第3章  1983年 – 始まりから20年後……5 過去と未来(8)

文字数 995文字

               5 過去と未来(8)


「剛志……さん、なの?」
 そんな震える声がして、剛志はソファーの上で跳ね起きた。
 すると二人の視線が絡み合い、途端に智子の表情が大きく変わる。怒った顔が一瞬で歪み、そのまま一気に剛志のそばまで歩み寄るのだ。
 最初は、意味そのものがわからない。目の前まで迫った智子が手を伸ばし、いきなり剛志の前髪をかき上げた。熱を診る時にするように、おでこに掌が押し当てられる。そのまま乱暴に押し上げて、当然剛志の額は露わになった。
 その瞬間、智子の顔から力が抜けた。と同時に掌も力なくストンと落ちる。
 この時こそ、剛志は違う何かを言うべきだった。
ところが口を衝いたのは意味不明だろう言葉ばかり。
「違うんだ……」
 きっと、何も違わない。
「いや、そうだけど、でも、違うんだって」
 ――騙そうとしたわけじゃないんだ!
 心だけでそう続け、慌てて立ち上がろうとした時だ。
「おやすみなさい」
 呟くようにそう言って、智子がくるりと後ろを向いた。
そのまま寝室に駆け込んで、バタンと扉を閉めてしまった。
 智子はきっとアルバムを見て、真偽の行方を確かめようとしたのだろう。そして剛志の顔をじっくり眺め、そうだと知ってショックを受けた。
 ――でも、あれはいったいなんだったんだ?
 そんな疑問を思うまま、彼は右手を己の額に持っていった。
 するとあまりに呆気なく、忘れ去っていた凹凸をその手に感じる。
 ――ああ、そうだったのか……。
 あっという間に、脳裏に記憶が蘇ってきた。
 彼女にとっては、つい五、六年前の出来事だ。ところが剛志にしてみれば、さらに二十年という歳月がある。見た目にはほとんどわからないし、最近では意識さえしたこともない。それでも触れれば僅かだが、肉の盛り上がりを知ることができた。
 小学三年生の春だったか秋だったか、長袖を着ていたので夏ではなかったと思う。
 智子と再会したあの事件こそ、ある意味すべての始まりだった。
 さっき改めて剛志を見つめて、きっと似ているくらいのことは感じたろう。さらに傷痕を知って初めて、目の前の中年が剛志であると確信したはずだ。
そして明日の朝、智子の態度がどうなるか、それに合わせて剛志が対応するしかない。
 そう考えて、彼は再び眠ろうとするが、今度はいつも以上に寝付けなかった。
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