第4章  1963年 - すべての始まり 〜 8 智子の両親(6)

文字数 773文字

               8 智子の両親(6)


「ただここでは、二人とも家政婦ということになっていますから……」
 だから余計なことは口にするなと、無表情のままそんな意味合いを匂わせる。
 桐島佐智が、恍惚の人になっていた。
 恍惚の人――確か作者は有吉佐和子だったか……。
 剛志が就職してしばらくした頃、母恵子が真剣に読んでいたのを覚えていた。
 ドラマにもなったから剛志もストーリーは知っていて、痴呆の進んだ主人公があれ以降も生き続けていれば、いつの日かこの佐智のようになったのだろうか?
 声をかけても返事はなくて、もちろん話などできるはずがない。起きていることすべてを理解せずに、寝たきりで、時に探し物でもするように両腕だけを動かしたりする。
 歩けなくなってから、ここまではあっという間のことだったらしい。
「娘さんが行方知れずになる前から、きっと、徴候くらいはあったんだと思います……」
 さらにこんなことを告げられて、
 ――神に誓って、兆候なんかなかったさ……。
 心だけで、剛志はそう言い返すのだ。
 それからすぐに、勇蔵が寝てしまったと告げて、彼は逃げるように智子の家を後にした。
 外はまだまだ明るかったが、時刻は夕方五時を過ぎている。いつもならとっくに児玉亭にいる時間だが、どうにもそんな気分にぜんぜんなれない。
 もちろん、智子の母親のことも影響していた。ショックだったし、智子が知れば剛志以上に苦しむだろう。
 ただこの時、剛志の心を覆っていたのは、勇蔵が語った驚きの真実に他ならない。
きっと彼は途中から、話している相手さえ理解していなかった。でなければ赤の他人に話すはずはないし、話したところで意味があるとも思えない。
 ただなんにせよ、それは本当にあった過去の事実であるのだろう。そしてほんの一部に過ぎないが、正真正銘、智子の人生でもあった。
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