第7章  2013年 プラス50 – 始まりから50年後 1 平成二十五年(7)

文字数 1,231文字

                1 平成二十五年(7)


「ここってずいぶん、殺風景なところよね……」
 きっとそう言いながら、ここはどこなんだと探っている。
「まあ病院なんて、どこもこんなもんさ。ここはそれでも絵が飾ってあったり、けっこう気を遣ってる方じゃないかな?」
「そうね、そうよね、病院なんだから、殺風景くらいがちょうどいいわよね」
 こんな会話が繰り返され、そのたびに、彼女はここが病院と知って安堵の顔を見せていた。
 病院にいるのを忘れるんだから、人間ドックのことだって忘れているはずだ。なのに、どうしてここにいるかは聞いてこない。
きっと病院にいる理由より、今いる場所を知らない方がよっぽど不安なのだろう。
 そうして病院にいると知り、しばらくの間は落ち着いている。
 ところがそんなのも数分だ。またなんとなくソワソワし始めて、
「ねえ、もう帰りましょうか?」
 いかにも真剣な顔を向け、帰りたいという意思を告げてくる。
「人間ドックはね、けっこう時間かかるんだよ。だからさ、もう少し我慢して、僕に付き合ってくれるかな……」
「そうね、そういうものよね。人間ドックか、それじゃあ、しょうがないか……」
 きっと旅行などの場合なら、互いの格好や持ち物などですぐにそうと知れるのだ。もちろん住み慣れた自宅なんかにいるのなら、それはなおのことだろう。
 ところが病院にある検査待ちブースとは、見事なまでに殺風景な空間だ。
だから彼女の不安はいつも以上に高まっただろうし、そのせいでより強い症状が出たのかもしれない。
 とにかくあの朝の出来事以降、剛志はできるだけ節子と一緒に過ごすよう心掛けた。するとそれまで気づかなかったのが不思議なくらいに、チョコチョコとおかしな言動を繰り返すのだ。そんな時間を過ごすたび、彼は心の底から願うのだった。
 ――頼む! 病気でもなんでもいいから、せめて、治せる病であってくれ!
 ところがそんな切なる願いも、検査結果によって見事なまでに崩れ去った。
 アルツハイマー型、認知症……。
 そう告げられた病名こそ、剛志が一番恐れていたものだった。
 一度アルツハイマー病が発症すれば、治療といっても進行を遅くするくらいがせいぜいで、いずれ何もかもわからなくなって死に至る。あっという間に進行するケースもあるらしいが、発症して十年、二十年後も生存している人だっている。
 ただ実際、発症後二十年も経ってしまえば、生きる屍のような状態になるのが普通だという。
 ショックだった。
そう遠くないうちに、剛志のことだって忘れ去ってしまうのだ。
 いずれ身の回りのことができなくなり、己の感情さえ捨て去っていく。終いには寝たきりになって、あとは死を待つだけという感じだろうか……。
 そうして検査結果が出た途端、唯一の治療薬だと言われ、病院である薬を処方された。
 ところが飲み始めてからすぐに、ちょくちょく失禁するようになる。それどころか日に日に、節子らしくない乱暴な言動が増えていった。
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