第5章 1973年 - 始まりから10年後 〜 2 岩倉節子(2)
文字数 1,284文字
2 岩倉節子(2)
目覚めて間もない頃などは、ドロッとした流動食を飲み込んだだけで、危うく死にそうになったくらいだ。さらに最初はお遊び程度だったリハビリも、日に日にその厳しさを増していった。
特に歩行が思うようにいかず、
「もう無理だ!」
いくたびも心でそう叫び、投げ出したいと思ったかしれない。
こんなに辛い思いをするくらいなら、車椅子生活だって構わない! そう思ってジリジリするが、いつも決まって思い出すのだ。
――あと十年経たないうちに、十六歳の智子があの庭にやって来る。
その時のシーンが浮かび上がって、剛志は再び彼女のために頑張ろうと思った。
ところがある日、そんな彼にさらなる不運が襲いかかる。
嘘だろ!? 身体から伝わった音だけで、何が起きたのかをすぐに悟った。
倒れ込んだ瞬間、なんとも鈍い音がして、右脚に激烈なる痛みが駆け抜けたのだ。
――全治二ヶ月。
ただし、骨がずいぶん脆くなっているから、もう少し余計にかかるかもしれない。医師からそう告げられ、不覚にも涙が溢れ出た。
九年間……気づけばそんな時を失って、今も満足に歩くことさえできないのだ。
――俺がいったい、何をしたっていうんだよ!
怒りをとうに通り越し、言いようのない喪失感が彼の心を埋め尽くした。
そしてその日を境に、剛志の中で大きく何かが変化する。それからは、ほとんどの時間をベッドの上で過ごすようになった。ギプスをしていようが車椅子には乗れるし、本当なら歩く以外のリハビリだってある。
ところがどうにもそんな気になれない。
――慌てたって仕方ない。まずはしっかり脚を治す。すべては、それからだ。
どうにもこんな風にしか思えずに、誰に何を言われてもリハビリ一切を断り続けた。
それからちょうど一週間、起こしたベッドを背もたれにして、剛志が新聞を読んでいた時だった。小さなノックが二回響いて、扉の向こうから見知らぬ女性が姿を見せた。
この時代にしては大柄で、厚化粧の感じが商売女を連想させる。
そんな女性がいきなり現れ、目を合わせるなり明るい声で言ってくるのだ。
「あら、本当に目が覚めたんですね。へえ、意外と元気そうじゃないですかあ~」
きっと以前から、剛志のことを知っていて、どこからか覚醒したと聞きつけた。そしてその見た目にふさわしく、図々しくもここまで押しかけてきたのだろう。
「退屈していらっしゃるって聞いたんです。だからね、お好みかどうかわかりませんが、これ、陣中見舞いです……」
反応ないままの剛志に構わず、女性は抱えていた紙袋をベッドの脇にストンと置いた。
こうなって、さすがに黙ってもいられない。
「あの……どちら様ですか……?」
「あ、ごめんなさい。わたし、岩倉節子と申します。広瀬先生にお世話になっていて、あなたのことはずっと話に聞いていたんです。それで久しぶりに診察に来たら、先生からお目覚めになったってお聞きして……」
だからつい、病室まで押しかけてしまった……。
彼女は頭をチョコンと下げてから、そう続けて照れ笑いのような表情を見せた。
目覚めて間もない頃などは、ドロッとした流動食を飲み込んだだけで、危うく死にそうになったくらいだ。さらに最初はお遊び程度だったリハビリも、日に日にその厳しさを増していった。
特に歩行が思うようにいかず、
「もう無理だ!」
いくたびも心でそう叫び、投げ出したいと思ったかしれない。
こんなに辛い思いをするくらいなら、車椅子生活だって構わない! そう思ってジリジリするが、いつも決まって思い出すのだ。
――あと十年経たないうちに、十六歳の智子があの庭にやって来る。
その時のシーンが浮かび上がって、剛志は再び彼女のために頑張ろうと思った。
ところがある日、そんな彼にさらなる不運が襲いかかる。
嘘だろ!? 身体から伝わった音だけで、何が起きたのかをすぐに悟った。
倒れ込んだ瞬間、なんとも鈍い音がして、右脚に激烈なる痛みが駆け抜けたのだ。
――全治二ヶ月。
ただし、骨がずいぶん脆くなっているから、もう少し余計にかかるかもしれない。医師からそう告げられ、不覚にも涙が溢れ出た。
九年間……気づけばそんな時を失って、今も満足に歩くことさえできないのだ。
――俺がいったい、何をしたっていうんだよ!
怒りをとうに通り越し、言いようのない喪失感が彼の心を埋め尽くした。
そしてその日を境に、剛志の中で大きく何かが変化する。それからは、ほとんどの時間をベッドの上で過ごすようになった。ギプスをしていようが車椅子には乗れるし、本当なら歩く以外のリハビリだってある。
ところがどうにもそんな気になれない。
――慌てたって仕方ない。まずはしっかり脚を治す。すべては、それからだ。
どうにもこんな風にしか思えずに、誰に何を言われてもリハビリ一切を断り続けた。
それからちょうど一週間、起こしたベッドを背もたれにして、剛志が新聞を読んでいた時だった。小さなノックが二回響いて、扉の向こうから見知らぬ女性が姿を見せた。
この時代にしては大柄で、厚化粧の感じが商売女を連想させる。
そんな女性がいきなり現れ、目を合わせるなり明るい声で言ってくるのだ。
「あら、本当に目が覚めたんですね。へえ、意外と元気そうじゃないですかあ~」
きっと以前から、剛志のことを知っていて、どこからか覚醒したと聞きつけた。そしてその見た目にふさわしく、図々しくもここまで押しかけてきたのだろう。
「退屈していらっしゃるって聞いたんです。だからね、お好みかどうかわかりませんが、これ、陣中見舞いです……」
反応ないままの剛志に構わず、女性は抱えていた紙袋をベッドの脇にストンと置いた。
こうなって、さすがに黙ってもいられない。
「あの……どちら様ですか……?」
「あ、ごめんなさい。わたし、岩倉節子と申します。広瀬先生にお世話になっていて、あなたのことはずっと話に聞いていたんです。それで久しぶりに診察に来たら、先生からお目覚めになったってお聞きして……」
だからつい、病室まで押しかけてしまった……。
彼女は頭をチョコンと下げてから、そう続けて照れ笑いのような表情を見せた。