第6章  1983年 – 始まりから20年後 〜 3 革の袋(9)

文字数 1,335文字

                 3 革の袋(9)


 それでもほんのなん秒かで呼吸も戻り、気を失うことなく彼はフラフラ立ち上がる。
 ――急がなきゃ!
 ただただそんな思いに支配され、自転車を起こして再びサドルにまたがった。
 そうして十一時に十分以上残して、剛志は自宅までたどり着く。
 そのままバッグを抱えて、マシンに歩み寄ろうとした時だった。
 ――革の袋が、ないじゃないか……?
 それ以前に、あの袋をどうやって手に入れるのか? 唐突にそこまで思ってすぐ、続いてあることが思い浮かんだ。
 ――袋はある。あれは確か、捨ててないはずだ。
 病院に現れた弁護士は、アパートにあった革の袋までバッグに入れてくれていた。
 それが単なる偶然なのか、それとも意図してのことかはわからない。ただとにかく、剛志はそれを今の今まで捨ててはいない。それでも……、
 ――あれをあのまま使っていいのか? そんなことで、本当にいいのか?
 マシンで見つけた袋でいいのなら、それならそれで構わない。ただこの先もずっと繰り返していけば、革袋はどんどん劣化していき、いずれ使い物にならなくなるのは決まっていた。
 ――そもそも、あれを最初に持ち込んだのは、俺なのか? それとも他の誰かか?
 三十六歳の剛志に渡っていくあの袋は、二十年という歳月を行ったり来たりしているのだ。
 しかし誰かが最初に持ち込まない限り、どの時代であろうと剛志が手にすることはない。
 まるで卵が先か鶏か? みたいな話だが、どちらにせよ今から買いに行く時間などなかった。
だからしまってある袋を使おうと、屋敷に入って思いつくところを捜しまくる。ところがどこにも見当たらず、時間だけが刻々と過ぎ去った。そしてふと、別の袋で代用するか……そう思った時突然、ずっと忘れ去っていた記憶が一気にふわっと舞い戻った。
 ――あれが、まさか……?
 ずいぶん前のことなのだ。
 節子のクローゼットに入った時、よく似た革袋を棚奥に見つけて、剛志は一度その手を伸ばしかけたのだ。ところがその時ちょうど、節子の探し物がようやく見つかる。
 だからほんの一瞬考えて、剛志は伸ばしかけた手を途中で止めた。
 そもそも、あの袋のはずがない。似てる袋なんてこの世にごまんとあるだろう――などと思って、これまでずっと思い出さずにいたのだった。
 しかし今になって思えば、あの袋だったような気がしてならない。
 ――だったらどうして、あれがあんなところにあったんだ???
 さらにそんな疑念が重なって、ふと、顔を上げようとした時だった。
 突然スイッチを切られたように、目の前がストンと真っ暗になった。と同時に、書斎で立ったまま考え込んでいたはずが、なぜかうつ伏せで地べたに顔を押しつけている。
 ――どうして!?
 頰にザラつく感触があって、さっきまでの暖かさが嘘のように寒かった。
 何が起きた? そう思って辺りの様子見ようとするのだ。ところが顔を上げるどころか、いつのまにか瞳も閉じていて、それがどうやったって開かない。さらに全身がギシギシ痛み、特に後頭部が割れそうに痛かった。
 ――俺は、いったいどうしたんだ!?
 そう思ったのが最後だったと思う。
その後、あっという間に、彼の意識は消え去っていた。
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