第6章  1983年 – 始まりから20年後 〜2 大いなる勘違い

文字数 1,013文字

              2 大いなる勘違い


 もしも顔中を覆った髭と、オレンジ色のメガネがなければ、きっと弟の方の小柳氏は、こんな感じを思ったのかもしれない。
 ――児玉バイヤーの父親? いや、それにしては、少し若すぎるか……。
 あまりに似ているその顔に、小柳社長はきっと何かを感じただろう。しかしさすがにこの変装では、児玉剛志と似ているとさえ思わなかったに違いないのだ。
 あの日、唯一の失敗といえば、帰りが遅くなったことくらい。それでも幸い、節子の機嫌は悪くはならず、その翌日も朝早くから、二人して庭の農作業に精を出した。
「庭の端っこで、少し野菜とか、作ってもいいかな?」
 結婚して一年くらいが経った頃、剛志は節子にそう聞いたのだ。
 すると彼女は嬉しそうな顔を見せ、なんとも意外な言葉を返してきた。
「あら、どうせならもっと田舎に引っ越して、二人でちゃんと農業でもやらない?」
 そんな答えは、どうせ冗談だろうと思っていたし、剛志にしたってここを離れるわけにはいかないのだ。
 ところが実際始めてみると、節子は剛志以上に夢中になった。数年で庭園の半分近くが畑になって、だいたいの野菜は購入しなくて済むようになる。
 この頃では、採れた無農薬野菜を使った料理教室が大評判で、どこで聞きつけてきたのか新聞社の取材までが舞い込んでくる。ただそれを、節子は頑なに受け入れようとはしなかった。
「これ以上生徒さんが増えちゃったらね、お野菜足りなくなっちゃうじゃない? それに日本のマスコミって嘘ばっかりだから、わたし、取材なんて受けたくないのよ。特に新聞なんか、自分たちに都合のいいことや、日本の悪口しか書こうとしない輩が多いんだから……」
 などと、取りつく島も一切ない。
 確かに生徒が増えれば、それだけ必要な野菜の量は増えるだろう。
 しかしここのところ、知り合いに配るくらいじゃ足りなくなって、ご近所にできた老人施設に無償提供しているくらいなのだ。
だから少しぐらい生徒数が増えたからって、実際のところどうってことはない。
 ただ本当に、彼女のマスコミ嫌いは相当だった。ワイドショー的なテレビはもちろん、週刊誌でさえ読んでいるところを見たことがない。
 ――ここまでの財を築いたんだ。きっと昔、よっぽど嫌な目にでも遭ったんだろう。
 それはどんなことだったのか? はたまた財産を築き上げた経緯など、剛志はこれまで一度だって尋ねたことなどないのだった。
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