第7章  2013年 – 始まりから50年後 〜 1 平成二十五年(3)

文字数 1,343文字

              1 平成二十五年(3)


「おいおい、それじゃお茶っ葉が出ちゃうだろ?」
 置かれたままの茶こしを見つめ、剛志は思わずそう言ったのだ。
すでに急須にお湯が注がれ、その瞬間、キョトンとした顔を節子は見せた。さらに、「なんのこと?」といった感じで、蓋の載っていない急須の中を不思議そうに眺めるのだ。
 それでもすぐに湯呑みを並べて、いつものようにそのままお茶を注ぎ入れた。
急須からは当然、そのまま茶葉も流れ出て、湯呑みの中をお茶の葉っぱがゆらゆら舞った。
 そしてその時、剛志は何かを言いかけた。が、節子の表情に驚いて、何も言えなかったことを今でも時々思い出す。まるで何かに怯えるように、急に険しい顔になったのだ。
自分が何をしたかをたった今知って、けっこうな衝撃を受けている。まさにそんな印象だったが、ついうっかりなんて誰にでもあるし、年齢を考えればなおさらだろう。
 その時は素直にそう思えたが、実際はそんなことじゃあぜんぜんなかった。
 この時きっと、進行している何かを感じて、節子は心の底から怯えていたのだ。
それからは、さらに似たようなことが増えていき、これはちょっと普通じゃないなと思い始めた頃だった。
 節子の料理はいつもしっかり豪勢で、その上美味いからついつい食べすぎてしまうのだ。それが、ある頃から味がバラつき始め、シンプルな料理ばかりがテーブルの上に並ぶようになる。それでも不満など感じなかったし、逆に年齢を思えばちょうどいいくらいに考えていた。
 ところがある日、ちょうどいいなどと言っていられない事件が起きる。
「あれ? 珍しいね……まあ、こんなのも、たまにはいいけどさ……」
 それでも最初は、心からそう考えたのだ。
 豆腐が浮いているだけの味噌汁に玄米ごはん。それからお昼に残した塩ジャケの欠片に、漬け込みすぎでシワシワになったきゅうりのぬか漬け。テーブルに載ったそれらを目にして、剛志はちょっとおどけてそう声にした。
 ところが節子が反応しない。
彼女はすでに椅子に腰掛け、ひっきりなしに何かを口中に押し込んでいる。
シルバーのボールを抱え込み、そこから手づかみのまま何かを必死に食べていた。
 最初は、素直に菓子の類かと思ったのだ。ところがその中を覗き見て、剛志は慌てて節子からボールを奪い取った。
「おい! 何してるんだ!?」
 我ながら、驚くような大声だ。それから手にあるボールに鼻先を突っ込む。
 途端に生臭さが鼻をつき、火が通っていないんだとすぐ知れた。
 ハンバーグ? とも思ったが、ニラの香り……だろうから、まさか餃子だってことなのか?
 ただ、どうであろうと、こんなものは料理じゃない。調理の途中もいいとこだ。
 ――こんなものをどうして、食べようなんて思ったんだ?
 そんな疑問を口にしても、節子の答えはまったくもって意味不明。
さらにそれからが大騒ぎだ。嫌がる節子を洗面所へ連れて行き、強引に指先を彼女の喉元に突っ込んだ。
 不思議なことだが、節子はそれらをまったく覚えていなかった。
 ゲーゲー吐いて、ふと気づけば元の彼女に戻っている。いくら剛志が事の顛末を話そうが、そんなバカなことするはずないと信じようとはしないのだ。
 そうしてさらに、次の日の明け方のことだった。
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