第6章  1983年 – 始まりから20年後 〜 4 平成三年 智子の行方(7)

文字数 1,437文字

              4 平成三年 智子の行方(7)


 慌てていれば、まあありそうな話だ。何より三年間もあったなら、あの時代で生きていく術だって身につくだろう。そして昭和二十年なんて時代に着いた後、彼女はどんな苦労を味わったのか? どうしてあのような死に方を、智子はしなければならなかったか?
 こうなって、彼はどうしても知りたいと思った。できるなら、あの写真の場所を探し出し、さらに亡骸がどうなったかを調べなくてはと強く思う。
 ただ正直、智子が死んでいたと知って、予想を遥かに超えてショックは軽いものだった。
 可哀想で、強い悲しみを感じはした。しかし現実感には乏しくて、言ってみれば辛く悲しい過去を思い出したという感じに近い。
そんなだから余計に、あの時代の智子を知りたいと願うのだろう。
きっとこれが今じゃなければ、十六歳の智子と再会するよりもっともっと前だったなら、こんなこと考えるなど当分の間はなかったはずだ。
 そうして剛志は次の日に、さっそくあの番組を放送していたテレビ局へ向かった。
 番組で使われた写真について、お尋ねしたいことがある。剛志が受付でそう伝えると、「担当者をお調べします」と返され、それからけっこうな時間待たされた。ところが担当でも写真のことはわからないとかで、結局制作会社の連絡先だけを教えてもらった。
 制作会社に尋ねても、どうせ教えてなどくれないだろう。そんな諦め気分のままで、剛志は電話ボックスから制作会社へ電話をかける。すると二度ほど相手が変わって、番組に関わったという制作スタッフがやっと出た。
「あの番組に出てきた写真の中で、日本の古い写真に写っていた女性のことを調べていまして、ぜひとも、あの写真の出どころを教えていただけませんでしょうか?」
 剛志が電話口でそう告げた途端、なんとも呆気ないリアクションが返った。
「ああ、あれですか、いいですよ、ちょっと待っててくださいね」
 それから少々待たされはしたが、すんなり写真の出どころが判明する。
 驚くことにその持ち主は、剛志のように問い合わせてくる人物を期待していたらしいのだ。だから制作会社との通話を切って、そのまま大学教授だという持ち主に電話をかけた。
 考えてみれば当然だが、勤め人が平日の昼間っから自宅にいるはずがない。それでも妻らしき女性が電話口に出て、明日の土曜なら家にいるはずだと教えてくれた。
 剛志は午後一時に伺いたいと伝えて、次の日時間ぴったりに、菓子折りを手にして大学教授の元を訪ねる。すると本人はちゃんといて、剛志の来訪を約束通り待っていてくれた。
 高城……滋。島根県の松江市出身だという彼は、見るからに学者風の雰囲気だ。
さらに細身でメガネを掛けているせいか、なんとも神経質そうな印象を受ける。年齢は剛志と同じくらいに見えたが、聞けばあと数年で定年退職となるらしい。
「わたしの父親は、戦前から警察に勤めていましてね。その父も二年前、九十歳で亡くなりました。母親はもっと前に亡くなっていたんで、空き家となった実家を、わたしが暇を見つけて整理していたんですよ。そうしたら、父の書斎から事件の資料などがたくさん出てきましてね。実はその中に、例の写真もあったんです」
 あれ以外にも、違う角度から撮られたものも多数あったと、彼は言った。しかしそれらどれもこれも、劣化が相当激しかったらしい。あれだけが、なぜか防腐剤と一緒に油紙に包まれ、たった一枚だけ保存状態が良いまま見つかっていた。
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