第8章 1945年 - 始まりの18年前 〜 3 岩倉友一(2)

文字数 1,571文字

               3 岩倉友一(2)


 その前後、特に六日以降の数日間、智子の落ち込みようはひどかった。そして智子のそんな状態に、岩倉はずっとそのそばに居続ける。粗末ではあったが三度の食事も彼が作り、もともと口数の少ない岩倉だったが、この時ばかりはやたらと智子に話しかけた。
「いいか? 確かに日本は戦争を始めた。だけど、どうしてそんな決断に至ったのか? そうなるまでのすべてを、世界状勢なんかも含めてきちんと知らなきゃだめなんだ。原爆が、戦争を終わらせるための手段だって? どう考えたってそりゃおかしいだろう? 一般市民を何十万人も大虐殺しておいて、よくもそんなことが言えたもんだよ。そんなことしなくても、日本にはもう戦う力なんて残っちゃいないって……」
 戦う力なんて残っていない。それは当時の日本人の多くが、多かれ少なかれ感じ始めていたことだった。
「それにな、戦争だからもちろん、日本の軍隊だって、みんながみんな清廉潔白だったってわけじゃない。それでもだ、これからさんざん宣伝され、日本人の大半が信じてしまう日本軍の愚行ってのは、そのほとんどが捏造なんだ。今年の春、いよいよ日本が厳しいって知って、ソ連がいったい何をしたと思う? きっと今頃は、中立条約なんて知らなかった顔して、日本の軍隊を攻め込んでるさ。それ以外にも、これから日本人は、信じられないような悲惨な目にたくさんたくさん遭わされる。それはね、白人にだけじゃない。同胞だった奴らからもだ。それはまったく……口にできないくらい凄惨なものなのに、日本人のほとんどは、そんなのがあったことさえ知らないままだ……」
 戦前、白人による支配を受けていなかったアジアの国とは、中国にタイ、そして日本だけ。タイについてはイギリス、フランスの植民地に挟まれていたという他、様々な条件が重なった結果で、中国に至っては、単純に国土が広すぎたってだけだ。そしてそれ以外のアジアの国がどんな状態だったかを、智子はこの時初めて聞いて、
 ――わたし、こんなこと授業でぜんぜん習ってないわ!
 そんな驚きを感じながらも、どんどん彼の話に引き込まれていった。
「きっとこれから、日本は国内外から、アジアを侵略したって、そのための戦争だったってずっと言われることになる。でもさ、そりゃああまりに真実とは違う。戦わざるを得ない状況に、追い込まれていったってのが本当なんだ。もしも日本が白人と戦っていなきゃ、きっととっくに白人さんたちの植民地になって、今頃はもう、さんざん好き放題されてるさ」
 そこまで聞いて、智子は心で強く思った。
 ならばどうして、そうだって日本は言わないのか? 
教科書にだって書いてあったし、日本がどれだけアジアの国々にひどいことをしたかを、近隣の国は特に言いまくっている。
「だいたい日本はね、侵略なんてしちゃいないんだ。いいかい? 侵略して植民地にしたってならさ、どうして台湾の高校が、日本の甲子園に出られたんだい? いつだったかは忘れたけど、確か準優勝までしたはずだ。それにもう一方だって、併合前とさ、その三十年後とを比べてみたらすぐにわかるよ。学校だって病院だって作ってやって、日本はね、そのために大変なお金をかけたんだ。そんなのさ、白人たちの植民地だったら、絶対にあり得ないことなんだ。あっちが本当の侵略で、まさに奴隷状態っていうやつだ。色の付いた人間はね、あいつらにとったら人類じゃない。だからってもちろん、日本のためってのが一番だけど。でもね、実際さ、侵略されまくっていたアジアの国々を、白人たちの手から救おうとしたってのも、これもまた、絶対的な真実なんだよ……」
 さらに二つ目の併合後、そこで日本人が行なったとされている残虐な行為とは、そのほとんどが、実は自国民によるものだった。
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