第6章  1983年 – 始まりから20年後 〜 3 革の袋(12)

文字数 1,181文字

                3 革の袋(12)


 あの時、老婆の持ってきた札を眺めて、剛志はすぐに気がついたのだ。
「あれっ」と思って、手に取った札を端から端までじっと眺める。
「ない!」と思うまま、彼は札束をパラパラっとめくった。
 一万円札のどこを眺めても、札束の万札どれもこれも……、
 ――発行年なんて、印字されてないじゃないか!?
 結局、何がどうであろうと同じなのだ。この時代で流通している紙幣でも、昭和三十八年でだって立派に通用する……と知った時にはもう遅かった。
 ――どうして、発行年なんかにこだわったんだ?
 そのせいで、マシンは金のないまま行ってしまった。その後はおんなじことが繰り返されて、きっと今頃はマシンだけが庭にある。
 歴史の流れというものは、何をしようと変わることはない。そんな確信がここに来て、いとも簡単に崩れ去ってしまった。
 剛志はその晩だけ病院に泊まって、次の日の午前中には退院が許される。
会計やら何やら節子にぜんぶやってもらって、二人はお昼頃には家路に就いた。門の前でタクシーから降りると、車輪のひん曲がった自転車がすぐ目に入る。誰が運んでくれたのかと節子に聞くが、彼女は何も知らないらしい。
 四百万のお礼のつもりか? 到底ありそうもない想像だったが、それ以外に誰が届けるかという気もする。
 ただとにかく、自転車の状態からすれば、たった一晩の入院で済んだことには感謝しなければならないだろう。それからさっさと家に入ろうとする節子へ、剛志はずっと頭にあった言葉を投げかけるのだ。
「僕はちょっと、庭の方を見てくるよ。昨日いたっていう男たちが、もしかして庭で何かしてるかもしれないだろ?」
 そんなことより身体の方を心配しろと、呆れるような声が返ってきたが、こればっかりは「はい、そうですか」というわけにはいかない。だからひと回りするだけだと返し、剛志はさっさと岩の方に歩いていった。
 さっき、病院でのことだった。
担当医が正式に退院を告げ、病室から出て行ってすぐのことだったのだ。
「でも、わからんよな、二度あることは三度あるって言うからさ、家に帰った途端すっ転んで、また意識不明になっちゃってさ、担ぎ込まれるなんてこともあるかもしれんし……」
 剛志は思わずそんな台詞を口にして、振り向く節子におどけた顔を見せようとした。
 ところが節子が振り向かない。ボストンバッグを膝に置き、丸椅子に座って身動き一つしないのだ。
ついさっきまで、タオルや下着やらを器用にバッグに詰め込んでいた。それも途中で手を止めて、節子は背を向け、ジッと窓の方を向いている。だから剛志は続けて言った。ちょっとした気まずさを意識して、それでも明るい声で節子へ告げる。
「まあ、もちろんそうならないように、俺だって気をつけるから、大丈夫だけどさ……」
 そう言い終わった途端だった。
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