第3章  1983年 – 始まりから20年後……3 止まっていた時(4)

文字数 1,509文字

                3 止まっていた時(4)


剛志が気づかない些細な変化も、あの頃のままの智子ならわかってしまう。家があったりなかったり、もしかしたらそこに、親しい友人が住んでいたかもしれない。
 そもそもこの辺の道は、今やほとんどコンクリートかアスファルトで覆われている。
ところが智子のいた時代なら、土剥き出しの道ばかり。
砂利の敷き詰められたところも多かったように思う。
 ――そりゃあ、驚くわな……。
 これが真っ昼間であったなら、彼女の驚きはさらなるものになっていたはずだ。丘からは遠くに高島屋の光が見えて、そこら中にあった畑や田んぼは住宅地へと変わっている。そんな家々から漏れる明かりを、智子は何を思って見ていたろうか?
 そうしてあっという間に、タクシーは最初の目的地に到着するのだ。
 スッとドアが開いて、剛志は表に出ようと身構えた。ところが智子が動かない。ウインドウに顔を向け、身動き一つしないままだ。だから剛志はポツリと言った。
「降りなくて、いいの?」
 何も知っちゃいなかったのだ。だからこそ、こんなお気楽が声にできた。
ちゃんと考えれば当たり前だし、三十六にもなって、情けないくらいどうにかしている。
 剛志の声で、智子がいきなりこっちを向いた。その顔はクシャクシャで、涙が頬を伝って幾つも筋を作っている。
 思えばだ、十六歳の少女がよくぞここまで、堪えていたと考えるべきだろう。
彼女にしてみれば、あの火事から一日と経ってはいない。なのに林は忽然と消え失せ、街並みもおそらく彼女の記憶とは大違いだ。
 あの頃、電信柱の明かりは少ない。あったとしても、確か剥き出しの白熱灯だ。当然明るさ自体ぜんぜん違うし、こんな変化だって智子にとっては驚きのはずだ。
 そしてさらには、タクシーが停車したところに、あったはずの家が、ない。
見事なまでに消え失せて、その代わりに見たこともないようなマンションだ。建物あちこちで照明が輝き、正面に見えるエントランスは昼間のように明るいのだ。
そんな光景を目の前にして、智子は濡れた頰を両手で拭い、そして剛志を見据えて言ったのだった。
「これっていったい……なんなんですか?」
 微かに震える声が響いて、剛志はそこでようやく腹を決めた。
「あの、すみません……このまま、成城の駅に向かってもらえますか?」
 智子の顔に目を向けたまま、彼はタクシー運転手へそう告げる。それから運転手には聞こえないよう注意して、智子の耳元で声にした。
「今は、あれからずいぶん経ってしまった未来なんだ。君はきっと、眠らされたか何かして、知らないうちにこの時代に来てしまったんだよ。どうしてなのかはわからないけど、あの部屋みたいなところを調べれば、きっと元のところに戻れると思う。だから、安心してほしい。明日には絶対、あなたを元の時代に戻してあげるから……」
 囁くように、それでも必死に笑みを浮かべてそう告げる。
 智子の震える声を聞いた時、彼はとっさに思ったのだ。
 ――現実を、見せてしまおう。
 どう説明しようが嘘っぽくはなるだろう。
ならばまず、今という世界を見せてしまう、きっとそんなのが一番で、そうして浮かんできたのが、駅前にできたばかりのコンビニエンスストアだった。
 あそこなら、新聞だって置いてあるし、今という時代を知るには絶好の場所だ。
 あの時代、剛志が高校生だった頃、コンビニエンスなんて言葉さえ知らなかった。まして二十四時間営業なんて店、剛志はお目にかかったこともない。そんなふうに思って、自宅とは正反対にある成城学園前駅に向かうと決めた。
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