第8章 1945年 - 始まりの18年前 〜 6 火事

文字数 1,218文字

 6 火事


「そんなのあるわけねえだろって、だいたいがよ、そのなんだ? 福井地震って言ったっけか? それが起きるって知ってたんなら、どうして前もってよ、世間さまに教えてくださらなかったんだ? 後出しジャンケンならな、俺にだっていくらでも言えるってもんよ!」
「でもさ、この間の台風だって言い当ててるじゃん。それに俺、彼女のラジオずっと聴いてるけど、本当に前から言ってたんだぜ。テレビは一家に一台になるし、いずれ色付きになるんだって言っててさ、俺、その時は、映画じゃあるまいしって思ってたのよ。ところがさ、ほら、来年から始まるんだろ? テレビでもカラー放送ってやつがさ……」
 そこは新橋の安呑み屋で、二人のサラリーマンが言い合っていたのは、最近マスコミを賑わせている一条八重についてだった。
〝福井地震を予言した女〟一条八重……の館。
 そんなコラムが新聞朝刊に連載されて、もうそろそろ十年近くになっている。
 最初の頃は、ひと月に一回あるかないかという程度。それが四回目の掲載から週一回の連載となって、さらに一年後には、枠は小さいながらも日曜日以外は毎日となる。
「どうかな? まさか本名ってわけにもいかないし、けっこう神秘的な感じでさ、俺はいいと思うんだけど……」
 ある日浅川が、小さな囲み記事を書いてくれと言い出した。とにかく、思ったままを書けばいい。そう言って、彼はペンネームまでを用意してくれていた。
 そうしてその名を聞いた瞬間、智子は思わず己の耳を疑ったのだ。
 ――嘘! どうしてその名が出てくるの?
 ところが聞き違いでもなんでもない。
 それはまさしく記憶にある名とおんなじだった。
 ――あれはわたし、だったってこと?
 〝一条八重〟という占い師が大好きで、彼女の載った雑誌を読み漁っていた。
 そんな記憶がしっかりあるのだ。ということは、自分はいずれ有名人に? それとも偶然という名のいたずらか? ただとにかく、有名になればきっと娘だって迎えに行けるし、もしかしたら自分に起きたこともわかるかもしれない。
 あっという間にここまで考え、智子は浅川の申し出をすぐにその場で受け入れた。
 たまたま枠が空いたから……で、反応がなければ一回で打ち切り。
 それでも浅川なりに狙いもあって、そこそこイケるとは思っていたらしい。
「それでさ、実はコラムのお題だけは決まっててね。〝記憶の中の未来〟っていうんだ。一応、そんな感じで、お願いできればなって思ってるんだけど……」
 あの不思議な記憶について、書いてほしいと彼は言った。
 そこで一応、過激になりすぎないよう気をつけながら、智子は記憶にある未来についてさらっと書いた。すると思いの外大反響。
 敗戦からそう経っていないから、誰もが何かしら辛い記憶を引きずっている時だ。
 きっと智子のコラムに、明るい未来の姿を感じ取ったに違いない。見事に一回目の掲載から大評判で、やがて週刊誌までが彼女の特集を組みたがった。
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