第6章  1983年 – 始まりから20年後 〜1 髭と眼鏡と……真実と(2)

文字数 1,217文字

             1 髭と眼鏡と……真実と(2)


 あの日が、ひと月ちょっとに迫っているのだ。だからそれまでに、記憶にある眼鏡を手に入れねばならない。それでも髭だけは、だいたいいい感じになっていて、
「それじゃどう見たって浮浪者だわ。誰もカッコいいなんて見てやしませんよ、ねえ、あなた、そこんとこ本当にわかってる?」
 節子から、何度こんな言葉を聞かされたか知れない。
 きっと、彼女の言う通りなのだ。そしてさらに、頰から顎全体を覆っているこの髭は、普段の生活にも大なる影響を与えまくった。
 だいたい飲み食いがやたらし辛い。わかめの味噌汁を食せば、ちょっと油断すると髭にわかめが張り付いてくる。何を食べるにしても気遣いが必要で、髭に付着する何かを見つけては、節子は大笑いしながら様々なことを言ってきた。
「あなたはね、そりゃ、ものすごくいい男ってわけじゃないわよ。でもね、わたしが結婚しようと思ったくらいには〝まあまあ〟なんだから、何もわざわざ、そこまで隠そう隠そうとしなくてもいいんじゃない? それとも、誰かに見つからないように、してるとか?」
 この瞬間、剛志は正直ドキッとした。
 ある意味まったくの図星で、それでもそうだと言い返せるはずもない。
 ただとにかく、目指した眼鏡店でメガネフレームはすぐ見つかった。
べっ甲の中で、もっとも高級だと言われるオレンジ色の白甲をいくつか選んで、その中で一番太めのデザインに決める。ところが鏡の前で掛けてみると、どうにもまだまだ物足りない。
 ――やっぱり、目は口ほどにものを言う、なんだな……。
 だからと言って、まさかサングラスってわけにもいかないから、とりあえず薄茶色のレンズにしてもらうよう店員に頼んだ。
 そうして目的のものを手に入れ、彼は銀座の大通りでなんとはなしに思いついた。
 ――あそこは今、どうなっているんだろう?
 銀座から日比谷線で小伝馬町に行って、小柳社長の会社があった場所はどうなっているか、ふと、彼は知りたいと思ったのだった。
 掘っ建て小屋からスタートし、元の世界では立派なビルを建てていた。
ところがなぜかこの世界では、起業から一年保たずに廃業へと追い込まれている。ただ不思議なのは、たとえミニスカートが売れなくても、商売はいくらだって続けられたということだ。
 あのスカートは最小ロットの生産で、せいぜい百着くらいしか作っていなかった。普通ならその程度のことで――家賃や借金がないのだから――いくらなんでも倒産などしないだろう。
 なのにこの時代の小柳社長は倒産どころか、行方不明にまでなったらしい。
 結果、生きているか死んでいるのかさえわからないままだ。だからこそ余計に、あの場所のことを強く知りたいと思うのだろう。そして銀座同様、小伝馬町もまさに記憶にあるままだった。
 ――どうして!? どうしてあのままなんだ……?
 遠くにそれらしい建物が見えて、一気に心臓の鼓動も速くなる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み