第19話 鍵を掛ける Ⅳ

文字数 3,739文字

 ラウンヒルトが魔女の呪いに感染した。
 そのむごたらしい仕打ちに誰もが怒り、冷静さを失おうとしていたころ、声もあげずに魔力を高める者がいた。
 リントガルトの足下に巨大な口が開き、床石でできた歯列が両膝を呑み込んだ。
「シュティルフリーダ!」
 ヴィルルーンが呼びかけた。沈黙の魔女は死んではいなかった。息をひそめたまま、術を放つタイミングを見計らっていた。
「しつこい奴だな! そのままじっとしてればいいのに!!」
 リントガルトがシュティルフリーダを睨んだ。沈黙の魔女は蹲ったまま、銀のマスクを外している。
 シュティルフリーダは大きく口を開くと、くるみでも噛み砕くように口を閉じた。
 リントガルトの両ひざに、床石の前歯が喰い込む。そのままリントガルトを呑み込んで、床の中に閉じ込めようとした。
「お前までボクの知らない術を使いやがって! そんなにボクを食べたきゃ、代わりにこいつを食らわしてやるよ!!」
 リントガルトは前歯をへし折るように、魔力を込めた拳を床へ叩きつけた。
 それはまだ、シュティルフリーダが人間だったころの話である。
 子供の頃の彼女は、快活でお喋り好きなどこにでもいる平凡な少女だった。しかし、ある夜、自宅を盗賊に襲われ家族を失った。
 両親は一人娘のシュティルフリーダだけでも助けようと、彼女を納屋の奥に隠すとじっとして声をたてないようにと言い聞かせた。
 シュティルフリーダは恐ろしさに声も出せず、言われたとおり黙ったまま目の前で家族が殺されるのを見ているしかなかった。以来、彼女は口を閉ざし、感情を表すことが無くなった。
 事件の後、シュティルフリーダを引き取った叔母は何を言っても返事をしない娘を愚鈍と決めつけ、忌み嫌って奴隷のように扱った。だが、その内側には言葉を失う前と変わらない豊かな感情と知性が秘められていた。
 リントガルトの放った攻撃が魔力を伝い、シュティルフリーダの肉体へ直接的なダメージを与える。
 沈黙の魔女は血を吐き出し、送り込まれた歪んだ魔力によって、ラウンヒルトと同じように純粋な精神が魔女の呪いに汚されていく。
「みんな、お前のことをバカにしてるのさ。声も出せない、図体だけがデカくて何の役にも立たないお前は、ボクたちの中でもお荷物だったんだよ」
 リントガルトの声を聞いて、フレルクに移植されたオッティリアの唇が黒く染まっていく。
「シュティルフリーダ! 惑わされてはいけません。あなたがいなくなれば、誰がわたくしの車椅子を押してくれるのですか? あなた以外に、わたくしの身を預けられる者などいないのですよ!!」
 偽りのない心でヴィルルーンが叫んだ。シュティルフリーダを信頼し、固い絆で結ばれた仲間であると訴える。だが、逆にリントガルトはその台詞を聞いてほくそ笑んだ。
「聞いたかい? ヴィルルーンはね、シュティルフリーダのことを車椅子を押すための道具としか思ってないのさ。あんな奴、信用しちゃダメだよ。そうだ、ボクのところへおいでよ。嫌われ者同士、仲良くしようよ」
 呪いの陰が、シュティルフリーダの唇から首筋へと広がる。それは完治不能な感染症であり、症状を抑え込む薬すらない。一度発症すれば、二度と元には戻らなかった。
「これで二人……もう誰も助からないよ。次は、どっちにしてやろうか? ボクと同じ、信じてたものに裏切られる痛みを思い知らせてやる!!」
 リントガルトは値踏みするように二人を見比べると、スヴァンブルクに狙いを定めた。
「逃げなさい!」
 すぐにヴィルルーンが叫んだ。
 スヴァンブルクは翼を広げ、飛び発とうとした。
「逃がすもんか!」
 スヴァンブルクが飛び去るより早くリントガルトは純白の翼を掴むと、先の二人と同じように呪われた魔力を注ぎ込んだ。
 心まで凍りつくような、冷たい北国でのことである。連れ子だったスヴァンブルクは、小雪の舞い散る日に義父によって捨てられた。
 湖のほとりに置き去りにされた幼女は行き場もなく、空腹と心細さに身体を震わせていた。すると、上空に白鳥の群が飛ぶのが見えた。
 スヴァンブルクは白鳥の群に駆け寄ると、凍える身体を温めるため卵を抱いた巣の中へ潜り込んだ。もしこの時、白鳥がスヴァンブルクを受けいれていなければ、確実に幼女は凍え死んでいただろう。
 一命を取り留めたスヴァンブルクは、白鳥の巣の中で眠っていたところを近くの教会の老神父に保護された。
 神父は敬虔で心優しかったが、教会は貧しくその日の食事にさえ事欠くありさまだった。
 そのためスヴァンブルクの手足は鳥ガラのようにやせ細り、いつも汚れた服を着ていたことから、近所の子供たちからは醜いあひるの子とからかわれた。
 神父が亡くなった後、スヴァンブルクはフレルクの下へ連れてこられ、オッティリアの背中の皮膚を移植された。
 皮膚は純白の翼へと変化し、醜いあひるの子は白鳥の魔女へと生まれ変わったのである。
 スヴァンブルクの耳元に、リントガルトが呪いの言葉を囁きかける。
「捨てられたのは、スヴァンブルクが悪い子だったからだよ。良い子にしてれば、誰も不幸にならなかった。スヴァンブルクを拾った神父だって、自分の食事を我慢してお前にあげてたんだろ? それじゃあ、身体を壊して死んじゃうのも当たり前だよね。全部、スヴァンブルクが悪いんだ。お前が生まれてこなければ、みんな幸せでいられたのに……」
 自分を捨てた義父への悲しみ、育ててくれた神父への負い目、捨て子であることから受ける周囲の偏見、そういった感情がリントガルトの言葉に触発されて幼い心を蝕んでいく。
 スヴァンブルクの白い翼が黒く染め上げられるのを見届けると、リントガルトは満足そうにヴィルルーンへ向き直った。
「……さて、あと一人」
「わたくしの心は、そう簡単にあなたの思い通りにはなりませんわよ……」
「どうかな。じゃあ、試してみよっか?」
 口では強がってみせても、ヴィルルーンの心はすでに無力感に囚われていた。
 周囲では、魔女の呪いに堕ちた三人が生きた屍のようにうつろな表情を浮かべている。ヴィルルーンの呼びかける声にも反応しない。
「そんなに怖い顔しないでよ。ボクは優しいから、すぐにヴィルルーンも仲間にしてあげるよ」
 弄するようにリントガルトが冷笑を浮かべる。
 一人となったヴィルルーンには、もはや仲間を救う術もなく、自分自身を守ることさえ困難となった。それでも銀の靴を履いた車椅子の魔女は臆することなく、毅然と答えた。
「わたくしを憐れむ必要はありません。あなたの仲間となるぐらいなら死んだ方がましです。ですが簡単には死にません。あなたも道づれにします!!」
 追い詰められたヴィルルーンは覚悟を決める。靴を脱ぎ捨て、裸足となった。
 呪いの魔女の爪を移植されたつま先に魔力を集めると、これまでにない速度でリントガルトに斬りかかった。
 ヴィルルーンは裕福な商家の一人娘として生まれた。
 幼いころに母を亡くし、父は仕事で忙しく、恵まれた環境にありながらも両親からの愛情というものには疎遠な少女時代を送った。それでも大勢の使用人に囲まれ、あるいは愛情の不足分を補うために努めて父親がそのように行ったのかも知れないが、物質面において不自由することは一度もなかった。
 生まれつき身体が弱く、車椅子なしでは生活できなかったが彼女には大きく、そして実現不可能と思われる夢があった。
 父親と過ごしたたった一度きりの想い出である。王立劇場で観覧した歌劇に感動し、いつか自分もその舞台に立ちたいと夢見るようになった。
 父は娘が自分の足で立って歩けるようになるのならと各地から名医を集め、様々な治療を試みた。金に糸目も付けず、心から娘の夢を後押しするものだった。
 しかし、ヴィルルーンの体質が改善することはなく、その内に父の事業は暗礁に乗り上げ、信頼していた者たちからも裏切られると破産を余儀なくされた。
 大勢いた使用人は一人残らず去っていき、父親はアルコールに溺れると暴力を振るうようになった。
 夢も希望も断たれ、生活にさえ困窮するようになったヴィルルーンを救ったのは、かつて自分を診てくれた医師の一人だった。その男が、フレルクを紹介したのである。
 当初ヴィルルーンはフレルクに会うことを躊躇っていた。怪しげな噂の絶えない男だったからである。しかし父が自殺すると他に頼るすべもなく、医師に誘われるままフレルクの下を訪れた。
 フレルクは自分の研究が成功すれば立って歩けるようなると説明した。そればかりか、父を陥れた者たちへの復讐も可能だと囁きかけた。
 どのみち一人では生きていくことさえできないヴィルルーンには、フレルクの実験台となるしか選択肢はなかった。
 フレルクによって施された手術とは両足の生爪をはがし、オッティリアの足の爪を移植するという激痛を伴うものだった。それでもヴィルルーンは自分の意志で魔女になることを選ぶと痛みに耐え、新たな足を手に入れたのである。
 魔女になったヴィルルーンが最初にしたのは、父を騙した者たちを血祭りにあげることだった。
 少女のころの夢を叶えることはできなかったが、自立したヴィルルーンは幸せを手に入れた。
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