第31話 ただいま Ⅲ
文字数 2,951文字
森の奥に魔女たちの墓がある。そこに歴代のハルツの指導者も眠っている。
墓地には、古びた墓石がいくつも並ぶ。いずれも簡素で、名前さえ記されていないものも少なくない。
ハルツでも魔女の数は減り続けている。なのに墓の数は増えるばかり。それが一層、さみしさを醸し出した。
ヴァルトハイデたちはヘルヴィガの墓の前に佇んだ。
「ヘルヴィガ様、本当にもういないのね……」
力なく、フリッツィが呟いた。ヘルヴィガの墓も、他の魔女のものと変わらない。教えられなければ、誰もそれが魔女の長の墓だと気づかないだろう。
「黒き森で、フリッツィも会ったでしょ? ファストラーデにやられたのよ。とても強かったわ……」
ゲーパが答えた。
近くには、ファストラーデに殉じた二人の魔女の墓もある。誰かが摘んできた、小さな花が供えられている。
「わたしはヘルヴィガ様に救われ、このハルツで多くのことを学んだ。ヘルヴィガ様へ恩返しができるのなら、喜んで魔女を討つ魔女になろうと考えた。だが、使命を果たして残ったものといえば虚しさだけ。ファストラーデたちのしたことを許すつもりはないが、恨み続けることもできない。きっと、オッティリアと戦った後のヘルヴィガ様も、今のわたしたちと同じような思いを抱えながら生きてこられたのではないか。そう思えてしかたがないのだ……」
ヴァルトハイデがいった。
「ホントは、戦う必要なんてなかったのにね……」
同じ思いをゲーパも共有した。
今次の騒乱はフレルクによって引き起こされたものだったが、七人の魔女も彼女たちに従ったはぐれ魔女も、その目的は自分自身を守ろうとする生存権をかけてのものだった。
多くの魔女はハルツにも帝国にも居場所がなく、自分たちが自由に生きられる国を手に入れたいとはるか以前から望んでいた。いわばそんな女たちの悲願に、フレルクは付け込んだのである。
しかし、それは本当にフレルクだけに罪があったのだろうか。もしもハルツやルーム帝国が他の魔女たちと初めから共存できていたなら、今回のような結末、それ以前にさかのぼる七十年前の戦いさえ回避できたのではないか。
少なくとも、ミッターゴルディング城で戦ったあの瞬間、個人的な恨みや憎しみを越えて、みなが互いの存在を認め合えた。人も魔女も、ハルツも帝国も関係ない。もっと早くそのことに気づいていれば、誰も傷つかずに済んだのではないかと、ヴァルトハイデたちは思わずにいられなかった。
「フリッツィも、ヴァルトハイデとおんなじように、ヘルヴィガ様に助けてもらったんでしょ?」
ゲーパが訊ねた。
「……違うわ」
黒猫の使い魔は、ポツリと答える。ゲーパとヴァルトハイデは戸惑った。
「え……でも、ルツィンデ様は、ブリュネと一緒に森で拾ってもらったっていってたじゃない?」
「そうよ。でも拾ってくれたのはヘルヴィガ様じゃないわ。オッティリアよ」
フリッツィの口からこぼれた呪いの魔女の名前は、ヴァルトハイデとゲーパに小さなショックを与えた。
「ヘルヴィガ様とオッティリアは、大の親友だった。姉妹といってもいいぐらい、いつも一緒にいたわ。いまのあなたたちみたいにね。そして、同じ相手に恋をしたの。それが、間違いの始まりだったのよ……」
遠くを見つめるような目で語るフリッツィの言葉は、ヴァルトハイデとゲーパにとって初めてヘルヴィガとオッティリアをハルツの長でも呪いの魔女でもない、一人の女性として意識させるものだった。
「じゃあ、ヘルヴィガ様もレムベルト皇太子のことを……?」
ゲーパが訊ねた。
「二人だけじゃないわ。レムベルト皇太子は誰からも愛されたわ。色白で線が細くて、頼りない見た目だったけど、強い意志の持ち主だった。あたしや、ブリュネにも優しくしてくれたもの。彼が皇帝になれば、人と魔女の関係も変わると思ったわ」
「そっか。その血が、レギスヴィンダ様にも受け継がれてるのね」
「……そうかもね」
「戦いが起きた時は、フリッツィはどこにいたの?」
「直前までオッティリアの傍にいたわ。でも、帝国軍が攻めてくる前に逃がしてもらったの。ハルツ へ、帰るようにって」
「そっか……きっとオッティリアは自分が負けることが分かっていたから、フリッツィを巻き込まないようにしてくれたのね」
フリッツィが過去の話をするのは珍しかった。懐かしいハルツの空気を吸って、想い出がよみがえったのだろうとゲーパは思った。
「わたしはオッティリアがどういう人物だったかは知らない。しかし、オッティリアから受け継いだこの右目に映る世界は争いだけでなく、優しさにもあふれている。きっとオッティリアも、同じようにこの世界を見ていたのだろう」
ヴァルトハイデがいった。
今もフリッツィはオッティリアを自分の主人だと考えているようだった。
レムベルト皇太子に裏切られた怒りや悲しみだけで呪いの魔女になるような人間なら、森に捨てられていた仔猫を拾ったりはしないはずだ。
元はオッティリアも、平凡な少女だった。ヴァルトハイデは、そう感じずにはいられなかった。
ヘルヴィガに帰山の報告を終えたヴァルトハイデたちは、ヘーダに言われたとおりゲーパの家へ向かう。その途中、ブリュネが三人を待っていた。
「ヴァルトハイデ」
「ブリュネ様、どうかしましたか?」
「ヘーダ様がお呼びです。庵へ来るようにと」
「……ヘーダ様が?」
何の用ですかと訊ねるが、ブリュネは呼んでくるよう言われただけで要件までは把握していないと答える。
そういえば庵を出る時にも何か言いかけてやめた様子だった。理由が何であれ、呼ばれたのなら行かなければならない。
「分かりました。すぐに参ります」
ヴァルトハイデが答える。
「あたしたちも行こうか?」
ゲーパが訊ねた。ブリュネが断る。
「いいえ、ヘーダ様はヴァルトハイデだけを呼んでくるようにと言われました」
「……そう。じゃあ、あたしたち先に行ってるね」
なにか重要な話があるのだろうとゲーパは察した。
ヴァルトハイデを残し、フリッツィと二人で家へ帰ろうとしたときだった。さらにブリュネが呼びとめた。
「フリッツィ、ちょっといいか?」
「なによ? これから、ゲーパの家でご馳走になるのに」
ブリュネは深刻な表情で姉妹猫を見やる。ゲーパはまたしても、自分は邪魔者だろうと察した。
「いいわよ、別に。フリッツィの分も残しておいてあげるから、久しぶりに二人だけで話でもしてきなさいよ」
「すまない、ゲーパ」
「しかたないわね。そんなに、あたしがいなくて寂しかったのなら、今夜は好きなだけ甘えさせてあげるわ。だって、あたしの方がお姉ちゃんなんだから」
「バカなことをいうな。先に生まれたのはわたしの方だ」
「生まれた時のことなんか覚えてないくせに」
「だが、先に目が開いたのはわたしだ」
「先にしゃべれるようになったのはあたしよ!」
「わたしは、人の言葉は理解していた。フリッツィのようにお喋りじゃないだけだ」
「はい、はい。どっちがお姉ちゃんでもいいから喧嘩しないの。二人だけで話したいことがあるんでしょ?」
ゲーパになだめられ、二人は仲直りして森の中へ消える。
なんだか自分だけ除け者にされたような不満もあったが、ゲーパは一人で懐かしい我が家へ帰ることにした。
墓地には、古びた墓石がいくつも並ぶ。いずれも簡素で、名前さえ記されていないものも少なくない。
ハルツでも魔女の数は減り続けている。なのに墓の数は増えるばかり。それが一層、さみしさを醸し出した。
ヴァルトハイデたちはヘルヴィガの墓の前に佇んだ。
「ヘルヴィガ様、本当にもういないのね……」
力なく、フリッツィが呟いた。ヘルヴィガの墓も、他の魔女のものと変わらない。教えられなければ、誰もそれが魔女の長の墓だと気づかないだろう。
「黒き森で、フリッツィも会ったでしょ? ファストラーデにやられたのよ。とても強かったわ……」
ゲーパが答えた。
近くには、ファストラーデに殉じた二人の魔女の墓もある。誰かが摘んできた、小さな花が供えられている。
「わたしはヘルヴィガ様に救われ、このハルツで多くのことを学んだ。ヘルヴィガ様へ恩返しができるのなら、喜んで魔女を討つ魔女になろうと考えた。だが、使命を果たして残ったものといえば虚しさだけ。ファストラーデたちのしたことを許すつもりはないが、恨み続けることもできない。きっと、オッティリアと戦った後のヘルヴィガ様も、今のわたしたちと同じような思いを抱えながら生きてこられたのではないか。そう思えてしかたがないのだ……」
ヴァルトハイデがいった。
「ホントは、戦う必要なんてなかったのにね……」
同じ思いをゲーパも共有した。
今次の騒乱はフレルクによって引き起こされたものだったが、七人の魔女も彼女たちに従ったはぐれ魔女も、その目的は自分自身を守ろうとする生存権をかけてのものだった。
多くの魔女はハルツにも帝国にも居場所がなく、自分たちが自由に生きられる国を手に入れたいとはるか以前から望んでいた。いわばそんな女たちの悲願に、フレルクは付け込んだのである。
しかし、それは本当にフレルクだけに罪があったのだろうか。もしもハルツやルーム帝国が他の魔女たちと初めから共存できていたなら、今回のような結末、それ以前にさかのぼる七十年前の戦いさえ回避できたのではないか。
少なくとも、ミッターゴルディング城で戦ったあの瞬間、個人的な恨みや憎しみを越えて、みなが互いの存在を認め合えた。人も魔女も、ハルツも帝国も関係ない。もっと早くそのことに気づいていれば、誰も傷つかずに済んだのではないかと、ヴァルトハイデたちは思わずにいられなかった。
「フリッツィも、ヴァルトハイデとおんなじように、ヘルヴィガ様に助けてもらったんでしょ?」
ゲーパが訊ねた。
「……違うわ」
黒猫の使い魔は、ポツリと答える。ゲーパとヴァルトハイデは戸惑った。
「え……でも、ルツィンデ様は、ブリュネと一緒に森で拾ってもらったっていってたじゃない?」
「そうよ。でも拾ってくれたのはヘルヴィガ様じゃないわ。オッティリアよ」
フリッツィの口からこぼれた呪いの魔女の名前は、ヴァルトハイデとゲーパに小さなショックを与えた。
「ヘルヴィガ様とオッティリアは、大の親友だった。姉妹といってもいいぐらい、いつも一緒にいたわ。いまのあなたたちみたいにね。そして、同じ相手に恋をしたの。それが、間違いの始まりだったのよ……」
遠くを見つめるような目で語るフリッツィの言葉は、ヴァルトハイデとゲーパにとって初めてヘルヴィガとオッティリアをハルツの長でも呪いの魔女でもない、一人の女性として意識させるものだった。
「じゃあ、ヘルヴィガ様もレムベルト皇太子のことを……?」
ゲーパが訊ねた。
「二人だけじゃないわ。レムベルト皇太子は誰からも愛されたわ。色白で線が細くて、頼りない見た目だったけど、強い意志の持ち主だった。あたしや、ブリュネにも優しくしてくれたもの。彼が皇帝になれば、人と魔女の関係も変わると思ったわ」
「そっか。その血が、レギスヴィンダ様にも受け継がれてるのね」
「……そうかもね」
「戦いが起きた時は、フリッツィはどこにいたの?」
「直前までオッティリアの傍にいたわ。でも、帝国軍が攻めてくる前に逃がしてもらったの。
「そっか……きっとオッティリアは自分が負けることが分かっていたから、フリッツィを巻き込まないようにしてくれたのね」
フリッツィが過去の話をするのは珍しかった。懐かしいハルツの空気を吸って、想い出がよみがえったのだろうとゲーパは思った。
「わたしはオッティリアがどういう人物だったかは知らない。しかし、オッティリアから受け継いだこの右目に映る世界は争いだけでなく、優しさにもあふれている。きっとオッティリアも、同じようにこの世界を見ていたのだろう」
ヴァルトハイデがいった。
今もフリッツィはオッティリアを自分の主人だと考えているようだった。
レムベルト皇太子に裏切られた怒りや悲しみだけで呪いの魔女になるような人間なら、森に捨てられていた仔猫を拾ったりはしないはずだ。
元はオッティリアも、平凡な少女だった。ヴァルトハイデは、そう感じずにはいられなかった。
ヘルヴィガに帰山の報告を終えたヴァルトハイデたちは、ヘーダに言われたとおりゲーパの家へ向かう。その途中、ブリュネが三人を待っていた。
「ヴァルトハイデ」
「ブリュネ様、どうかしましたか?」
「ヘーダ様がお呼びです。庵へ来るようにと」
「……ヘーダ様が?」
何の用ですかと訊ねるが、ブリュネは呼んでくるよう言われただけで要件までは把握していないと答える。
そういえば庵を出る時にも何か言いかけてやめた様子だった。理由が何であれ、呼ばれたのなら行かなければならない。
「分かりました。すぐに参ります」
ヴァルトハイデが答える。
「あたしたちも行こうか?」
ゲーパが訊ねた。ブリュネが断る。
「いいえ、ヘーダ様はヴァルトハイデだけを呼んでくるようにと言われました」
「……そう。じゃあ、あたしたち先に行ってるね」
なにか重要な話があるのだろうとゲーパは察した。
ヴァルトハイデを残し、フリッツィと二人で家へ帰ろうとしたときだった。さらにブリュネが呼びとめた。
「フリッツィ、ちょっといいか?」
「なによ? これから、ゲーパの家でご馳走になるのに」
ブリュネは深刻な表情で姉妹猫を見やる。ゲーパはまたしても、自分は邪魔者だろうと察した。
「いいわよ、別に。フリッツィの分も残しておいてあげるから、久しぶりに二人だけで話でもしてきなさいよ」
「すまない、ゲーパ」
「しかたないわね。そんなに、あたしがいなくて寂しかったのなら、今夜は好きなだけ甘えさせてあげるわ。だって、あたしの方がお姉ちゃんなんだから」
「バカなことをいうな。先に生まれたのはわたしの方だ」
「生まれた時のことなんか覚えてないくせに」
「だが、先に目が開いたのはわたしだ」
「先にしゃべれるようになったのはあたしよ!」
「わたしは、人の言葉は理解していた。フリッツィのようにお喋りじゃないだけだ」
「はい、はい。どっちがお姉ちゃんでもいいから喧嘩しないの。二人だけで話したいことがあるんでしょ?」
ゲーパになだめられ、二人は仲直りして森の中へ消える。
なんだか自分だけ除け者にされたような不満もあったが、ゲーパは一人で懐かしい我が家へ帰ることにした。