第7章  2013年 – 始まりから50年後 3 あの日とその日 

文字数 1,446文字

               3 あの日とその日
 

「本当に大丈夫ですか? やっぱりうちの者を、ご自宅へ同行させましょう」
「いえいえ、わたしだけで大丈夫ですよ。毎年のことですし、ちゃんと日の暮れる前には、また介護タクシーに乗せて戻りますから。もちろん戻る前に、こちらへの到着時間などは別途ご連絡いたします……」
 と、言われても、八十九歳という高齢者の言うことだ。施設としては、断ってしまいたいというのが本音だろう。何か起きてしまえば、詳しい状況など脇に置いて、マスコミがなんだかんだと喚き立てるに決まっている。
〝老々介護による悲惨な現状。施設側はどうして、そんな事実を見過ごしたのか?〟
 だいたいこんな感じの見出しが躍って、ああだこうだと叩かれるのがオチだ。
 もちろん剛志もそんなことくらい理解している。それでも今日という日だけは、どうあっても二人っきりじゃないと意味がない。
 今日は平成二十九年三月十日……節子が八十八歳となる年だ。
 そして剛志はもともと、施設に入れようなどとはまったく思っていなかったのだ。
 そこらにある施設に負けない環境を準備したし、それで何かが起きれば、きっと施設にいたって同じことだ。運命だったと諦める。ところが一緒にいる時間を優先した彼が、ある日、そんな考えを百八十度変えることになった。
 それは、今から八年前に遡る。
 いきなり現れた男によって、一緒にいる以上に大事なことを知らされた。
 だから最初、自宅を病院並みに大改修しようかと考えたのだ。しかしそんな環境で節子が生きても、剛志自身が健康でいなくては意味がない。どうしてもストレスが溜まるだろうし、そんなのが一番、この歳で生きていく上では大敵だ。
結果、多額の寄付金を用意して、東京で一番と言われていた施設に節子を入れた。
 そこは介護付きの老人ホームで、入居金ほか群を抜いている分、施設の環境なら日本で一、二を争うだろう。ところがそこも、たった二年で終了となった。
「すみませんが、奥様はもう、わたくしどものところで、お世話できる状態ではなくなっていらっしゃいます」
 医療スタッフが充実する施設へ移った方がよいと、施設長がわざわざ自宅にやって来て、まあ申し訳なさそうに剛志へ告げた。
 もともと節子にとっては、広々した個室や豪勢な食事もてんで意味ないものだった。
 すでに噛み砕くことさえ無理だったし、素晴らしい絵画や装飾物を目にしても、節子にはそれが何かはわからない。それでも、自宅からずいぶん近かったし、介護施設にありがちな暗いイメージがまるでなかった。
 しかしここひと月で、節子は二度も救急車騒ぎを起こしてしまう。二回目は完全なる誤嚥性肺炎で、まさに命の危険さえあったのだ。
 実際、半年ほど前から、〝胃ろう〟という選択を施設医からも勧められていた。
 しかし手術で腹に穴を開け、胃に直接栄養を送り込むようになれば、もちろん老人ホームにはいられない。それ以前に、口から食べなくなるという状態が、剛志にはどうにも受け入れ難いものでもあった。だからといって、そのために節子が死んでしまっては元も子もない。
 ――もう、この辺が潮時か……?
 だから胃ろうという選択を受け入れて、老人ホームから節子を出そうと剛志は決めた。
 となると次は老健か特養だが、長期入所が可能な特養の方は、普通順番待ちでなかなかすぐには入れない。ところがさすがに八十三歳を介護するのが八十五歳という高齢だからか、次の行き先は呆気ないほどにすぐに決まった。
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