第4話 ハルツへ Ⅱ

文字数 3,999文字

「あんただろ、帝国のお姫様ってのは?」
 狼を連れた魔女がいった。
「貴様、何者だ! 帝都を襲った魔女の一味か!」
 ブルヒャルトが大声で怒鳴り返した。魔女はクスクスと笑いながら答える。
「魔女の一味かって? ちがうねぇ……一味になるのはこれからだよ!」
「どういうことですか?」
 意味が分からずレギスヴィンダが訊ねた。
「帝都を襲った七人の魔女が、そこにいるお姫様を連れてくれば仲間にしてくれるっていったのさ!」
「わたくしを……」
 レギスヴィンダは困惑しながら「なぜそんなことを?」と続けた。
「知らないよ、そんなこと。あたしはただいわれたとおり、帝都からあんたたちの匂いを追ってきたのさ。ようやく、ここで追いついたってわけだよ!」
 魔女の脚に甘えて狼が顔をこすりつける。魔女はいい子だねと頭を撫ぜた。
「……ということは、あなたはハルツの魔女ではないのですね?」
 確認のために、改めてレギスヴィンダが訊ねた。
 魔女は一瞬、怪訝に眉をひそめて見せたが、すぐに噴飯した。
「このあたしがハルツの魔女かだって? ハッハッハッハッハッ! 冗談はよしてくれないか。あんな奴らと一緒にされるなんて、まっぴらゴメンだよ!」
「では、なぜ悪しき魔女たちのいいなりになって、わたくしを付け狙うのですか?」
「さっきもいっただろ、七人の魔女の仲間にしてもらうためだよ」
「あなたは、いったい何者なのですか?」
「あたしは、はぐれ魔女だよ!」
「はぐれ魔女……」
「知らないのかい? まあ、むりもないだろうね。はぐれ魔女っていうのは、ハルツに属さない魔女のことをいうのさ。七十年前にも、そんなハルツにも帝国にも居場所のない女たちの多くがオッティリアに味方して、帝国(おまえたち)に殺されたんだよ!」
 レギスヴィンダも、かつて多くの魔女がオッティリアに与して帝国と戦ったことは知っていた。しかし、その多くがはぐれ魔女と呼ばれる女たちだったということまでは知らなかった。
「そのはぐれ魔女が、今頃になって帝国に復讐をしようというのか!」
 ブルヒャルトがいった。
「そうさ。あたしたちが、どれほどこの時を待っていたか、あんたたちには分からないだろうね? 人間に虐げられ、ハルツの魔女からはさげすまれ、日陰の存在だったあたしたちに、ようやく救いの時が来たのさ!」
「深夜に帝都を襲撃し、罪なき多くの命を奪った魔女たちが、あなたの救いだというのですか?」
「そうさ! ルームはそれ以上に多くの命を奪った。女だろうが、男だろうが、老人だろうが、子供だろうが、魔女の疑いがあるというだけで捕らえられ、いったい幾つの命が火刑台に消えた?」
「………………」
 確かにそれは、責められても仕方のないことだった。帝国は再び魔女の災禍が降りかからないように非人道的なことを長年にわたって繰り返した。
「大方あんたたちは七十年前と同じように、ハルツの魔女に助けてくれって泣きつきに行こうとしてたんだろう? あの、卑怯で臆病なレムベルトのように」
「貴様、レムベルト皇太子まで侮辱するのか!」
 ブルヒャルトが叫んだ。
「何をむきになっている? ああそうか、あんたたちは知らないんだね。レムベルトが英雄でも何でもない、一人では何もできない軟弱者だったってことを?」
「レムベルト皇太子が英雄でない……」
 帝国の皇女として、その身に魔女の恨みを集めるのは仕方のないことだとしても、敬愛する曾祖父の偉業までも否定されるのは耐えられない屈辱だった。
「おや、信じられないのかい? まあ、無理もないだろうねえ。英雄の子孫だなんだってちやほやされて育てられたお姫様には、真実を受け入れる器量もないんだろう?」
「わたくしが、そのようにちっぽけな人間に見えますか?」
「なら、教えてあげようか? 七十年前の戦いがなぜおこったのか?」
「戦いの起きた理由……」
 レギスヴィンダは一瞬、心が空白になった。レムベルト皇太子が英雄であるという真実に対しては、一片の疑いも持っていなかった。しかし、魔女による帝都襲撃の夜から、彼女の知る世界は一変した。帝国を継ぐ者として教えられ、学び、備えてきたものがことごとく覆された。
 魔女はいったい、レムベルト皇太子についてなんと語るのか。あるいはそれが、父母がハルツへ行けと言った理由なのではないかと気持ちが揺れた。
「姫様、なりません! 魔女の言葉に耳を貸しては!!」
 ブルヒャルトが大声を放った。レギスヴィンダは「ハッ」となり、我に返る。
「心配いりません……わたくしはそこまで愚かな人間ではありません…………」
 レギスヴィンダは頭を振って答えた。
 ほんの一瞬でもブルヒャルトの声が遅れていれば、レギスヴィンダの心は魔女の言葉に囚われていただろう。危ういところを忠臣の機転に救われる形となった。
「そうかい。なら、何も知らず七人の魔女の生贄にされるんだね。あたしの可愛い狼たち、二人の男は喰い殺しても構わないよ! その女だけ、生け捕りにしな!!」
 魔女の号令で、狼が襲いかかった。
「姫様、お逃げください!」
 ブルヒャルトが叫んだ。
 オトヘルムは意識を失ったままだった。一人では守りきれないと判断した忠義の騎士は自分が犠牲になり、レギスヴィンダだけでも逃がさなければと考えた。
 しかし、姫は騎士を見捨て、一人で逃げたりはしなかった。それどころか護身用のナイフを取り出すと、切っ先を喉元へ向けた。
「狼を下がらせなさい。でなければ、自ら命を絶ちます!」
「なにっ……」
「姫様!」
 魔女も騎士も驚いた。
「あなたの目的は、わたくしを生け捕りにすることです。もしわたくしが死ねば、悪しき魔女の仲間になることはできないのではありませんか?」
 命をかけたレギスヴィンダの脅しだった。
 果たして、こんなことが通用するのかという思いもあったが、他に手段はない。一か八かの賭けだったが、魔女は狼を嗾けるのを躊躇った。
「ただのこけおどしだ。臆病者のレムベルトの子孫に、そんなことできるもんか!」
「そう思うのなら好きにしなさい。わたくしは、本気です!」
「くっ……」
 レギスヴィンダは躊躇いのない瞳で魔女を見据えた。英雄の血を受け継ぐ者として、魔女に屈するわけにはいかなかった。
「さあ、道を開けなさい。あなたには、わたくしを殺すことはできません!」
「だがどこへ逃げても、あたしの狼たちが追っていくぞ!」
「そんなことをしても無駄です。ここは魔女の聖地。ハルツに居場所のないあなたの思う通りにはなりません」
「ルームの小娘め!」
 魔女は悔しがったが、レギスヴィンダの思惑通り、手出しすることはできなかった。
「ブルヒャルト、行きましょう」
「はっ、姫様……」
 騎士を伴い、魔女の前から立ち去ろうとする。だが、その時だった。
 レギスヴィンダの背後で、風もなく一本の木の枝が揺れた。直後、木の幹に二つの目玉が開いた。
 伸ばした木の枝が人の手となり、レギスヴィンダをはがいじめにする。
「姫様!」
 ブルヒャルトが叫んだ時には遅かった。痛恨の油断だった。魔女はもう一人いた。木に擬態し、背後に忍び寄っていた。
「よくやったよ、アンゼルミナ! そのまま放すんじゃないよ!!」
 擬態の魔女がレギスヴィンダの手を掴んで動けなくすると、狼を引き連れた魔女は歓喜した。
 二人目の魔女が耳元でささやく。
「はじめまして、お姫様。お会いしとうございました……」
「くぅ……放しなさい、その手を!」
「そう邪険にされずとも。わたくしは以前より、姫をお慕い申していたのです。ヴェーデケとしていたように、もっとわたくしともお話し下さい……」
「誰が、魔女などと!」
「そうですか……では代わりに、姫の形見となる物を頂きたい。お会いできた喜びを、終生忘れ得ぬように…………」
 アンゼルミナという名の魔女は、レギスヴィンダの首にかけられた銀のペンダントに手を伸ばした。
「やめなさい! それは、あなたのような者が触れていい物ではありません!!」
「そんな冷たいことをいわないでください。わたくしは、このペンダントを姫様自身と思い、片時も肌身離さず大切にさせていただきます……こうして、御目文字が叶った記憶とともに…………」
 魔女がペンダントに触れた瞬間だった。
 ペンダントから白銀の光が放たれ、魔女は「ぎゃっ!」と悲鳴を上げる。全身から力が抜け、白目を剥いて倒れた。
「アンゼルミナ!」
 狼の魔女が呼びかけるが、返事はない。完全に失神した。
「……まさか、それはランメルスベルク銀…………」
 怯えたように魔女が呟いた。
 レギスヴィンダ自身、何が起こったのか分からなかった。ただ、魔女が呟いた『ランメルスベルク』という名前だけが心に残った。
「ちっ、油断したね……まさか、あんたたちがそんな物を持っているとは……でもね、その銀は魔女の力を抑え込んでも、狼たちには通用しないよ。いいかい、あたしの可愛い狼たち。こうなったら腕の一本や二本喰いちぎっても構わないから、その娘を捕まえな!」
 魔女の号令で狼が牙をむく。再びレギスヴィンダたちは、絶体絶命の窮地に陥った。
「こうなったら戦いましょう。ブルヒャルト、あなたの命をわたくしに下さい!」
「もとよりこの命は姫様のもの。お心遣いは無用にございます!」
「感謝します……」
「こりゃ、オトヘルムよ。いつまで気を失っておる。お主も一緒に戦わぬか!」
 レギスヴィンダは覚悟を決めた。おそらく勝てる見込みはほとんどない。それでも魔女に囚われるくらいなら、ここで果てる方がましだと思えた。
 狼が跳びかかった瞬間、レギスヴィンダたちの目の前に天から銀色の衝撃波が降り注いだ。
 まるで巨大な剣が振り下ろされたように大地がえぐられる。
 狼たちはなぎ払われ、レギスヴィンダたちは何が起こったのか分からず空を見上げた。
 半月が昇った夜空に、箒に跨った二つの人影が浮かんでいた。
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