような振舞いをするなと!」
「畏まりました。ゴードレーヴァ様上洛の予定とともに、その旨を宮内府へ通達いたします」
 ヴィッテキントが辞去すると、フロドアルトはまた厄介な事態が生じたものだと頭を抱えた。
 一口もつけないまま、カップのコーヒーが冷めていた。
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