第3章  1983年 – 始まりから20年後……4 十六歳の少女(7)

文字数 1,746文字

               4 十六歳の少女(7)

 
 その少し前、智子は最初、剛志が店内にいると思っていたらしい。だからトイレから表には向かわず、しばらく剛志を探して店の中を歩き回った。
 そうしてガラス越しに剛志の姿を目にした瞬間、彼は一発目のパンチで吹っ飛ばされる。
続いて大柄な男が馬乗りになって、智子もこれがどんな状況なのかを一瞬にして理解した。だから、躊躇することなく大声をあげる。
「誰か、警察を呼んで! あの人を助けてください!」と叫びながら、通りに面したガラス窓を力いっぱい叩き続けた。
 そんな大騒ぎに、見守っていた二人がまず気がついたのだ。
「まずいって、あんなんで通報されたら、あっという間に警官が来ちまうよ。ここ、駅の向こうっ側すぐに交番があるんだ!」
 こんな投げかけに、馬乗りの方の反応は素早かった。
 何事もなかったようにスックと立って、コンビニの店内を一瞥する。その後一度も剛志には目もくれず、仲間と一緒にさっさとどこかへ消え失せてしまった。
 それから剛志は、あちこち痛むのを必死に堪え、コンビニ店員に平謝りだ。
 幸い、店員が受話器を手にしたところに剛志が現れ、なんとか警察沙汰にはならずに済んだ。
 一方、傷の方も思ったほどではないらしく、唇が切れ、血は多少出ているが、見たところ何発も殴られたような感じじゃない。
顎の辺りがガクガクしたが、あの連中を相手にこの程度なら万々歳という気がした。
 明日になれば、きっと青痣くらいあるだろう。
 ただなんにせよ、この程度で済んだのはすべて智子のおかげだった。
「どうもあいつら、僕らを店の外からずっと見ていたらしいんだ。店から出たら、すぐに〝イチャモン〟をつけられてね、オッサンのくせにってさ、きっと智子ちゃんがあんまり可愛いんで、この僕に嫉妬したんだろうなあ……」
 コンビニを出てすぐに、剛志はさっきの一悶着をこんなふうに説明したのだ。そして二人はタクシーには乗らず、駅向こうのバス停目指して歩くことになっていた。
 それは、タクシー乗り場で立ち止まった剛志に、智子がいきなり言ってきたからだ。
「タクシーなんてもったいないですよ。おうちは二子ですよね? じゃあバスは? あと、砧本村まで歩けば、玉電が走ってませんか?」
「え? ああ、残念ながら、もう玉電は走ってないんだよ」
「玉電、なくなっちゃったんですか? じゃあ、線路とか、駅があったところはなんになってるんです?」
「線路は道路になったり、遊歩道になったりね。あれはどうだろう? 確か、僕が大学生の頃だから、今から十五年くらい前になるのかな……最後はね、花輪の付いたのが走ったりして、中には泣いている人なんかもいたんだよ……」
 地元住民の反対運動もあったりしたが、とにかく昭和四十四年を最後に砧線はなくなった。そしてその代わり、砧本村から二子行きの東急バスが走り始める。
 中学の頃までは二人して、砧線に乗って二子にあった遊園地や映画館によく行った。
そんなことを思い出し、バスに乗ってみるのもいいかもな……と、剛志は智子の助言を受け入れようと決める。
 幸い車内はガラガラで、二人は選び放題の中から一番後ろの座席に陣取った。
 やがてバスが走り始めて、そこでようやく剛志はホッと一息ついた。
いつなん時あの三人組が現れないかと、ずっと生きた心地がしなかったのだ。
バスに乗り込んでからも、さっきの男の顔がなかなか脳裏から消え去ってくれない。長年の悪行が染みついた人相に、左の頬から耳にかけ、ピンク色に盛り上がった傷痕がある。さらに男の耳は真っ二つに裂けていて、まるで小さな耳が二つあるように見えるのだ。
もしまたどこかでおんなじ耳と相対すれば、今度こそただでは済まないだろう。
 ただとにかく、今は智子のことだった。
 男の顔を頭の中から無理やり押し出し、剛志は明るい声で智子へ告げた。
「今夜はゆっくり休んで、明日の朝一番、またあそこに行ってみよう。大丈夫、きっと元の時代に戻れるから……」
 そんな心許ない言葉でも、きっとそれなりに響いたのだろう。
 剛志が言葉を切ってしばらくすると、智子は知らぬ間に微かな寝息を立てていた。
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