第8章 1945年 - 始まりの18年前 〜 2 昭和二十年 春
文字数 1,283文字
2 昭和二十年 春
――ここは、どこ?
ふと、そう思って目を開けると、少なくとも林などではまったくない。
――ここは、病院……?
一瞬そう思ったが、すぐにそこが病室ではなく、診察室のような部屋だと知った。
すぐそばで、見知らぬ男が椅子に腰掛けている。首を窮屈そうに折り曲げながら、それでも平気で寝こけているのだ。声をかけようかと顔を上げると、正面の壁に貼られた不思議なものに目がいった。
『遂げよ聖戦 興せよ東亜』
『聖戦だ 己れ殺して 国生かせ』
まるで書き初めで書いたかのように、壁にそんな文字の並んだ大判の和紙が貼られている。
もちろん智子だって知っていた。『ぜいたくは敵だ』なんてのが一番ポピュラーで、『欲しがりません勝つまでは』も、ドラマのシーンなどでしょっちゅう見かけたものだった。
――だけど、どうして今さら……?
智子は不思議に思いながら、しばらく壁に目を向けていた。
すると眠っていたはずの男から、突然智子へ声がかかった。
「よかった! 目が覚めたんだね。すごい熱だったから、一時はどうなることかと思ったよ」
それはなんとも明るい声で、嬉しそうな顔して智子のことを見つめている。驚きながらもそんな笑顔に、智子は少なからずの安堵感を覚えた。
彼は仕事帰りに偶然、林の入り口に倒れている智子に気がついていた。慌てて彼女を抱きかかえ、親戚がやっていた診療所に担ぎ込む。その時一瞬、自宅へとも思ったが、万一大病なら対処のしようがわからない。さらにこの辺りのちょっとした病院は、どこも空襲でやられた患者でゴッタ返しているはずだった。
そんなことを知っていた彼は、すでに引退していた叔父に智子の診察を頼み込んだ。
そうして担ぎ込まれてから二日目の午後、智子の熱は少しずつだが下がり始める。
「でも、もう大丈夫だ。熱はあと少しで平熱だそうだし、栄養つけて、あと二、三日寝ていれば、きっとすぐ元のように元気になるよ」
そう言った後、男はなぜだか声のトーンを一気に落とし、
「あのさ、君の家もやっぱり、一昨日の空襲でやられちゃったのかい?」
そう続けてから、フッと視線を外して横を向いた。
正直この時、智子にはなんのことだかわからない。だからしばらく黙っていると、
「いや、いいんだ。余計なことを聞いて申し訳ない。そんなことより今は何より、元気になることが一番大事だ。よし、何か食べるものを持ってくるよ。とは言ってもさ、今どき、蒸かし芋くらいしかないだろうけど……」
そう言って立ち上がり、彼はさっさとその部屋から出ていってしまった。
〝蒸かし芋〟くらい……とは、いったいどういう意味なのか?
確かに、小さい頃のおやつといえば、蒸かした芋は定番だ。しかしいくらなんでもこんな時、蒸かし芋ってのはやっぱり少し違うような気がする。
――それに、一昨日の空襲って……いったい、なんのこと言ってるの?
戦時中じゃあるまいし、などと、智子は素直にそんなことを思っていた。
だいたい、どうしてこうなっているかがわからない。ここに連れて来られる前、自分が何をしていたのかまるで覚えていなかった。
――ここは、どこ?
ふと、そう思って目を開けると、少なくとも林などではまったくない。
――ここは、病院……?
一瞬そう思ったが、すぐにそこが病室ではなく、診察室のような部屋だと知った。
すぐそばで、見知らぬ男が椅子に腰掛けている。首を窮屈そうに折り曲げながら、それでも平気で寝こけているのだ。声をかけようかと顔を上げると、正面の壁に貼られた不思議なものに目がいった。
『遂げよ聖戦 興せよ東亜』
『聖戦だ 己れ殺して 国生かせ』
まるで書き初めで書いたかのように、壁にそんな文字の並んだ大判の和紙が貼られている。
もちろん智子だって知っていた。『ぜいたくは敵だ』なんてのが一番ポピュラーで、『欲しがりません勝つまでは』も、ドラマのシーンなどでしょっちゅう見かけたものだった。
――だけど、どうして今さら……?
智子は不思議に思いながら、しばらく壁に目を向けていた。
すると眠っていたはずの男から、突然智子へ声がかかった。
「よかった! 目が覚めたんだね。すごい熱だったから、一時はどうなることかと思ったよ」
それはなんとも明るい声で、嬉しそうな顔して智子のことを見つめている。驚きながらもそんな笑顔に、智子は少なからずの安堵感を覚えた。
彼は仕事帰りに偶然、林の入り口に倒れている智子に気がついていた。慌てて彼女を抱きかかえ、親戚がやっていた診療所に担ぎ込む。その時一瞬、自宅へとも思ったが、万一大病なら対処のしようがわからない。さらにこの辺りのちょっとした病院は、どこも空襲でやられた患者でゴッタ返しているはずだった。
そんなことを知っていた彼は、すでに引退していた叔父に智子の診察を頼み込んだ。
そうして担ぎ込まれてから二日目の午後、智子の熱は少しずつだが下がり始める。
「でも、もう大丈夫だ。熱はあと少しで平熱だそうだし、栄養つけて、あと二、三日寝ていれば、きっとすぐ元のように元気になるよ」
そう言った後、男はなぜだか声のトーンを一気に落とし、
「あのさ、君の家もやっぱり、一昨日の空襲でやられちゃったのかい?」
そう続けてから、フッと視線を外して横を向いた。
正直この時、智子にはなんのことだかわからない。だからしばらく黙っていると、
「いや、いいんだ。余計なことを聞いて申し訳ない。そんなことより今は何より、元気になることが一番大事だ。よし、何か食べるものを持ってくるよ。とは言ってもさ、今どき、蒸かし芋くらいしかないだろうけど……」
そう言って立ち上がり、彼はさっさとその部屋から出ていってしまった。
〝蒸かし芋〟くらい……とは、いったいどういう意味なのか?
確かに、小さい頃のおやつといえば、蒸かした芋は定番だ。しかしいくらなんでもこんな時、蒸かし芋ってのはやっぱり少し違うような気がする。
――それに、一昨日の空襲って……いったい、なんのこと言ってるの?
戦時中じゃあるまいし、などと、智子は素直にそんなことを思っていた。
だいたい、どうしてこうなっているかがわからない。ここに連れて来られる前、自分が何をしていたのかまるで覚えていなかった。