第4章  1963年 プラスマイナス0 - すべての始まり 〜 2 二度目の逮捕

文字数 1,558文字

                 2 二度目の逮捕


「あのね、記憶喪失なんて、調べたらすぐにわかるんだよ。だいたいおかしいだろうよ、気づいたらあそこにいたなんて、いったい誰が信じるかね? まあ、あんたがあそこに現れるまで、わしらがまったく気づかなかったってのも、まあ不思議なんだが。とにかくだ、今あそこは、立ち入り禁止になってるんだよ。ちゃんとロープだって張られてる。それなのに、あんたはなんのためにあそこにいたんだ? ちゃんとその理由があるんだろ? なあ、忘れ物でもしたのかい? 血の付いたナイフとか? それとも、桐島智子に関するものかな? さっさと言っちゃえよ……なあ、おにいさんさ」
 そう言って、高齢の刑事がなんとも言えない笑顔を見せた。
 そこは警察の取り調べ室で、まるで二十年前と同じような部屋だった。
 ただあの頃とは大きく違って、彼は自分の置かれている状況を十二分に知っている。
「でも、本当に何も覚えていないんです。自分の名前も、どうしてあんなところにいたのかもです。だいたい、あそこはいったいどこなんですか? 本当に、何もわからないんですよ」
 最初にそう告げてから、剛志はそれ以降貝のように口を閉ざした。
 免許証や財布などは、みんなショルダーバッグに入れてある。幸い――と言っていいのかどうかわからないが――元の時代に置いてきてしまった。もしもそんなのが見つかっていたら、今よりもっと面倒なことになっていたろうと思う。
 当然、未来から来たと話したところで、信じてもらえるはずがない。
 本当の名を叫んでも、ここにはもう一人の自分が存在しているはずなのだ。
 戸籍は高校生の剛志のものだし、身分を証明する手立てはないに等しい。となれば伊藤がそうしたように、記憶喪失だと思わせるのが一番だ。それにペラペラ答えていれば、いつなん時口を滑らせてしまうとも限らない。
「ほお、なんだか変わったズボンを穿いてるね。そんなにピタッとしてて、大事なところは痛くないのかねえ……」
 そんな刑事の第一声に、剛志は思わず言いかけたのだ。
ただのジーンズですから――なんて台詞がフッと浮かんで、まさに言葉にしようとした時だった。
 ――そう言えば、ジーパンっていつからだ……?
 この時代はどうだったか考えるが、少なくとも高校生だった自分は穿いてなかった。
 ――俺が初めてジーパンなんて穿いたのは、きっと就職してからだ……。
 彼は大学時代でさえ、ジーンズを一本も持ってはいなかったのだ。
 この時代、ジーンズと言えば輸入品で、穿いている人など滅多に見ない。やっとそんな事実を思い出し、ギリギリ浮かんだ台詞を呑み込んでいた。そしてあと小一時間もあったなら、この老刑事は怒鳴り声の一つもあげたろうと思う。
 ところが三十分くらいした頃だ。部屋の扉がノックされ、入り口から若い男が顔を出す。それから老刑事に手招きをして、彼を部屋の外へ連れ出した。そうして数分、再び戻った老刑事の顔は、さっき以上に苦み走って見えるのだった。
「おまえは本当に、自分の名前を知らないのか?」
 戻るなり、腰を屈めてそう言って、顔を剛志の眼前に突き出した。
 だから刑事の目をしっかり見据え、剛志は首の動きだけで答えを返す。するといきなり、老刑事は彼の前髪をギュッとつかみ、顔面を反らせるよう力を込めた。上向きになった剛志の顔に刑事の顔面がさらに近づき、すぐ目の前にシワだらけの顔が迫った。
 殴られる! そう感じて剛志は衝撃に身構える。ところがだった。
「くそっ……」
 そんな声が聞こえて、頭にあった痛みがスッと消えた。
老刑事は彼から離れ、そのまま剛志に背中を向ける。そしてひと言だけ言い残し、すぐにその部屋から出ていった。
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