第2章 1983年 – 始まりから20年後......2 二十年前(2) 

文字数 3,757文字

               2 二十年前(2)


 事件の日、炎は現場を取り囲むよう燃え広がって、不自然なくらい唐突に消えた。
 そんなことすべてが、二十年経った今でも変わらず謎のままなのだ。
 ただとにかく、謎の写真のおかげで剛志はその日の夜には釈放される。これでやっと無罪放免となったわけだが、元の生活は簡単には戻ってはこない。事件はまるで未解決だったから、町のあちこちで様々な噂が囁かれ、さらに尾ひれがつきまくって、剛志の高校へもあっという間に飛び火した。
「幼なじみの女子高生を殺して、林で焼いてしまおうとしたんだって?」
「いやいや違うって、女の子はまだ監禁されててさ、その場所が知られちゃったから殺したって話だろ? 近所に住んでた、身元不明の男をさ~」
「まあ、どっちにしたって、あいつには、あんまり関わらない方がいいって感じ……」
 こんな言葉があちこちで交わされ、中には面と向かって言葉にしてくる強者もいた。
「うちの学校さ、もともと評判のいい方じゃねえんだから、おまえさんみたいのがいっとよ、ますますイロイロ言われちまうからさ、とっとと退学してくんない?」
 そんなことを言われて、以前の彼であれば間髪容れずに取っ組み合いだ。しかしそんなことをしてしまえば、どんな災いが降りかかってくるかもしれない。
 それでもだ。自分に向けての中傷くらいなら、ジッと我慢していればいい。
ところが今度ばかりはそうじゃない。だから何を言われても、剛志はけっして言い返すことをしなかった。
「おまえ、監禁した女の死体とヤってるんだって? でも夏になったらどうするんだ? ドロドロに腐っちゃってさ。あ、そうなると、まさにエログロってことじゃんか!」
 そんな醜悪極まりない言葉にも、彼はひたすら無視を決め込んだ。
 正直、伊藤がどうなろうが知ったこっちゃなかった。死んだのはもちろん可哀想だが、きっとそれなりの理由があるのだ。
しかし智子の方にそんなものあるわけない。
 剛志は正直、智子の行方不明が一番こたえた。だから時間を見つけては、林やその周辺を捜し歩いた。そんな彼の姿がさらなる話題の種となって、
「例のほら、やきとり屋の息子、なんだかおかしくなっちゃったみたいでね、いつもブツブツ言いながら歩き回ってるのよ。お宅、あの林のすぐ近くなんだから、夜なんか気をつけなさいよ! 最近の高校生ってのはね、ホントに怖いんだからね」
 なんてことを、酒屋の女房がやたらと客に言いふらしたりする。
 一方、両親の店も、彼の逮捕後売り上げが一気に落ち込んだ。いつもなら満員御礼って時刻でも、常連客だけってこともある。
 以前から、剛志の父、正一は、閉店間近になると決まって常連客と酔っぱらった。後片づけは母、恵子に任せっきりで、翌日は昼頃まで寝こけている。
ただ本人も、多少まずいと感じているらしく、今日は禁酒だ! と断言してみたり、本当に一滴も呑まない夜もたまにはあった。それでもいつものメンバーが揃い踏みで、
「おい正一! 何が今夜は呑まないだよ! もう客は俺たちだけなんだ! さあこっち来いって! 乾杯するぞ! 乾杯だ!」
 そんな声が二、三度続けば、正一は前掛けを外して彼らと一緒に呑み始める。
 日頃から、面倒なことはすべて恵子任せで、週一の休みだって常連客らと出かけてしまう。
 釣りだなんだと言ってはいるが、結局のところいつも最後は酔っ払いだ。だからやきとり屋のことさえなければ、正一がいなくなっても家はぜんぜん困らない。きっと自分の家族より、店の客たちが大事なんだと、剛志はここ数年で正一のことが大嫌いになった。
 そんなだからアブさんら、常連客のことも好きにはなれない。
 ところがだ。ここに至っての売り上げ不振は、紛れもなく剛志自身のせいだった。さらにそうなってから、常連客の来店が、以前より目に見えて頻繁となった。
「あいつらだけは、今も毎日のように来てくれる。なんともありがてえ話じゃねえか」
 そう言って喜ぶ正一に、剛志もさすがにああだこうだと口にはできない。
 ただし心の奥底では、もちろん喜んでなどいなかった。
 ――なに言ってるんだ! 村井酒店は、ぜんぜん来なくなったじゃないか!?
 現れなくなった客の中で、常連だったムラさんだけは許せない。剛志がそう思うのには、彼なりにちゃんとした理由があった。
 酒屋のムラさんは婿養子で、結婚してからずっと女房の尻に敷かれっぱなしだ。
だからそうそう児玉亭で呑む金もなく、いつも足りない分をアブさんやエビちゃんに助けてもらった。奢ってもらうこともけっこうあって、正一の裁量によるものだって少なくない。
 なのに事件後、彼はピタッと来なくなる。
 ――やっぱり、酒呑みなんて信用ならねえよ!
 そんな剛志のムカツキをよそに、事件から半年ほどで店の客足もほぼほぼ戻る。そしてその頃偶然、剛志は店から響くアブさんの声を聞いてしまった。
「おお! ムラさんじゃないか! なにそんなところに突っ立ってんだよ、早く入れって。でかい図体で入り口に立たれてちゃ、またこの店、閑古鳥が鳴いちまうぜ!」
 そんな声に、剛志は途中だった階段をここぞとばかりに駆け下りる。
それから厨房に続く廊下から、コソッと店の中を覗き込んだ。
するとムラさんが背中を丸めて、ちょうど引き戸を閉めているところだ。彼はためらいがちに振り返り、いかにもバツが悪そうにポツリと言った。
「正一さん……久しぶり……」
 こんなムラさんの声に、少しでも非難めいた声が聞こえれば、「何が久しぶりだよ! おいムラ!」なんてのがあったなら、きっとこんなことにはならなかった。
 正一はその時、店の奥にいたのだろう。剛志からは死角で見えなかったが、ムラさんへの返事はしっかり耳に届くのだ。
「あれ? ムラさん、久しぶり、だったっけ?」
 正一はそう返し、いつもと変わらぬ笑顔をきっと見せたに違いない。
 そこからのことは、二十年後の今でも昨日のことのように覚えている。
 気づけば厨房を突っ切って、剛志はムラさんの目の前に躍り出た。
「なにが久しぶりだよ! 今頃になって、ノコノコとよく来れたもんだぜ!」
「よさねえか剛志!」
 後ろから響いた正一の声にも、彼の勢いは止まらなかった。
「金はちゃんと持って来たのかよ? まさか殺人容疑者のいる店から、またタカロウって魂胆じゃねえだろうなあ?」
「よせって言ってるだろ!」
「なんだよ! ホントのこと言ってなにが悪いんだ! こいつんちのババアが、うちのことをなんて言ってるか……」
 ――知ってるのかよ!
 そう続けようとした剛志の頬に、正一の平手打ちが直撃する。
バシッという音が響き渡って、その勢いで剛志の顔が左右に揺れた。
ここで彼のムカつきは、一気に極限にまで膨れ上がった。
「なにしやがんだよ!!」
 思わず叫んで、握りこぶしに力を込める。ところがだ。肝心の正一はさっさと剛志に背中を見せて、ムラさんを向いて頭を下げてしまうのだった。
「ムラさん、気にしないでくれ」
 頭を下げたままそう言って、顔を上げるなりニコッと笑った。それからすぐに、何事もなかったように厨房に向かって歩き出してしまう。
 この瞬間、突き刺すような高ぶりが、剛志の全身を駆け抜けた。
 気づけば拳を振り上げて、父親の背中めがけて突進する。ところが拳は正一ではなく、いきなり飛び出してきた男の側頭部を直撃だ。
 正一との間に割り込んだ人物は、潰れた蛙のような声を上げ、勢いよく空のテーブル席に突っ込んだ。ガチャンという音がして、剛志の目にもチラッと男の顔が映り込む。
 その瞬間、心の底からマズイ! と思った。
 身体が勝手に出口を向いて、と同時に客たちが男のもとに駆け寄った。
「こら! 剛志! なんてことしやがるんだ!」
 そんな正一の声を、彼はこの時すでに引き戸の外で聞いていた。
 夕刻、開店と同時に現れて、気前よく飲み食いをしてくれる。
ホントのところ、呑んでばかりの客の方が店としてはありがたい。それでも彼はやきとり以外にも、ちょっとした肴を夕食代わりに頼んでくれた。この煮付け、今夜が限界かな? なんてのを勧めてみると、だいたい何も言わずに注文してくれるのだ。
 倒れ込んだ男がまさにその人物と、剛志も目にした瞬間わかっていた。
 あの事件直後から来店するようになって、それもほぼ毎日だ。昼も夜もって日がけっこうあるから、なんにしたってありがたい客には違いない。
 正一も時折、男に向かって感謝の言葉を口にしていた。ところがどうにも無口な男で、照れた顔してほんの少し頷くか、場合によってはそれさえしない。
 それでもたった一回だけ、正一がどう呼んだらいいかと尋ねた時だ。
「ミヨ……とでも、呼んでください」
 戸惑ったような声を出し、彼はぎこちない笑顔を初めて見せた。
 それから、正一が彼を「ミヨさん」と呼ぶうちに、年の頃が同じくらいのフナが彼と話すようになる。そうなるとあっという間に、例のメンバーにもミヨちゃんミヨちゃんと呼ばれるようになっていた。
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