第4章 1963年 プラスマイナス0 - すべての始まり 〜 8 智子の両親

文字数 906文字

               8 智子の両親


 依然、智子は戻っていなかった。
 そしてまもなく、この時代で二度目の暑い夏がやって来る。
 剛志はどちらかといえば、もともとクーラーが得意ではなかった。それでもあのぼろアパートで夏を過ごし、クーラーのありがたみを初めて痛感したのだった。
 三日間降り続いた雨も、今日はやっとひと休み。どんよりとした雲の間から、時折夏を感じさせる太陽がコソッと顔を見せたりする。そんな日に、剛志はやはり部屋にいた。もちろん、児玉亭には毎日顔を出している。ところがそれ以外では、だいたい部屋でぼうっとしていることが多かった。そんなせいもあるのだろう。以前なら気にもとめなかったことを、ここ最近妙に意識したりするのだった。
例えば日が沈んだ後の暗さ。剛志が小学生の頃などは、そのせいでずいぶん怖い思いをしたものだ。両親二人して働いているから、しょっちゅう買い物を頼まれる。
「明日のパンがなくなっちゃったから、剛志、ちょっと行って買ってきてちょうだい」
 階段下から声が聞こえて、そんなのはだいたいが暗くなった後のことだ。
 ――あの頃は、本当に夜が暗かった。
 そして今、三十七歳になった剛志にも、この時代の夜は怖いくらいに暗く感じる。
 きっと街灯だけのせいではない。空の明るさ自体が決定的に違う気がした。
 特にどんより曇った日の夜は、昭和五十八年ならグレーがかった夜空が広がる。さらに地上が明るいせいか、雲の色がうっすら赤らんで見えることだってあった。
 ところがこの時代、雲が夜空を覆ってしまえば足元だっておぼつかない。それでいて街灯がところどころにしかなくて、それでもこの時代の親たちは平気で子供をお使いにやった。
 ただ、だからこそ星がたくさん見えるのだ。まだ光化学スモッグなんてのが発生していないのか……昼は昼で、空が記憶にあるものより段違いに青かった。
 ――俺はこんな空を見上げながら、いやでも、この時代で生きていくしかない……。
 あのマシンが戻らない限り、これはどうしようもない現実なのだ。
 それでももし、あのミニスカートが売れ出していれば、空を見上げている余裕などきっとなかったに違いない。
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