第3章  1983年 – 始まりから20年後……5 過去と未来(3)

文字数 1,944文字

                5 過去と未来(3)


 剛志のマンションに到着して、智子がまず驚いたのはエレベーターを見た時だ。
 エントランスに入ってすぐ走り出し、エレベーター前で振り向きざまに大声を出した。
「ここって、エレベーターがあるんですか? すごい! デパートみたい!」
 この瞬間、剛志は正直、「えっ?」と思った。それでもすぐに過去の記憶が蘇り、彼は〝さもありなん〟と思うのだ。
 あの頃にも、マンションと名の付くものはあるにはあった。
 しかし今にして思えば、それこそ団地に毛が生えたくらいの感じだろう。
 もちろんこの建物のように、十階建てなんて覚えもない。三階建てくらいでエレベーターがあるはずないし、そう考えれば彼女の反応だって頷けるのだ。
 それから二人はエレベーターに乗って、剛志の住んでいる八階で降りる。誰に見られて困るわけではないが、剛志は急き立てるように智子を扉の中へと誘った。
 一方智子も落ち着かない様子で、リビングに入ってからはずっと無言のままだった。ソファーに腰掛け、キョロキョロと部屋の様子に目を向けている。
きっと、照明一つ取っても驚きなのだ。あの頃より格段に明るいはずだし、第一、照明のデザイン自体がぜんぜん違う。
 確かあの時代、今のように照明スイッチなんて設置されていなかった。
 あの頃、剛志は部屋の電灯を点けるのに、手を伸ばして電球ソケットのツマミを捻っていた覚えがある。ただ智子の家は裕福だから、覚えている限り剥き出しのソケットなんかは見たことがない。それにしたって、今のような照明などではなかったはずだ。
 智子はリビングをひと通り見回して、窓からの夜景に何かを感じたようだった。
 遠くまで見通せる都会の夜景に目を奪われたのか、もしかしたらもっと単純で、八階という高さに驚いただけなのかもしれない。
 ただなんにせよ、まだまだ聞かねばならないことがたくさんあった。だから夜景を眺める智子に向けて、彼は優しく、ちょいとおどけて告げたのだった。
「ちょっと、そこで待っていてくれる? このかたっ苦しいのを着替えてきちゃうんで。そうしたら、まずはさっき買ったやつで夕飯にしよう」
 そう言って、智子を残して寝室に向かった。さっさと背広上下を脱ぎ捨てて、ネクタイだけ外して着古したジーンズをそのまま穿いた。それからいつもの習慣で、立てかけてあった鏡に自分の姿を映し見る。その瞬間、
 ――シャツは、外に出した方がいいかな?
 そんなことをふと感じ、続いて顔に視線がいった。
そこにあるのは紛れもなく、高校生などではない己の顔だ。そしてそれは明らかに、いつものと変わらぬ顔でもあった。
 ――まったく、あいつはまだ、十六歳の高校生だぞ!
 見慣れたはずの己の顔に、一気にそんな思いが湧き上がる。
 彼はその時、知らず知らずのうちにだが、自分をよく見せようなどと考えたのだ。
 もちろん、それ以上の何かを期待してなんかじゃない。ただそれでも、
 ――三十六にもなるいいオヤジが、いったい何を考えているんだ!
 妙に自分が腹立たしく思え、彼は鏡を見つめながら心で必死に思うのだった。
 ――あいつは、俺とは違う時代を生きている。それはもうどうやったって、取り戻す術などどこにもないんだ。
 仮に明日、智子とともに二十年前に戻ったとしても、剛志自身が若返るなんてことはないだろう。逆に智子がここに残っても、二十歳という年の差は消え去ることなく横たわるのだ。
 智子の知る児玉剛志とは、もはやここにいる自分ではない。と同時に、剛志が思いを寄せていた智子という存在も、完全に消え失せてしまったということなのだ。
 もし、智子がこの二十年幽閉されていたのなら、二人の未来はこれからだってあったかもしれない。その間、彼女の身に何が起きていようとも、乗り越えられる自信もあったし、二十年前の二人に戻ることだってできただろう。
 ところがだ。歳を取ったのは自分だけ。
 智子は見事に、行方不明になった時のままときた。
 となればもう、過去の感情なんて忘れ去ってしまうしかない。彼女を元の時代に戻してやるのが何より大事で、さらに言うなら、今あるこのひと時を楽しい時間にしてあげたい。
 そんな思いを心に刻み、彼が再び智子の元に戻ってみると、智子はなぜか中腰で、リビング奥に置かれたテレビを必死に覗き込んでいる。
もちろん電源は入ってないから、画面は何も映らず真っ暗なままだ。剛志がどうしたのかと尋ねると、智子はゆっくり振り返り、
「これって、テレビですよね? あの……チャンネルとかは、どこにあるんですか?」
 そう言って、再びテレビ画面に顔を向けた。
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