第6章  1983年 – 始まりから20年後 〜 3 革の袋(8)

文字数 1,147文字

                 3 革の袋(8)


「ま、使わずに済んで、良かったよ」
 そう言ってから、それをさっさとしまい込んでしまう。
 この時剛志は、これがなんだかよくわからなかった。かなり重そうで、電動髭剃りをふた回りくらい大きくしたって感じだ。きっと護身用の武器か何かで、場合によっては自分に向けられていたのだろう。老婆の言葉からそんな感じの推測はついた。
 思ったままを尋ねると、老婆は声高にケラケラ笑って、電気ショックで気絶させることもできるんだと言ってくる。
「こんな婆さんだからね、知らない奴が訪ねてくるとさ、いっつもここに入れておくんだよ」
 幸い、一度も使ったことはないらしい。
「さあ、さっさと調べておくれよ。わたしはこれから、ボケかけた爺さんの朝飯を作らんといけないんだからさ……」
 さらにそんなことを言われて、剛志は慌てて札束の一つを手に取った。
 パラパラっと捲ってみる。
 そこで彼は、思いもよらぬ事実を知ってしまった。
 ――勘弁、してくれよ……!
 この衝撃はけっこうなもので、そう簡単には立ち直れそうになかった。それでも……、
「まさかあんた、一枚一枚確認しようってんじゃないだろうね。いいかい、見ての通り、その帯封は自前なんだ。ちゃんと百枚ずつ数えてさ、和紙でわたしがこさえたもんなんだから、それが外されてないってことはね、間違いないってことなんだよ」
 そんな老婆の声に促され、知った事実を心の底へと追いやった。紙幣をバッグに押し込み、彼は無言のまま立ち上がる。
 不思議なことだが、剛志の持ち込んだ紙幣の方を、老婆は一度も調べていない。
 確かに、金融機関共通の帯封は付いていた。それでも彼は見ず知らずの男。そんなのが差し出した札束を、偽札だと思ったりしないのか?
 ただその後も、深々と一礼して玄関を後にする彼に、老婆からはなんの声もかからなかった。
 結果、百万を一瞬で失った。
しかし不思議なほどに、惜しいという気が湧き上がらない。
 これでマシンに金を置ける。ちょっとした〝勘違い〟はあったが、もしかしたらそんな回り道も、時の流れにとっては必要なことだったかもしれないのだ。
 そんなふうに思ってしまえば、百万くらいの出費は仕方がないと素直に思えた。
 剛志はそれから、自転車を必死に漕いで家路を急ぐ。そしてあと一つ角を曲がれば、自宅の屋根が見えてくるというところでだった。
 ハンドルを左に傾け、カーブを描きかけたその瞬間、視界の隅っこにいきなり軽トラックが映り込んだ。と同時にクラクションが鳴り響いて、慌ててハンドルをさらに左に切ったのだ。
「ガツン!」という衝撃。続いてフワッと浮いた気がして、その直後に地面に叩きつけられる。
 腰から背中に痛みがあって、途端に息ができなくなった。
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