chapitre13. 棺の傍らで

文字数 3,208文字

 しかつめらしい顔をした統一機関の一般職員から、薄い布と乾燥肉を受け取った。

 これらの保存食を、葬送を通じて自然に還る死者への捧げ物として、棺とともに船に乗せるのだ。リュンヌたち幹部候補生や、若手の幹部は、儀式でそれらの捧げ物を船に運ぶ役割を与えられる。若いことにとくに理由があるとは思えないので、伝統だからそうしている、という消極的な理由だろう。

 だが、今回ばかりは伝統に感謝すべきかもしれない。

「これはチャンスかもね」

 音量を絞った声で、同じく布と食物を受け取ったソレイユが言う。リュンヌだけに聞こえるように言ったのだろう。まったく同感だった。

 これは、アルシュに接触できるまたとない機会だ。

 最後の友人(デルニエ・アミ)として葬送の船に同乗している彼女は、捧げ物が船に積まれる間、棺のすぐ近くで待機している。捧げ物を船に乗せる儀式には十秒もかからないが、それだけあれば十分だ――ソレイユとリュンヌの窮状を伝えるためには。

 とにかく外部と連絡を取ること。
 研修生たち、ひいてはラピスの市民たちに自分たちの扱いを訴えること。

 それが何よりもムシュ・ラムへの反撃となり得ることを、二人ともよく理解していた。あんな塔の上に閉じ込められているのが何よりもの証拠だ。真実が広まることをムシュ・ラムは何よりも恐れているのだ。
 記憶を操作する技術のこと、時間を移動する装置のこと、ゼロという青年のこと。
 それを暴露する機会さえ得れば、あの塔の上で知り得た全てが武器になる。ナイフよりも効果的な攻撃手段になるのだ。

 ――では、あの塔の上から告発の文章を書き付けた紙でも撒けば良かったのではないか?

 リュンヌは実際、それを考えたが、ソレイユに相談する前に却下した。

 理由はふたつある。一つは、そんな目立つ行動をすれば一気に統一機関中に問題が知れ渡り、上層部から口封じに殺される可能性、あるいはそこまで行かずとも今以上に自由を奪われる可能性があったこと。そしてもう一つ、突拍子もない告発を信じさせるためには、何よりも信頼関係が必要だ。時間転送装置のことだって、信頼するソレイユが反発しなかったからこそ信用に足ると踏んだのだ。そうでなければ絶対に信じなかった自信がリュンヌにはある。

 だから内密に、時間をかけて、確実に進める。
 その点で、始めに秘密を共有する人間としてアルシュは適任だった。

 社交的でないリュンヌにとって、数少ない信頼できる友人であると同時に、その人間性にも信頼を置ける相手だった。アルシュは、多少真面目すぎて打ちひしがれやすい面はあるものの、政治部の人間らしく、人と人との間で上手く動くことに慣れている。

 ただ、一つ不安な点があった。

 最後にアルシュと会話したとき、幹部候補生に選ばれなかったことを悲観していたアルシュは、半ばリュンヌを拒絶するような態度を取った。それは一時的な反応であって、真に嫌われた訳ではない。そう思っているが、彼女が罪悪感から心を閉ざしてしまう可能性が怖かった。彼女は自分の失態を引きずる癖があるのだ。さらに、相方が襲撃事件で亡くなったのだ、アルシュが精神的にかなり参っているのは想像できた。

 アルシュが話を聞ける状態にあるか、そして信用してくれるかどうかは、賭けだ。

 じわじわと上がっていく気温に反するように、体温が冷えていく。リュンヌは心臓が早く打つのを抑えながら、受け取った乾燥肉を薄い布で包んだ。

 死者のためにのみ捧げられる式典を、自分のために利用することの罪悪感がないとは言わない。名も知らない、棺の中に眠るアルシュの相方に申し訳なく思いつつも、だが今動かなければ次にいつ機会がある、という焦燥感の方が強かった。

 自分はまだ、生きている。
 だが危うい位置にいる。

 死者に気を遣って死んでたまるか、というのが正直な感情だった。

 すでに葬儀が始まっており、集まった市民たちの前で、立派な服に身を包んだ中年男性が平坦な声で何か話していた。おそらく死者の身分や功績を称え、彼の持っていた可能性を惜しむものだが、リュンヌにはその内容は全く聞こえていなかったし、多くの市民もおそらくまともに聞いていないだろう。あれは荘厳な雰囲気をつくるための音楽のようなものだ。

 何人かが持ち回って話をしたのち、捧げ物を船まで運ぶ段になった。

 ひとりずつ、棺とアルシュの待つ船まで向かっていく。
 一列に並べられたリュンヌたちが、自分の順番を待っていると、前に並ぶソレイユがほんの少し顔を傾けた。
 強い光を湛えた瞳の端にリュンヌを捉える。その唇が僅かに、言葉を乗せて動く。リュンヌはその動きに視線を注ぎ、彼の言わんとすることを読み取った。遊び半分で覚えた読唇術に、昨日からずっと助けられている。

「アルシュちゃんと話すのはルナに任せて良いかな。ぼくよりはルナの方が親しかっただろうし、ただでさえ混乱しているだろうから、情報は最小限にした方が良い」
「私が?」
「そう」

 リュンヌが聞き返すと、ソレイユは口の端を持ち上げて笑った。任せたよ、という意味の笑顔だろうか。 

 演台の袖で待機している職員が、直角に肘を上げて合図をする。ソレイユはタイミングを合わせ、整然と歩いて行った。舞台の端で直角に曲がり、集まった群衆に一礼して、布で包んだ捧げ物を船に並べる。そして前にひざまづき、祈りを捧げた。

 自分に託されたのだ、とリュンヌは気を引き締める。今までにない緊張感で顔がじんと熱くなった。

 出発の合図が出された。
 作法通りに歩いて行く。船のそばに行き、膝を折ると、蒼白な顔で俯いていたアルシュが僅かに目を見開いた。船に捧げ物を運んできたのが、他ならぬ自分の友人だと気づいたようだ。

 彼女は顔を薄いヴェールで覆っているが、やつれているのが目に見えて分かり、胸が痛くなった。目が腫れている。その頬に涙は流れていなかったが、もう泣く元気すらないのだということが付き合いの長いリュンヌには想像できた。

 アルシュの沈みきった瞳が僅かに動き、リュンヌを捉え、力のない唇が囁く。

「……リュンヌ」

 友人は、小さい声で名前を呼んだ。広場に集まった民衆の、数百数千の視線を背中に感じながら、妙な静寂が二人の間で風船のように膨らんでいくのを感じた。緊張感で張りつめた、針で突けば消えてしまいそうな空気。

 両手を組み、祈る姿勢を取りながら、リュンヌは習わしに反して目を開けた。顔の位置を固定したまま視線を持ち上げると、伸びた前髪ごしにアルシュと目が合った。祈りの途中なのに目を開けている彼女を、不思議そうな視線で見ている。

 今しかない、と思った。絞った声量で話しかける。

「聞いてくれないか、アルシュ」

 なに、と小さな声が答えた。
 その響きを聞いて確信する。この事態においても、彼女は冷静なのだ。気の弱く繊細な彼女だが、それを補って余りあるほどの自制心を持っている。

「今、塔に閉じ込められている」
「塔って……幹部候補生に選ばれたんだよね?」

 ヴェールの向こうで、当惑の表情を浮かべるアルシュが見えた。そう、とリュンヌは頷く。

「でも、ムシュ・ラムの罠だった」
「……分かった。調べてみる」

 想像よりも歯切れ良く、アルシュは答えた。旧友の、落ち着いた声の響きに安心して、思いがけず涙が出そうになり、慌てて目をきつく閉じた。平常心を失っていたのは、実はアルシュではなく、自分の方なのかもしれない。作法通りに祈りを済ませ、立ち上がった瞬間、あっ、とアルシュが小声で叫んだ。

「後ろ見て、リュンヌ!」

 リュンヌが振り向くと、広場の中央で、真っ白い光が弾けるのが見えた。
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登場人物紹介

リュンヌ・バレンシア(ルナ)……「ラピスの再生論」の主人公。統一機関の研修生。事なかれ主義で厭世的、消極的でごく少数の人間としか関わりを持とうとしないが物語の中で次第に変化していく。本を読むのが好きで、抜群の記憶力がある。長い三つ編みと月を象ったイヤリングが特徴。名前の後につく「バレンシア」は、ラピス七都のひとつであるバレンシアで幼少期を送ったことを意味する。登場時は19歳、身長160cm。chapitre1から登場。

ソレイユ・バレンシア(ソル)……統一機関の研修生。リュンヌ(ルナ)の相方で幼馴染。ルナとは対照的に社交的で、どんな相手とも親しくなることができ、人間関係を大切にする。利他的で、時折、身の危険を顧みない行動を取る。明るいオレンジの髪と太陽を象ったイヤリングが特徴。登場時は19歳、身長160cm。chapitre1から登場。

カノン・スーチェン……統一機関の研修生で軍部所属。与えられた自分の「役割」に忠実であり、向学心も高いが、人に話しかけるときの態度から誤解されがち。登場時は19歳、身長187cm。chapitre1から登場。

アルシュ・ラ・ロシェル……統一機関の研修生で政治部所属。リュンヌの友人で同室のルームメイト。気が弱く様々なことで悩みがちだが、優しい性格と芯の強さを兼ね備えている。登場時は19歳、身長164cm。chapitre3から登場。

ティア・フィラデルフィア……とある朝、突然統一機関のカフェテリアに現れた謎の少年。ラピスの名簿に記録されておらず、人々の話す言葉を理解できない。登場時は10歳前後、身長130cm程度。chapitre1から登場。

サジェス・ヴォルシスキー……かつて統一機関の幹部候補生だったが、今の立場は不明。リュンヌたちの前に現れたときはゼロという名で呼ばれていた。赤いバンダナで首元を隠している。登場時は21歳、身長172cm。chapitre11から登場。

ラム・サン・パウロ……統一機関の研修生を管理する立場。かつて幹部候補生だったが現在は研修生の指導にあたっており、厳格だが褒めるときは褒める指導者。登場時は44歳、身長167cm。chapitre3から登場。

エリザ……かつてラ・ロシェルにいた女性。素性は不明だが「役割のない世界」からやってきたという。リュンヌと話すのを好み、よく図書館で彼女と語らっていた。笑顔が印象的。登場時は32歳、身長155cm。chapitre9から登場。

カシェ・ハイデラバード……統一機関政治部所属の重役幹部。有能で敏腕と噂されるがその姿を知る者は多くない。見る者を威圧する空気をまとっている。ラムとは古い知り合い。登場時は44歳、身長169cm。chapitre12から登場。

リヤン・バレンシア……バレンシア第43宿舎の住人。宿舎の中で最年少。年上に囲まれているためか無邪気な性格。登場時は17歳、身長152cm。chapitre31から登場。

アンクル・バレンシア……バレンシア第43宿舎の宿長。道具の制作や修繕を自分の「役割」に持つ、穏やかな雰囲気の青年。宿舎の平穏な生活を愛する。登場時は21歳、身長168cm。chapitre33から登場。

サテリット・バレンシア……第43宿舎の副宿長。アンクルの相方。バレンシア公立図書館の司書をしている。とある理由により左足が不自由。あまり表に現れないが好奇心旺盛。登場時は21歳、身長155cm。chapitre33から登場。

シャルル・バレンシア……第43宿舎の住人。普段はリヤンと共に農業に従事し、宿舎では毎食の調理を主に担当する料理長。感情豊かな性格であり守るべきもののために奔走する。登場時は21歳、身長176cm。chapitre33から登場。

リゼ・バレンシア……かつて第43宿舎に住んでいた少年。登場時は16歳、身長161cm。chapitre35から登場。

フルル・スーチェン……MDP総責任者の護衛及び身の回りの世話を担当する少女。統一機関の軍部出身。気が強いが優しく、MDP総責任者に強い信頼を寄せている。登場時は17歳、身長165cm。chapitre39から登場。

リジェラ……ラ・ロシェルで発見されたハイバネイターズの一味。登場時は22歳、身長157cm。chapitre54から登場。

アックス・サン・パウロ……コラル・ルミエールの一員。温厚で怒らない性格だが、それゆえ周囲に振り回されがち。登場時は20歳、身長185cm。chapitre54から登場。

ロマン・サン・パウロ……コラル・ルミエールの一員。気難しく直情的だが、自分のことを認めてくれた相手には素直に接する。登場時は15歳、身長165cm。chapitre54から登場。

ルージュ・サン・パウロ……コラル・ルミエールの一員。本音を包み隠す性格。面白そうなことには自分から向かっていく。登場時は16歳、身長149cm。chapitre54から登場。

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