第3章  1983年 – 始まりから20年後……5 過去と未来(5)

文字数 1,525文字

               5 過去と未来(5)



 まるで学者のような見識かと思えば、ごくごく一般的な知識が欠けていたりする。
 彼の時代には呼び方自体が変わったのか、沖縄という地名さえ出てこなかったらしいのだ。
 もしかしたら、現代とは比べものにならないくらい専門性が進んでいて、そんな常識など必要としないのか……。
どちらにしても、伊藤が未来人であるのは疑いようがないだろう。
 それでも、どうにもおかしいと感じることがある。
 中止にならないオリンピックを、どうして中止になると言ったのか……?
 あの事件の翌年、確か十月の土曜日だったと思う。剛志は開会式の中継を一目見ようと、珍しく寄り道せずにまっすぐ家に帰っていた。まだまだ事件のショックを引きずってはいたが、日本で開かれるオリンピックにワクワクしていたのも事実だった。
 家に帰るなり14インチテレビにかじり付き、開会式が始まるのを今か今かと待ったのだ。
 この時の興奮を、剛志は一生忘れないと思う。
 昭和天皇の開会宣言の後、国立競技場の上空に五輪の輪っかが浮かび上がった。
スタジアム上空三千メートルに、五色のスモークによって五輪の輪が! ――と、こんな感じのアナウンスを聞いて、彼は矢も盾もたまらず表に飛び出したのだ。母親の草履を突っかけて、商店街を抜け川土手までを必死に走った。そして土手の上から目を凝らし、遠く空の向こうに確かに見えた。
 見えた! 見えた! この喜びを早く誰かに伝えたい。
そんなワクワクいっぱいで、剛志は来た道をさっき以上に慌てて戻った。
店の方から飛び込んで、仕込み中だった正一へ喜び勇んで告げたのだった。
「見えた! 国立競技場の輪っかが、土手の上からもちゃんと見えたよ!」
 この時、店のテレビも点いていて、剛志の言っている意味がわかったのだろう。正一はほんのちょっと顔を上げ、「ほお、そうか」と嬉しそうに声にした。
 今になって思えば、高校二年生の割にずいぶん純粋だったと思う。しかしあの頃は剛志だけでなく、学校中みんなが同じように興奮していた。日本中の老若男女が、オリンピックに酔いしれていたように思うのだった。
 それでも国立競技場の上空は、剛志の住んでいた町から二十キロ以上離れている。
 ブルーインパルスが描き出したスモークの五輪が、あの時本当に見えたのかどうか、今となってはかなり怪しい感じがした。
 だとしてもだ。あの年に、オリンピックは開催された。
 昭和三十九年、西暦1964年に東京オリンピックは開催され、日本はアメリカ、ソビエトに続いて金メダル十六という偉業を達成。たった十五日間のことだったが、日本中が本当に盛り上がっていたのだ。だから金メダルの獲得数は知らなくても、オリンピックがあったという事実を知らないなんて、普通はない。
 一方確かに、昭和十五年に予定されていたオリンピックは、支那事変の影響やらで中止にはなった。彼はそれだって知っていたろうに、その後のオリンピックまでが中止になるとなぜ言ったのか?
 支那事変は確か、昭和十二年の七月に始まった。
それからちょうど一年後、昭和十三年にオリンピック中止が決定する。
 剛志はそんな史実を心に思って、昭和十三年とは、終戦年の何年前かを思い浮かべた。
戦後二年でこの世に生を受けたせいで、剛志は何かというと、終戦年を基準に考えてしまう癖がある。
 終戦は昭和二十年夏のことだから、つまり中止になったのはその七年前だ。
 そう思ったのに続いて、慣れ親しんだ西暦がフッと頭に思い浮かんだ。1945年の七年前、そんな数字が浮かんだその時、ストンとある想像が降って湧いた。
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