其の百四十一 初キッスはレモン味ではないけれど

文字数 3,702文字

邪魔な子供は金に換えた。

だからトンずらして、しばらくは豪遊できる。

この裏山の階段を昇り切ってしまえば、逃走用の車が置いてある。

三尾ハナコは、吊り上がってしまう口を抑えながら階段を目を落とすと、見慣れぬ影が線を引いていた。
その影は階段の頂上から引かれている。

『誰よ……?』

『こんばんわ、三尾ハナコさん。
そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。私は、彼女の【担任】ですから。』

『担任……?あぁ、高校のね。そんな先生がどうしてこんなところに?
アヤカだったら、今頃家にいるはずですけど。
なにか用事でも?私は、出かけないといけないのですから。』

母親を見せるハナコを前に、宮城は図るように間を開ける。
12月という季節でもあるが、その場所だけ、極端に気温が低くなっている。

『………。アヤカさんの成績が2学期から落ちてまして、お母さんはどうお考えになっているかと。彼女はとても賢明で努力家です。もう一度、立ち直れれば、国公立大学には行けます。
少しだけでもいいので、アヤカさんとお話を【お家】でしてくれませんか?
お母さんの言葉であればもしかしたら――。』

そのとき、ハナコの口から、小さく重い息が吐かれたのを、宮城は見逃さなかった。

『いいえいいえ、それには及びませんよ。あの子は確かに、落ち込んでいますが、そういう時期は学生時代に必要ではありません?
どうにもできない、意味のない行動をどうやって遂行していくかという、自己コントロールが大切だと思うんです。いまの多様性社会、勉学だけでは意味がありません。
この時代だからこそ、自分で解決する自主性が大事なんですよ。』

時代感を交えた、良い母親はカツカツと階段を上り、宮城と同じ段に足を乗っける。

『どうしても――アヤカさんの元へは戻ってくれないのですか?』

『もう必要ないですから。
そもそも、私は旦那と暮らしたかっただけで、子供なんて望んでませんでしたから。』

2人の女の髪が、風によって揺らされる。
満月は遠く、ただ綺麗な光を発している。教師は目をその光に細めた。
母親は、満月を目に入れてうっとりし、階段から足を滑らした。

あまりに唐突かつ、あっけなさに、ハナコは顔色を変える隙もなく、頭を砕き、足をねじらせ、間接を逆方向に折り曲げて、カー――っっんと金属音を鳴らし終えた。

『人は渇きから逃げれない。だから飲む必要がある。冷たく甘いものから、熱く苦いものまで。
でもね、潤うためにと【海】は飲めない。あの広大で青々としたものは飲むことを望まない。』

宮城の目に映るのは、階段に引かれた氷のカーペットだった。
そこに足跡が残っている。
階段を下りながら宮城キョウコは、唾液を絡ませながら白い吐息を吐き、カラカラの樹を凍らせる。

『ハ……ぁ……、ん――っ、女は辛いわね。

女は子供を産んで当たり前。

女は子供を愛して当たり前。

女は男を支えて当たり前。

環境そのものが監獄だもの、生きづらいったらありゃしない。
私もあなたと同じよ。自分の子供くらい邪魔に思うわよ。

でも、なんで殺しちゃったんだろ。同じなのに。』


いつものように命を消したのに、宮城にはやるせない気が乗っかったままだった。
胸の内に潜む、自分でも分からない塊が出て行かない。吐きたいのに吐けない。

なぜ? どうして? これが、自分は望んだのに。 なにを今さら。 もう止まってはいけない。

笑い声が耳に届く。鳴き声に近い笑い声が頭に響く。階段下にいる女の子が泣いている。

『ク、ククク、フぅ、フフフ、あ、あぁはは、クっ…は、はは、あぁ――っっ』

『………。』

彼女の姿を見る。乱れた髪。中心が破れたタイツ。血を拭こうと涙を拭こうとして赤くそまった顔。
見れば分かる。みれば分かる――。

『なによ。なによ。なんなのよこれは。
勝手に死んでんじゃないわよ―――っっっ!!!!!』

脳みそをこぼしている母に娘が叫ぶ。

『あれだけ、さんざん、あれだけ、あれだけ、――遊んでおいてしれっと死んでんじゃないわよ!!

立てよ!立ってよ!!

わたしは許さないわよ。【女】として生きることがこういうことなら、【人】として生まれることがこれだったら、私は生まれたくなかった――!!』

言葉を言わない肉体の胸倉を掴み、力づくで揺する。脳や血や目がこぼれるが些細なことらしい。

『なのに、なのに、好きな男と交尾(セックス)して、それで、私ができたって……??とんだ迷惑よ!!
ほんっとに死んで良かったね。子供に殺されるよりはマシかしら……っ!?
そんなんで……逃げ切れると思ってるの!?』

母親を投げ捨て、ナイフを握りしめる彼女を前に、
宮城はたまらず、しかし冷静にアヤカの腕を掴んだ。
彼女は躊躇なく、ナイフで自分の首を切ろうとしたのだった。

『宮城さん……、邪魔しないでよ……。』

宮城の冷たい肌のせいか、彼女は少し冷静になった。
だが、【死】に向かっていることに変わりはない。

『わたしは、わたしはね…駄目なんです、もう駄目なんですよ……。
人を傷つけて、殺してまでこんな世界で生きたくないんです……。

自分が優れてないことは、小学生のときには分かってました。自分だけがクラスのなかで違うところを見てたことも。

だから頑張ったんです。他の人と同じように感じようと、本を読みまくって、泣かないように、甘えないように、、――強くなりたかったんです。

でもこれなんですよ。人一倍頑張ったわたしが、この私が、強姦されて、あまつさえ人を殺したんです。正当防衛だろうと、【悪人】たる人殺しをしたんです!!
弱いから殺すしかなかったんです……、幼馴染の早妃カズミを傷つけたこともありました……、

わたしは、優しくなかったんです――、ずるくておくびょうなだけなんです。

だったら、なにもしないほうがいいじゃないですか……っ!?』


『同情なんてしないわよ。そんなに死にたいなら、不幸なまま、なにもせずに死になさい。』

少女の目から涙が伝う。それを隠そうとしたのか、アヤカは俯く。

『自分が嫌いになっちゃったんだね……。』

不慣れだが、生徒に教えるように、教師の声が柔らかくなる。

『自分が嫌いになったから他人を傷つけちゃう。

――自分が傷つくより、他人を傷つける方が辛いと【知ってしまった】から、
でもねそれは自分が決めたことよ。どんなことでも、それはとても価値のあることなんだよ。
誤魔化さずに、自分の罪を、ゆっくりでもいいから償っていけば大丈夫なのよ。』


『なによ……、宮城さんだって、他人のくせに、なんにも分かってないくせにぃぃいい!!!!』

叫びに共鳴するように、宮城はアヤカを地面に押し倒した。

『他人だからなんだっていうのよっっ!!あんたこのまま死ぬつもり!?
ここで死んだら許さないからね!!!絶対に許さないからね……っっ

今の自分が絶対じゃないのよ!
今の自分が選択したって、未来の自分が同じ考えじゃないんだから!!
その繰り返しなのよ?
小学生でも中学生でも高校生でも大学生でも、過去の自分の失敗で、今の自分が苦しむことが普通なのよ!!

そうやって、自分に対して喜んで嫌悪して、死ぬまでの数十年 繰り返し続けるの。
そうやって、やっと、やっと一歩前に進めた気がするの、――それが人生ってやつなのよ。』

教師の震える手が、逃がさないように、呪いをかけるように、少女の顔を掴んで無理やり目を合わせる。

『いい、三尾アヤカさん。生きなさい。生き続けなさい。
この先、あなたは失敗し償い続ける、それを人生を掛けて行いなさい。行い続けなさい。

これまでの自分に対して。これからの自分に対して。
いまのあなたが理不尽に、理由もなく意味も無く、進みなさい。進み続けなさい。
自分を失おうが、自分が死んでしまおうが関係ないの。それしか決着をつける方法がないから。』

最後は、自分に向けたような言葉だった。

『そして――決着がついたら必ず、また会いに来て。』

宮城キョウコはポケットにある赤ペンを取り出した。
なんの変哲もないボールペン、それをアヤカの手を広げて握らせる。

『約束よ。』

『……ぅん――。』

どこか、なにか、抱いたようにアヤカは目をそらし続けている。

『いってらっしゃい。』

見送るように宮城はキスをした。

どこでもない唇に。
押さえつけるように、だけど柔らかく腰に手をまわし、頭に腕をまわして地べたに押さえつけて口をあわせた。

『―――ん……ぅっ』

他人の唾液が、自分のと混ざられていく。

音は直接脳内に響くように。

タイヤのような硬くとも柔らかい、ブヨブヨとした触感に、アヤカはただただ目を開いてキスに付き合った。

こすれる布の音が心地よかった。

初めてのキスはレモン味ではないけれど――

『大人のキスよ。また会えたら、続きをしましょう。』

『あ……っ―――』

アヤカの視界がぼやける。
一瞬だけ見えたのは、彼女の手刀だった。





立っているのは1人だけ。

あの遠く、近く光っている満月に手を伸ばす。

届かないと分かりながら、諦められない。

『………。』


向こう側の橋から、乾いたスキール音が二つ、ヘッドライトで照らしながら、高速で過ぎ去っていく。



この日は一か月前の11月のお話。

吉田ミョウや雨宿スイが死亡し、25区高校が焼け落ちる1時間前の出来事。
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登場人物紹介

吉田ミョウ/パーフィット (AL)


生徒会七人目の生徒


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