第8章 1945年 - 始まりの18年前 〜 6 火事(3)
文字数 1,623文字
6 火事(3)
「実は来月なんだけど、紀伊半島から東海にかけてすごい台風が来るの。そしてまた、大勢の人が死んじゃうわ」
そう言った時、浅川が少しだけ困惑したような顔をした。驚いたというのとも少し違う、もしかしたら、もっと違う言葉を期待していたのかもしれない。
ただそんな雰囲気も一瞬のことで、浅川はすぐに真剣な表情を取り戻した。
「ねえ、本当なのよ。〝シロクナ〟って覚えていて、どうしてそんな数字まで覚えたのかわからないけど、とにかく、その台風で4697人もの死者が出るの……」
続いての言葉にも、どう言って返そうか考えあぐねている感じだった。
さっさと智子から視線を外し、遠くを見るような目であらぬ方へ顔を向ける。やがて大きく息を吸ってから、浅川は視線を再び智子へ戻した。
「驚きましたよ。まだそんな記憶があるんですね。それでも、そんなことを公表してしまえば、それこそまた、大変なことになるんじゃないですか?」
真に受けた住民が多少助かったところで、世間やマスコミから大バッシングを受ける。
過去に一度、具体的な日時もわからないまま、駅で火災事故が発生すると予言したことがあったのだ。その頃にはそこそこ認知度があったから、マスコミがこぞって大騒ぎし始める。
いつ起きる!? どの駅で!? いったい被害はどのくらい?
そんな言葉が週刊誌を賑わす中、ある日、火災が現実に起こってしまった。
その結果、百人以上の乗客が、ドアが開けられずに焼け死んでしまう。そうして智子までが警察に呼ばれるのだが、結局は事件性のない事故だったと判明したのだ。
それでも一向に、マスコミのバッシングは収まらなかった。様々な憶測に尾ヒレが付いて、とどまる気配がまったくない。それから半年くらいが経った頃、ようやくそんな風当たりも弱まる兆しを見せたのだった。
「その台風の被害がどうなろうと、あなたが責任を感じることじゃない。知っていることと、それをどうにかできるのとは、まるで別のことでしょう。またマスコミに、嘘八百を並べ立てられて、あなたが辛い思いをすることになる。ですから、申し訳ありませんが、このことを新聞で告知するなんてできませんし、あなたもこのことは、早く忘れてしまった方がいい」
智子とて、そんなこと言われなくたってわかっていた。それでも誰かに伝えたくて、となればそんな相手とは、浅川以外には考えられない。
「わかった、そうよね、そうするしか、ないわよね……」
智子がそう答えてからは、他愛もない会話がしばらく続いた。
「せっかくこうして、ずいぶん久しぶりに会ったんだから、どこかで美味しいものでも食べましょうよ……」
智子はいきなりそう言って、顔を浅川にぐっと寄せた。そうして彼の耳元で、
「もちろん、一条八重さんの奢りでね……」
と、囁くように呟いてみせる。
きっと浅川も、食事くらいはと考えていたのだろう。それからすぐに立ち上がり、
「じゃあ、久しぶりにコース料理でも、ご馳走してもらおうかな!」
そう言って、さも愉快そうに舌を出した。
二人はホテルのロビーを出てから、どこに行くとも決めずにタクシーに乗り込んだ。
智子はいつもよりぐっと薄化粧で、カツラも被っていないから誰の目にも一条八重だなんてわからない。
そしてそんな彼女がいきなり、驚くような行き先を運転手に告げた。
それは智子が昔、まさに夜の商売をしていた辺りの住所。浅川も地名を聞いただけでピンと来て、驚いたという顔を智子に向けた。
――どんな人なの?
――いや、ごく普通の、平凡な女性ですよ。
――可愛いんでしょ?
――歳が十以上離れてますから、可愛いというか、子供っぽいって感じですかね……。
四年前に結婚した相手について尋ねると、浅川からはこんな感じの答えが返った。
たったこれだけで、不思議なほどに智子の心がざわついた。そしてそんなざわつきを追い払うように、智子は思わず食事に行こうと声にする。
「実は来月なんだけど、紀伊半島から東海にかけてすごい台風が来るの。そしてまた、大勢の人が死んじゃうわ」
そう言った時、浅川が少しだけ困惑したような顔をした。驚いたというのとも少し違う、もしかしたら、もっと違う言葉を期待していたのかもしれない。
ただそんな雰囲気も一瞬のことで、浅川はすぐに真剣な表情を取り戻した。
「ねえ、本当なのよ。〝シロクナ〟って覚えていて、どうしてそんな数字まで覚えたのかわからないけど、とにかく、その台風で4697人もの死者が出るの……」
続いての言葉にも、どう言って返そうか考えあぐねている感じだった。
さっさと智子から視線を外し、遠くを見るような目であらぬ方へ顔を向ける。やがて大きく息を吸ってから、浅川は視線を再び智子へ戻した。
「驚きましたよ。まだそんな記憶があるんですね。それでも、そんなことを公表してしまえば、それこそまた、大変なことになるんじゃないですか?」
真に受けた住民が多少助かったところで、世間やマスコミから大バッシングを受ける。
過去に一度、具体的な日時もわからないまま、駅で火災事故が発生すると予言したことがあったのだ。その頃にはそこそこ認知度があったから、マスコミがこぞって大騒ぎし始める。
いつ起きる!? どの駅で!? いったい被害はどのくらい?
そんな言葉が週刊誌を賑わす中、ある日、火災が現実に起こってしまった。
その結果、百人以上の乗客が、ドアが開けられずに焼け死んでしまう。そうして智子までが警察に呼ばれるのだが、結局は事件性のない事故だったと判明したのだ。
それでも一向に、マスコミのバッシングは収まらなかった。様々な憶測に尾ヒレが付いて、とどまる気配がまったくない。それから半年くらいが経った頃、ようやくそんな風当たりも弱まる兆しを見せたのだった。
「その台風の被害がどうなろうと、あなたが責任を感じることじゃない。知っていることと、それをどうにかできるのとは、まるで別のことでしょう。またマスコミに、嘘八百を並べ立てられて、あなたが辛い思いをすることになる。ですから、申し訳ありませんが、このことを新聞で告知するなんてできませんし、あなたもこのことは、早く忘れてしまった方がいい」
智子とて、そんなこと言われなくたってわかっていた。それでも誰かに伝えたくて、となればそんな相手とは、浅川以外には考えられない。
「わかった、そうよね、そうするしか、ないわよね……」
智子がそう答えてからは、他愛もない会話がしばらく続いた。
「せっかくこうして、ずいぶん久しぶりに会ったんだから、どこかで美味しいものでも食べましょうよ……」
智子はいきなりそう言って、顔を浅川にぐっと寄せた。そうして彼の耳元で、
「もちろん、一条八重さんの奢りでね……」
と、囁くように呟いてみせる。
きっと浅川も、食事くらいはと考えていたのだろう。それからすぐに立ち上がり、
「じゃあ、久しぶりにコース料理でも、ご馳走してもらおうかな!」
そう言って、さも愉快そうに舌を出した。
二人はホテルのロビーを出てから、どこに行くとも決めずにタクシーに乗り込んだ。
智子はいつもよりぐっと薄化粧で、カツラも被っていないから誰の目にも一条八重だなんてわからない。
そしてそんな彼女がいきなり、驚くような行き先を運転手に告げた。
それは智子が昔、まさに夜の商売をしていた辺りの住所。浅川も地名を聞いただけでピンと来て、驚いたという顔を智子に向けた。
――どんな人なの?
――いや、ごく普通の、平凡な女性ですよ。
――可愛いんでしょ?
――歳が十以上離れてますから、可愛いというか、子供っぽいって感じですかね……。
四年前に結婚した相手について尋ねると、浅川からはこんな感じの答えが返った。
たったこれだけで、不思議なほどに智子の心がざわついた。そしてそんなざわつきを追い払うように、智子は思わず食事に行こうと声にする。