第3章  1983年 – 始まりから20年後……5 過去と未来(2) 

文字数 2,211文字

                5 過去と未来(2)


「あの人、日本人のくせに、漢字とかぜんぜん知らなくて。でも、英語だけはやたら上手だったわ。あの頃は、外国で生まれ育ったのかなって思ってたけど、まさか、本当に未来から来たんだとしたら、いったい、何をしに来たのかしら?」
「少なくとも、あの不思議な乗り物で、君は二十年後の世界に来てしまった。となればさ、やはり彼が言うように、本当に未来人なのかもしれないよな。そしてきっと、気まぐれであの時代に現れたわけではないだろう」
 さらに、計画的かどうかは別として、とにかく智子の前に姿を見せた。そしてどういうわけか、未来についていろいろ喋りまくっていたらしい。
「難しい話はあまり覚えてないけど、面白い話もたくさんあったわ。伊藤さんのいた時代の自動車は、ぜんぶがぜんぶ自動運転で、交通事故なんて滅多に起きない。病気で死ぬ人もかなり減っていて、それなのに、子供があんまり生まれなくなったらしいんです。だからそのせいで、日本の人口もどんどん減っちゃうんですって……」
 誰でも百歳くらいまで生き、ほとんどの場合、最期まで寝たきりや要介護などにならない。
 誰もが自宅で穏やかに息を引き取り、それまでは特別な病気を除いて、歩行やら排泄だって自分一人の力でできるという。
 脱寝たきりの仕組みが確立されて、還暦になると国民全員老化レベルが審査される。それによって、一人一人に見合った長寿プログラムが割り当てられ、否応無しに実施される……とまあ、こんな感じの話らしい。
ところが智子にとって、こんな話こそが理解し難いことだった。
「歳を取ると、みんながみんな、寝たきりになっちゃうみたいな言い方するんですよ、おかしいでしょ?」
 そう言えば、昔は寝たきりなんて言葉、あまり耳にしなかったように思う。
「それにもっとおかしいのは、六十歳を過ぎると、一日何歩、歩きなさいとか言われちゃうんですって。サボったりしたらすぐにわかっちゃって、どうしても言うことを聞かない人なんかは、専門の施設に入れられちゃうって言ってました。でも、おかしくないですか? すごい未来なのに、普通に歩けだなんて、なんだか笑っちゃいますよね?」
 智子はそう言って、怒ったような顔を剛志に向けた。
 歩数計などが生まれる以前のことだから、一般には歩くことの大事さなどそうは知られていないと思う。智子がそう感じるのも当然で、二十年後の今だって、健康のために歩こうなんて考える世代はごく限られている。
 平均寿命もあの頃なら、男で六十代中盤か、女性でも七十越えたかどうかだろう。それが二十年で男女ともに七十歳をとっくに越えた。さらに来年は女性の八十越えも確実らしい。
 つまり、たった二十年でおおよそ十歳。
単純計算なら百年で、なんと五十年も長生きすることになるのだった。
 実際はこんな単純ではないのだろう。それでもこう考えてみれば、百歳生きるって話も夢物語ってだけではない気もする。
 伊藤の話にはそれ以外にも、デタラメとは言い切れないものがまだまだあった。
例えば電話だ。携帯用が発売されて、それがあっという間に掌に隠せるくらい小さくなる。そんな端末さえ持っていれば、電話どころかカメラやテレビとしても使い放題になるらしい。
「手に隠れるくらいって、そんな小さな機械でテレビなんて見られないじゃない?」
 そこまで小さい画面なら、きっと虫眼鏡が必要だ。そう言って笑う智子へ、彼はさらに摩訶不思議なことを言っていた。
 そもそもその端末とは、リモコンのようなものだという。スイッチを入れれば、何もない空間にスクリーン画面が映し出される。それに触れながら操作すると、いろいろなことができてしまうということなのだ。
「いろんなことって、テレビを見るとか以外にも、何かができるっていうことなのかな?」
「よくわからないけど、それでね、世界中の情報がすぐにわかっちゃうんだって、でも、世界中の情報って、いったいなんなのかしら?」
 まあ、智子によればそんな感じだが、彼女の説明はなんと言ってもザックリしている。
 本当は、剛志の想像を遥かに超えて、もっと奇妙奇天烈な世界かもしれない。
 ただこれだって、すでにある自動車電話を考えれば、携帯可能な電話だってあり得そうだし、テレビだって何年か前に、重量三キロちょっとのポータブルテレビが発売された。もっともっと小型化されれば、いずれ電話とテレビの複合機だって作れるようになるだろう。
 ただ実際電話をしながら、さらにテレビを見るなんてことがあるかどうかは別として、それが掌に収まるくらいなら、ひょっとして百年なんてかからないんじゃないかという気もした。
 ところが昭和三十八年を生きていた智子には、こうなった今でも信じ難い話のようで、
「きっと勉強のしすぎで、伊藤さん、頭が変になったんだって思ってました。だって、どう考えたってあり得ない話ばかりなんだもの……」
 なんてことまで続けて言った。
しかし岩倉邸で目にしたものを考えれば、なんであろうと〝あるかもしれない〟と思うしかないし、実際に伊藤だって遠い未来から来たのだろう。
 そして残念ながら、彼がなぜ昭和三十六年に現れて、どんな理由によって殺されたのか? そんなことにつながる情報を、智子は何も知ってはいなかった。
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