第7章 2013年 – 始まりから50年後 2 すべては、書庫と日記から(2)

文字数 1,237文字

           2 すべては、書庫と日記から……(2)


 ――きっと、そう聞こえただけだ。だいたい、そんなことはありえない……。
 そう思いながらも、剛志は心の片隅で、節子が知っていた可能性について考えた。
 剛志はもともと、昔の記憶すべてを失ったということになっている。だから彼の方から昔話なんてするはずないし、もちろん日記の類はつけていない。
 ――だから、節子が知っているはずがない!
 再び、力強くそう思った時だ。
 頭の中でフッと突然、完全に忘れ去っていた記憶の一部が浮かび上がった。
「あ、わたし、日記書いてない……」
 節子が以前、ふとそう漏らしたことがあったのだ。
発症からけっこう経った頃で、剛志への言葉というより、心に浮かんだ気づきが声になったという感じだろう。
「へえ、節子、日記なんかつけてたんだ……」
 そう返すと、彼女はいきなり怒り出し、意味不明な言葉で何かを必死に訴えた。
 ――日記の存在を知られたと思って、それであんなに慌てたんだろうか……?
 ところがその頃すでに、節子は誤魔化す術など捨て去っている。
 ――だから、本当にそんなものがあるのなら、それさえ見れば……。
 そうすれば、さっきの意味がわかるはず。そう考えてからは早かった。
 ――節子、すまんが、日記を見せてくれ!
 そう思った時には、車椅子のストッパーを外していた。それから節子をベッドに寝かせて、馴染みの介護ヘルパーに電話をかける。調べ物があるからとお願いすると、幸い二つ返事で引き受けてくれた。
 本当は、ずっとついていなくても大丈夫なのだ。
しかし時折、農作業で何時間も庭に出てたりすると、戻った時に様子がおかしい時がある。泣いたような跡があったり、妙に興奮していたりする。きっと何かの拍子に、少しだけ我に返るのか? あるいは単に、一人でいたくないだけなのかもしれない。
ただそんなわけで最近は、長い間付いていられない時にはヘルパーを頼むようにしていた。
 節子は一度寝てしまえば、まず朝まで起きることはない。だから寝かしつけるまでをやって来たヘルパーに頼んで、彼は二階にある書庫へさっさと向かった。
「もしもね、わたしが先に死ぬようなことになったら、あなたはずいぶん暇になるでしょ? だからね、ぜひここにある本を片っ端から読んでほしいの。特にこの辺はね、わたしの絶対的なオススメよ!」
 そう言って笑う節子は、籍を入れた頃から何かにつけて剛志に言った。
「本を読まないってことはね、読んでる人より損をしてるのよ。いろんな人生を体験できるチャンスを、自分から放棄しちゃってるのと一緒なんだから」
 彼女の言う本とはビジネス本や実用書ではなくて、いわゆる小説全般のことだった。
 こうなる前は、テレビや映画などには興味を示さず、節子は暇さえあればここで本を読んでいた。一方剛志はここ五十年くらい、本一冊だって読みきったことがない。もちろん若い頃は違ったが、この時代に来てからというもの、一切その気にならないままだ。
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