第7章 2013年 プラス50 – 始まりから50年後 1 平成二十五年(12)

文字数 1,222文字

                1 平成二十五年(12)


 しかしどうして? きっとそんな気持ちが顔に出たのだろう。広瀬はそこで剛志の顔から視線を外し、正面を見据えて感慨深げに声にした。
「わたしもね、どうしてそこまでなさるのかと、一回だけ聞いたことがあったんですよ。しかしあの人、ほんの少し笑っただけで、何も答えてくれなかった。だからその辺のところは、岩倉さんと一緒でなんにも知っちゃいないんです」
 この時ふと、遥か昔の記憶が剛志の脳裏に蘇った。
昔、父、正一に世話になった人がいて、その人物のおかげで母子ともども助けられた。
もちろんその当人は、もう生きてなどいないだろうが……、
 ――そんなことがもしかして……関係しているってことなのか?
 だったとしても、剛志のことをいつ知って、そもそもダンプとの事故をどのようにして知ったのか? そんなことを思った時、いきなり新たな疑念が思い浮かんだ。
「あの、わたしが節子と出会った時、確か彼女は何か病気で、ここに通院していたんですよね? そして先生が、彼女の担当医師だった……」
「そう、それだってね、わたしは困ると申し上げたんですよ。ところが土下座せんばかりに頼み込まれて仕方なく……だから、それもね、実は大嘘なんです。本当にすみません、でも、それからしばらくして、風の噂で一緒になられたと耳にしましてね、ああ、やっぱり、なんて思ったのを、今でもはっきり覚えています」
 節子の通院までが嘘だった。
「どうして、そんな嘘をついてまで……」
「さあ、どうしてなんでしょう……。ただ、そんなことに理由があるんだとすれば、きっと、けっこう単純なことじゃないでしょうか? あなたを助けようと、奮闘した彼女としてじゃなく、同じ病院でたまたま出会った、そんな普通の感じが、節子さんの望みだったのかもしれません。まあ、なんにしても、もう大昔のことですし、真相を知るには、節子さんご本人に聞いてみるしかないでしょうね……」
 広瀬がそう返したところで、少し離れたところに事務員らしき女性が立った。
「そうか、もうこんな時間か……」
 腕時計に目をやりそう言うと、広瀬は長椅子から名残惜しそうに立ち上がる。そして打ち合わせがあるんだと剛志へ告げて、
「今度はわたくしどもで、奥様のことを、しっかりやらせていただきますから……」
 そんな言葉を最後に、深々と頭を下げて待合室から立ち去った。
 一方、あまりの衝撃に、剛志はしばらくそこから動けない。こんな事実を知ってしまって、このまま何もしないでいいのだろうか? そんな気持ちが湧き出る反面、
 ――しかし今さら、あんな状態の節子に、なんと言って問いただせばいい?
 その結果、耳にすべきではなかった真実が現れ出れば、残りの人生後悔し続けることになるだろう。そう長くはない二人の時間に、これ以上の不安材料を持ち込むなんてまっぴらだった。
だから剛志は即決で、広瀬の話を聞かなかったことにしようと決めた。
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