第2章 1983年 プラス20 – 始まりから20年後......3 助け舟

文字数 1,094文字

               3 助け舟


 昭和三十九年、十月三十一日。
 その日のうちに通夜をやり、次の日の午前中には葬式だった。
通夜は自宅でやることにすぐ決まったが、恵子が葬式も自宅でと言うと、確か、スーさんが猛烈に異議を唱えたのだ。
「ダメだよ恵子さん、こんな狭い……いや、もっと広いところじゃないとさ、絶対に弔問客で溢れ返っちまうって……」
 この呑み助、いったい何を言ってるんだろう?
 その時は、そんなふうに思ったが、今から思えば声にしなくて良かったと思う。
 ――嘘だろ……なんでだよ……?
 そんなふうに感じたのは、もしかすると剛志だけだったのかもしれない。
 とにかく、並べた椅子がぜんぜん足りない。町内会館の外まで弔問客が溢れ出し、それでも皆、ちゃんと手を合わせて漏れ届く坊主のお経に聴き入っている。
 ――どうしてこんなに? 大勢の人が……?
 少なくとも剛志以外はそんな疑問など思わずに、正一の死を心から悲しんでいるようだ。
さらにスーさんやアブさんら常連客が、見事なまでの大泣きを見せる。剛志は彼らの泣きっぷりを目にして、悲しみが吸い取られていくように感じたのを今でもしっかり覚えていた。
 そして慌ただしい日々はあっという間に過ぎ去り、これから親子二人、どうやって生きていくかという問題が残る。幸い開業時のローンはほとんど返し終わっていて、あとはミヨさんからの借金が残っているだけだ。しかし残された二人で返済していくには、二百万円という金額は実際のところ大きすぎる。
 ラーメン一杯が四十円とか五十円、サンマが十円するかしないかという時代だ。手元に残る残金を返しても、ミヨさんへはさらに百万近い大金を返済しなければならない。
「母さん、俺、学校辞めるよ。それで、店をちゃんと手伝うからさ……」
 昼の定食だけでは食べていくだけでも大変だろう。だから剛志は定食屋を手伝いながら、やきとり屋が営業できるよう準備していこうと考えた。
 ところが恵子がうんと言わない。そんなことを考える暇があるなら勉強しろと言い、
「いいかい、そんなことあの人が一番いやがることだよ。ニッポン人はね、昔っからひもじい思いをしていようが、子供だけはって、ちゃんと学校に通わせた世界でも珍しい民族だって、あんたの父ちゃんがいっつも言ってたじゃないか。それにね、桐島さんところの智子ちゃんを思えばさ、あんただって、軽々しく学校辞めるなんて言えないだろ? だからさ、あんたはね、店のことなんか心配するんじゃないんだよ」
 それからどう訴えようと、恵子は頑として首を縦には振らなかった。
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