第9章  1963年 プラスマイナス0 – 始まりの年 〜 1 覚醒(2)

文字数 1,281文字

 1 覚醒(2)


 ということは、火事現場から昭和五十八年に行ってしまったことは知っていたとしても、さらにそこから、昭和二十年に戻ってしまった智子を伊藤は絶対知らないはずだ。
 智子が初めて会ったのは、昭和三十六年の冬だった。
 ところが彼の方はその時すでに、終戦前の時代で記憶を失った智子と会っている。さらに夫婦同然の暮らしをしておいて、その後いきなり行方不明となったかと思えば、昭和三十六年にフッと現れ、再び智子と出会うのだ。
 そこで出会った十六歳の智子は、当然、以前一緒に暮らした女に瓜二つ。
 ――だからあの林から、わたしを救おうと……してくれた?
 もしかしたら、取り囲んだ炎というより、追っ手から遠ざけようとしたのだろうか?
 けれど、すべては智子の勝手な想像で、実際はぜんぜん違うって可能性もある。そもそも伊藤の記憶喪失が本当だったら、岩倉だったことだって忘れ去っていたはずだ。
 ――公園のところで、あの人、どんな顔してたろう?
 十六歳で出会った時、彼がどんな反応をしていたか? 必死に思い出そうとするのだが、見事にまったく思い出せない。
 さらに彼のことでは、大きな心残りが消え去らないまま居座っていた。
 今もどこかで生きているのだ。きっと温かい家族に囲まれて、世界のどこかで友子が幸せに暮らしている。
 子供ができたということを、伝えられなかったことだけが今も悔やまれてならないのだ。もし妊娠を知っていたなら、彼は黙って消えたりしたろうか?
 そんな疑問への答えは永遠に出ないだろうし、さらにそんな過去にはもう一つ、運命のいたずらとも言える巡り合わせが存在していた。
 高熱で倒れていた智子を助け、あの時代で生きる力を与えてくれた人物。
 すなわち結婚したいとまで言ってきた男とは、なんと父、桐島勇蔵のずいぶん若い頃だった。顔は別人のように若々しいし、智子の知っている父はもっと面倒臭い堅物だった。
 けれど一方、智子を追い出した母親の方は、戻った記憶にもある祖母の顔そのものなのだ。
 ――自分の娘にプロポーズするなんて、どう考えたって、大間抜けよね……?
 当然生まれてくるのはずっと先だ。だから娘だなんて知りようもないが、それにしたって何か感じたっていいだろう? ……と、驚きの偶然に智子はただただ驚いた。
 岩倉友一が伊藤博志で、生まれて初めて求婚されたのが、実は父、勇蔵の若い頃だった。まるで冗談のような話だが、時間旅行ってことを考えてしまえば、この程度の驚きなんてどうってことないとも思える。
 こうしてなんだかんだと色々あったが、それでもどうにかこうにか生きてはこれた。
 今思えば、なんという数奇な運命だったかと思う。そしてそんな智子と同様に、三十六となった剛志にも、きっとこの先苦難の道が待ち受けている。
 智子が帰るはずだった時代に行って、金も戸籍もないままどう生きたのか?
 ――きっと、大変だったよね……?
 そんなことばかりをさんざん考え、智子の気持ちも定まったのだ。
 幼なじみだった剛志ともう一人の自分のために、これからの人生を生きていこうと智子は決める。
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