第7章  2013年 – 始まりから50年後 1 平成二十五年(10)

文字数 1,197文字

                1 平成二十五年(10)


「あ、昔、わたしが入院してた時の……」
 だからいったいなんなのか? 剛志はなんにもわかっちゃいない。
「そうですよ。ほら、名井さんが目を覚ます時、わたしがあなたの名前を呼んだんですよ。確かあれは……昭和四十八年、でしたよねえ~」
 そう言って、男はなんとも嬉しそうな顔をした。
「あの時、いろいろと説明しなきゃと思って、万国博覧会や札幌オリンピックのことなんかをけっこうしっかり調べたんですよ。でもいざとなると慌てちゃって、調べたことの半分も話せなかったなあ……。でも、そんなことがあったおかげで、折に触れて、よく思い出していたんですよ、名井さん、どうなさってるかなあって……」
 広瀬先生――確か、節子がそう呼んでいた。
直接の担当医ではなかったが、とにかく目覚めた時、そばにいてくれたのがこの医師だった。
 スラッとした細身の印象が記憶にあったが、今ではまったくそんな面影は残っていない。
 聞けばこの病院の院長だそうだ。先代から引き継いで十年以上ってことだから、このくらいの肉と貫禄が付くのは当然と言えば当然だろう。
 彼は節子との結婚についても知っていて、当時心から喜んでいたらしい。
「わたしだけじゃないんです。わたしの父も、わたし以上に喜んだんですよ。いえね、昔住んでいた家が岩倉さんの近所でして、実はここの院長だった先代は、ずっと岩倉さんの大ファンだったんですから」
「岩倉、節子のですか?」
 もちろん近所に住んでいれば、偶然見かけることもあるだろう。それで見初めたということならば、大ファンだなんて言ったりするか? そう考えて、剛志は思ったままを声にした。
「節子のファンってのは、いったい……?」
「え……ご存じないんですか? 節子さんから聞いてないです? いかん、こりゃ、少々まずかったかな……?」
 なんて言いながらも、広瀬は隣に陣取って、剛志の知らない節子の話を語り始める。
「あれは確か、僕が大学受験に失敗した頃だから、まあどっちにしたって、昭和のど真ん中って時代ですよ。一条八重って覚えてませんか? けっこう人気のあった占い師なんですが、彼女がその頃、急に行方不明になったんです。マスコミなんか大騒ぎでね、でも実際、一条八重は、どこにも消えてなどいなかった。それまでの衣装や厚化粧を捨て去って、やっと普通に戻ったってことなんでしょうね。きっとあの頃、すでに三十は過ぎてたんでしょうが、薄化粧の方がよっぽどお綺麗でね。なんていうのかな……気品があって、もちろん上品なんだけど、実際はすっごく気さくな方でね、道ですれ違ったりすると、ニコッと笑ってひと声かけてくれる。そんな時、本当に心臓がドキドキしたものですよ」
 そこまで一気に広瀬は話して、妙に嬉しそうな顔を剛志に向けた。
 ところがそんな顔を向けられても、剛志にはなんのことだかさっぱりだ。
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