第6章  1983年 – 始まりから20年後 〜 4 平成三年 智子の行方

文字数 1,126文字

              4 平成三年 智子の行方


 1991年、昭和は終わって、平成という元号になってすでに三年が経っていた。
 剛志は六十四歳になっていたが、還暦を過ぎたなんて自覚はほとんどなし。
日々、畑の雑草取りなど農作業で忙しいし、さらに最近では、近所の土地を買って稲作にまで手を伸ばしている。
 朝早く起きて身体を動かし、滅多なことがなければ不摂生などしない。その上週一回はジムに通って鍛えているせいか、剛志は最近、五十代の頃より元気になったような気さえする。
 それでも時はきちんと過ぎ去っていて、世の中はめまぐるしい変化を遂げていた。
 東京オリンピックの時に開業した東海道新幹線は、今や山陽、東北、上越へと路線を増やし、テスト走行では時速325キロにまで達していた。開業当時の210キロだってすごいのに、最近ではリニア新幹線で、時速500キロを目指すなんて話になっている。
 こんなニュースを耳にすると、日本列島は超電導列車で繋がっていて、九州から沖縄までが海底トンネルで結ばれている――こんな伊藤の未来話も「あり得る」かもと素直に思えた。
 さらに嬉しいニュースとしては、アジア初の冬季オリンピック札幌大会に続いて、98年の冬季開催地がようやく長野に決まった。プロサッカーリーグが誕生するなんて話もあって、剛志はそんなニュースを知るたびに、長生きしたいと心の底から思うのだった。
 八年前、あの日の想像が現実になっていたら、まるで違う生活が待っていたはずなのだ。
 あの時、剛志は玄関扉を開けて、とにかく声を限りに節子を呼んだ。
「節子! 行かないでくれ!」
 実際は、どこかに行くというより、一瞬で消え去ってしまうって感じだろう。
 ただやっぱり返事はなくて、いよいよますます、彼の想像が現実になったのかと思った時だ。
 ふと、オレンジ色のキャリーバッグが目に入る。もちろんそれは節子のもので、リビングの扉の前に放り置かれたままになっている。
 この瞬間、剛志の心は大きく揺れた。大丈夫かも? という頼りない安堵を感じ、同時にさらなる不安にも襲われる。
 ――あれは間違いなく、節子の使っていたキャリーバッグだ。
 だからと言って、今この時も、彼女がいると言えるのか?
 それでも確かに、しっかり記憶も残っているのだ。
 ――俺はあいつと、事故で入院している時に出会ったんだ。それからずっと……。
 ところがこんな記憶も、この先一気に消え去るかもしれない。
 ふと気がつけば、目の前に見知らぬ女性が立っている。そんな女性を見つめ、「腹減ったな、そろそろ昼飯にしないか?」なんてことを、剛志は言葉にするのだろうか……?
 そんな想像が駆け巡り、しばらくその場に立ち尽くした。
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