第4章  1963年 すべての始まり 〜 5 常連客と「おかえり」(3)

文字数 1,296文字

              5 常連客と「おかえり」(3)


 ちょっと酔っ払って眠くなったな……。まさに、そういう感じを意識しながら、目では周りの視線に気を配る。が、幸い誰も見てなどいない。正一も違う方に目を向けていて、店内はさっき以上に楽しげなのだ。
 思えば、自分だけが部外者だ。
ここにいる誰をも知っているが、向こうは誰ひとり自分のことを知っちゃいない。そんなことまで思ってやっと、剛志はこの場に踏ん切りをつけた。
 日が暮れればあっという間に、この時代の剛志が帰ってくるのだ。
 そうなれば当然、十六歳の自分と対面することになるし、それだけはどうしたって避けたいと思った。だから背後から静かに近づき、正一の耳元でこそっと呟く。
「それじゃあ、わたしはこれで、そろそろ失礼します」
 そう言った途端、正一は驚いたように振り返り、
「ダメだよ旦那。もうすぐうちの息子が帰ってくるから、ちゃんと紹介させてくれよ。生意気な野郎だが、頭だってそう悪くねえし、俺にとっちゃ出来がいいってくらいの息子なんだ。だからぜひ、会ってやってくださいよ」
 なんて言いつつ、剛志の飲み残したビールをグイッと一気に飲み干してしまう。
 それから空になったコップに日本酒を注いで、
「ねえ旦那、いいだろ? 俺の息子のために、涙まで流してくれる人をさ、そう簡単に帰しちまうわけにはいかないんだって……」
 低い声でそう言うと、剛志の前にそのコップ酒を突き出した。
 息子のために、大の大人が泣いている。そんな姿を眺めてたとあっちゃ、とんと気の回らない野郎だ――くらいきっと思ったに違いない。だからすぐに視線を外して、正一は見て見ぬ振りをしてくれた。
 ただとにかく、このまま居続けたらどうなるか? 剛志はとっさに考えたのだ。
 その瞬間、同じ空間に同じ人間――もちろん三十六歳になった剛志の方は細胞だってくたびれている。だからまったく同じとは言えないだろう――が、同時に存在することになる。
 もしかしたら、そういった不合理を防ごうとして、
 ――爆発が起きるとか、まさか、どっちかが消えちゃうなんてこと、ないだろうな?
 なんて思うと同時に、さらに突拍子もないことを思いついた。
 ――まさかあの二人、どっちも伊藤博志! だったんじゃないか!?
 違う時代から来た伊藤博志二人が、どのような理由であろうとあの林で出会ってしまった。
 ――だからって、どうして殺すなんてことになる?
 過去を生きる伊藤が殺されたなら、さらに未来を生きていた方は、
 ――その瞬間、消えちゃうってことだ……。
 過去の存在がなくなれば、当然それ以降の未来など訪れない。だから写真の男は忽然と消え失せ、その足取りは未だ不明のままなのか? そんなことを思えば思うほど、いよいよここにいちゃダメだという気がしてくる。
 ――やっぱり出よう!
 だからそう決めて、正一が背中を向けている隙にソッと席を立ったのだ。
 人と会う約束がある。そう告げて、何を言われても無視すればいい。そんな決心を心に思い、彼が足を一歩だけ踏み出した時だった。
 まるで後ろにも目があるように、正一の顔が剛志を向いた。
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