chapitre72. 明日
文字数 10,688文字
ベッドの片隅に腰掛けたロンガは、そうだな、と応じて窓に目をやった。ここ数日間は雪のちらつく曇天が続いたが、今朝になって分厚い雲は彼方に去り、ラ・ロシェル上空には鮮やかな青が広がっていた。
12月にしては珍しいほどの好天に、心なしか気分も明るくなるような気がした。先日から始まった地下との交渉も比較的順調なので、このまま上手く行くのではないか、と根拠もないのに思った。口調にもそれがにじんでいたのだろう、会議で決まった内容をアルシュに伝えていると、彼女がふと口元を緩めた。
今日はなんだか嬉しそう、と言って少し伸びてきた前髪を指先で払いながら笑う。
「天気が良いからかな」
何の気なしにロンガが言うと、アルシュは頷き返してから、何かに思い当たったらしく真顔になった。彼女は身体を斜め後ろにねじって、窓ガラスの向こう、街並みの上に昇る太陽をじっと眺めた。
「何かあったか」
「ううん、私たちは何気ないところで、太陽の恩恵を受けてるんだなって……そう思った。ずいぶん、今更な話なんだけどね」
「え? ――ああ」
彼女が“ハイバネイターズ”のことを言っているのだと、遅れて気がつく。太陽を手にいれることを悲願として蜂起した彼らに比べ、ロンガたち地上の人間はあまりにも当たり前にその熱を享受している。彼らが地上に向けて反旗を翻したときに、初めてその恩恵を自覚したのだが、それからしばらく経った現在でも、時折忘れそうになってしまう。
晴天の日に太陽の光を浴びられることは、総勢18万のラピス市民のうち、過半数が持っていない特権だった、ということを。
遠くの山々や、向かいの家の屋根、ベッドのフレーム、アルシュの髪の毛、自分の指先。全てを包み込む白く柔らかい煌めきによって初めて、世界が色を持って、意味を成して、ロンガの瞳に飛び込む、ごくありふれた奇跡。
*
太陽の光の届かない地下500メートル、ハイバネイト・シティ下層に、朝と定義された時間が訪れる。
硬い床で眠ったせいだろう、背中が変に凝っていて、身体を伸ばすと節々が痛かった。まだ眠っているティアとカノンを起こさないように静かに立ち上がって、ソレイユは窓から下を見下ろした。サジェスが話しているときとは違って照明が落とされているが、ステージの上で眠っているエリザの顔が判別できるくらいの明るさはあった。
今、彼女は何を考えているだろう。
かつてソレイユがラ・ロシェルを脱出したとき、一時的に今のエリザと同じような生命凍結状態になった。そのとき、身体は指先までぴくりとも動かせなかったが、意識が完全に消えていたかというとそうではない。棺に収められた花の芳香や、上へ下へと揺すられる船底の振動や、自分の胸にすがって泣く人の体温を、はるか遠い場所で感じていた。夢の中のように朧気ではあるものの、生命凍結状態にあっても少しは何かを考えることができたのだ。
その時の自分と同じように、眠るエリザがその周囲で起きていることを知覚しているとしたら、一体彼女はいま何を思っているだろう。“
今もまだ祈っているだろうか。
彼女にとっては遠い子孫にあたる自分たちラピス市民が、地上と地下に分かれて争う様子を、本当はどう感じているのだろう。もしも自分なら、とても耐えられるとは思えなかった。
ソレイユはエリザの顔から目を逸らし、記憶の中で微笑んでいるエリザのことを思い出そうと試みた。白銀色の変わった瞳を持っていたとサジェスが言っていたが、どうにも詳しくは思い出せない。当時の自分は、図書館にこもって本を読むよりも、ラ・ロシェルの街並みを端から端まで飛び回ることのほうが楽しいと感じていたのだ。
今でもその性格は変わっておらず、読書にそこまで楽しみを見いだすことはできない。だが、そのせいでエリザと話す時間がほとんど作れなかったことは、ソレイユの半生における大きな後悔のひとつだった。
だから正直、彼女のことをあまり明確に覚えているわけではない。でも、エリザが誰よりも優しい人だったこと、それだけは確かだ。自分の権利が奪われたからといって他人を責めようとするような人では、絶対にない。
そう分かっているからこそ、今のエリザに意識があるかもしれない、と思いついてしまったことを後悔する。情けない話だが、気がつかないままでいたほうが、心の安寧は保てただろう。しかし、ひとたび思いついてしまった以上は目を逸らすわけにもいかず、腹をくくって、眠るエリザを再び見下ろした。
エリザ――と胸の中で呼びかける。
貴女ならどう思うだろう。
お互いの罪を乗り越えて許し合える未来がやってくる日はあるのだろうか。地上を照らす太陽と、地下に集積された知識が、どちらか片方に独占されたものではなくなる日はあるのだろうか。白銀色をしていたという、未来を見通す目ならば、このラピスという小さな社会が向かう先も見えているのだろうか?
*
ルーティン通りに動く人間は、良くも悪くも、非常事態においても日常を継続しようとする。ハイバネイト・シティ下層は相変わらずひりついた雰囲気に満ちているものの、大多数の“
ソレイユも彼らに倣う。カノンとティアと連れだって行動している以外は、昨日までと何ら変わらない日常だった。時折、激しい口調で言い争っている集団や、暗い顔を合わせて俯いている集団に出くわすが、それは今に始まったことでもなかった。ただ、少し比率が増したかなと感じる程度だ。
午前中の作業を終えて休憩室に向かい、カノンたちと話していると「なあ」と見覚えのある顔が話しかけてきた。記憶の中をたどって瞬時に名前と顔を合致させ、「ああ」と笑顔を返す。
「君は、イルドだよね。何日か前に昇降装置のなかで会った」
「よく覚えてるな」
イルドは小さく眉を下げた。
「俺、謝ろうと思ってたんだ。あの時さ、地上からメッセージが来たなんて言っただろ、正直なところ嘘だと思ってたんだよ」
「それを気にしてたの?」
彼の律儀さにソレイユは驚いた。
「あんなの、ただの噂だったからさ。別に良いんだよ」
「だとしても俺は――地上の奴らが、地下にいる俺たちのことすら
「イルド?」
彼が発した単語のいくつかを聞き落とし、ソレイユは困った視線をちらりと背後に向ける。しかし、ただでさえ白いその顔から、さらに血の気が失せていくのが分かった。くそっ、と吐き捨てるように言って、イルドは頭を抱え込む。
「信じられない。嘘だろう。地上の人間なんていくら死んでも構わないと思ってる、俺みたいな奴がいっぱいいて、ろくに考えもしないまま攻撃の提案に【賛成】を押してる」
「それは――今から、変えていけば良いよ」
「俺は変えたんだ。今日は一個だって【賛成】を押さなかったのに、結果として通った提案の数はほとんど同じだった」
「ブレイン・ルームにログインしてるだけで万単位いるんだ。仕方ない」
肩の後ろから、カノンが割り込んで言った。
ソレイユは借りた
ソレイユが密かに危惧している、バレンシア・ハイデラバード街境への攻撃もとくに撤回はされないまま、数時間後に決行される。地上と地下が手を取り合うと決まってみたところで、すぐ何かが変容するわけではないだろう。
しかしイルドは、自分が思い切って行動を変えたのに何一つ変化が得られなかったことに戸惑い、絶望しているように見えた。どう声をかけるべきか悩んでいると、後ろから肩をつつかれる。カノンが間に割って入り、「あんた、イルドと言ったか?」と声をかけた。
「良いか、地上に攻撃がなされるのは、俺たちの総意として数字の上で決まったからだ。あんた自身の考えとは関係ない。あんたは悪くない」
「カノン君?」
戸惑ったソレイユが声を上げると、「ちょっと黙っとけ」とカノンの口元が動いた。
「気になっちまうのは分かるが、自分が投票した提案の可否は見ない方がいい。気が滅入るだけだ」
「……ああ。ありがとう」
幾分落ち着いた顔になり、イルドは立ち上がった。良かったら持っておいてくれ、と自分の
彼は声を潜めてソレイユに問いかけた。
「シェル君が噂を広めた相手か、あれは」
「うん。なんだか落ち込んでいた」
「どうしてか分かるかい?
「――え」
「意味は分かるか? あんたは地上の人間も、“
「そうだけど」
「だが、もう拳を振り下ろしてしまった後で、実は相手は痛みを感じることのできる人間でした、と言われたんだ。あんたが、言った」
「――カノンさん」
徐々に顔つきが険しくなっていくカノンの肩を、後ろからティアの小さな手が掴む。そこで我に返ったのか、気まずそうな顔になってソレイユから目を逸らした。行こう、と呟いて立ち上がったので、ソレイユも仕方なく後を追う。
心臓が苦しかった。
そこから血管を通じて、身体中に脈打つ痛みが広がっていった。
――あんたが言った。
――ぼくが、イルドを苦しめた。
カノンの言った言葉はいつしかソレイユ自身の声に起きかわって、いつまでも頭の中を巡り続けた。
その午後。
とある情報がハイバネイト・シティ下層に舞い込んだ。
“
*
そのときロンガは、用事の帰りにコラル・ルミエールが生活を送る教堂に立ち寄って、
リジェラが振り向いて、声を潜めて話しかけてくる。
頬の痣は、かなり薄くなっていた。
「楽しそうに歌っているけど、きっと、簡単なようですごく難しいのよ」
「でしょうね」
「ルージュもアックスも――ロマンも、全然違う声を持っている。なのに、こうやって合わせると『コラル・ルミエール』の声になる。混ざり合うんだ。不思議ね」
「混ざり合う……」
ロンガは少し視線を上げて、教堂の壁を彩るステンドグラスに目をやった。
「色や、光のように。音もまた、形がないから混ざり合える?」
「それは少し違うと思う」
ロンガの呟きに、リジェラは小さく顔を振って見せた。
「声には形があるよ。だって皆の声は、いつもは別々に聞こえるもの。混ざり合った歌声は、きっと、すごく拡大して見れば、手を取り合っているんじゃないかな」
「――なるほど。そうですね、私も、そうであってほしいな」
地上と敵対しているはずの地下からやってきたリジェラが言うと、そこには言葉通り以上の含蓄があるように思えて、ロンガは思わず深く頷いた。
そのとき、背後の扉が音を立てて開く。
走ってきたのか息が荒れているリヤンが教堂に飛び込んできた。振り向いたロンガとリジェラだけでなく、合唱を中断した
ロンガは立ち上がり、
「何かあったのか」
「ロンガ……どうしよう」
大きく見開いた目から、涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
「バレンシアが攻撃されて、それで火事が起きて――」
あたしたちの
リヤンの唇はたしかにそう動いたのに、声は聞こえなかった。世界の全てが反転して、手が届かない場所に行ってしまった気がした。「ねえ」とリヤンに肩を揺すられて、ようやく我に返り、その手を掴んで聞き返す。
「燃えたって? 第43宿舎が?」
「そうなんだってば、だから」
泣きながらリヤンが眉を寄せて、叫ぶように言う。
「あたしたちの家だよ」
「……みんなは。アンは、シャルルは、サテリットは?」
あの家に残してきたはずの、懐かしい顔ぶれを思いながら言うと、リヤンの顔が曇った。まだ分からないの、と小さい声で言う。
バレンシアの伝報局から、安否が確認された者の名前が続々と送られてきているそうだが、確認が追いつかないのと、
ロンガはコラル・ルミエールに断って急いでMDP本部に戻り、伝報局員を努めていたころの本来の仕事である、各都市から届いた手紙を仕分ける作業を手伝った。
無事な者の名前は黒いペンで、亡くなった者の名前は赤いペンで、紙に書き付けていく。MDP構成員や、ラ・ロシェルの伝報局員が広くかき集められて作業を進めたが、なかなか追いつかなかった。というのも“ハイバネイターズ”がその姿を現してからは、これら本来の仕事はどうしても後回しになり、重要度の高い手紙以外は仕分けられていなかったせいで、古いものと新しいものが混ざってしまったのだ。
膨大な量の書類から、どうにか今回の火災に関わるものを見つけ、名簿と照らし合わせてひとつひとつ確かめていく。いくらバレンシアが小規模な街とはいえども、二千人を超す住人の安否を確認するのは簡単な作業ではない。会議を終えたMDP構成員が参加して、人手が増えてきたので、ロンガとリヤンは手紙を仕分ける役割に回った。
顔見知りの構成員を見かけたので、バレンシアに友人がいると伝えると、彼はアンクルたちの名前を聞き出して「見つけたらそっちに回しますよ」と言ってくれた。礼を言って作業に戻る。黙々と単純作業に打ち込むことで、あまり余計なことを考えずに済んだ。
陽が傾きかけるころ、あ、とリヤンが小さく声を零した。彼女は顔を上げ、光を失って鉛玉のようになった目をこちらに向ける。背筋を嫌な感覚が駆け上がったが、彼女は顔を伏せて、四つ折りの紙をこちらに差し出してきた。
「ごめんね、怖い……代わりに読んで」
「……分かった」
何が書かれていてもいいように心を沈めて、手紙を開く。角張ってやや斜めになった文字を見て、その内容よりもまず、書いた人の顔が思い浮かんだ。
「――シャルルの字だ」
思わず呟いたロンガの言葉に、リヤンが無言で頷く。ロンガと同じく、字を見た時点で差出人に気がついてしまい、その続きを確認する気力が奪われてしまったのだろう。
次に日付を見る。
古かった。
「ええと――」
それから心を鎮めて、続きの文に目を通した。言葉のつながりが頭の中で意味を成したときに思わず、えっ、と声を上げてしまった。リヤンが不安そうな顔をこちらに向ける。書いてある内容を直接伝えるか少し悩んだが、結局そのまま伝えた。あまり大声で言うようなことではなかったので、隣にいるリヤンにだけ聞こえるよう声を潜める。
「サテリットが、その――妊娠したらしい」
「……うぇ? え?」
リヤンが、何かを喉に詰まらせたような素っ頓狂な声を上げる。充血した目を見開いて、ほのかに赤くなった自分の頬をぱちぱちと叩いた。
「それで、ええとここからが本題なんだが――」
そう言って耳を寄せるようにジェスチャで示し、周囲で作業している人々に聞こえないよう、さらに音量を抑えて囁く。
「地下への入り口を偶然見つけたらしいんだ。そのとき、地下なら出産に備えた設備があると聞いたらしくて――だから3人で地下に向かうと、そう書いてある」
「つまり無事、なんだね」
「きっと」
明言するには少し気後れしたが、それでも頷いてみせると、張り詰めていたリヤンの表情が雪解けのようにとろけて、堰を切ったように涙が落ちた。手紙を濡らしそうになる涙を、慌てて服の袖で拭いながら「良かったぁ」とかすれ声で言った。
事情を察したのだろう、近くで作業をしていた何人かの伝報局員が、穏やかな目でこちらをちらちらと見ていた。そちらに向けて頷きを返してみせると、良かったね、と口々に言われた。ロンガはリヤンほど感情をまっすぐに出せないが、それでも胸がたしかに暖かくなる。凍りついてしまった心臓が、ようやく動き出した感じがした。
涙を拭ったリヤンが、シャルルの手紙を改めて読み返している。最後まで読み終えると折り目に沿って畳み直し「そっかぁ」と呟いた。
「2人の子供が生まれるんだね」
リヤンの頬が赤いのは多分泣いたせいだけではないだろう。そうだな、と当たり障りのない返事を返しながら、ロンガは彼女の表情をひそかに伺った。
新たな
だが。
リヤンはロンガと同様、自然妊娠によって生まれた
それ自体は善でも悪でもない。でも、
ロンガの心配をよそに、彼女は丸い頬に満面の笑みを浮かべてみせた。
「きっとみんなは大変だけど、でも、嬉しい」
「そうか――リヤンも喜んでくれるんだな。良かった」
「えっ。あぁ、リゼのこと?」
亡くなった兄の名前を、彼女はさらりと口にした。あまりにリヤンが堂々としているので、今度はロンガの方がたじろいでしまって、「いや、そうなんだが」としどろもどろになりながら言う。
「悪い。気にしていないなら良いんだ。余計なことを言った」
「ううん。あたしだって――今でも、リゼが死んだこと、死なせた人たちを許してるわけじゃないよ」
もともと下がり気味の眉をさらに下げてから、でもね、と自分自身を励ますように明るい声で言う。
「でもさ、それは、襲った人たちが悪いんだよ。あたしもリゼも、あたしたちを生んでくれた誰かだって悪くなんかない。その人たちがいなければ、あたしがここにいないのも本当」
「――そうだな」
「リゼだって絶対、そう言うもん。ロンガはそう思わないの?
「そんなわけない」
ロンガがきっぱりと顔を振ると、でしょ、と言ってリヤンが笑った。花が咲くようなその笑顔だけは、彼女と出会ったころからずっと変わらない。でも内側に秘めている心は、いつの間にか、ずいぶん成長したように感じた。
「何だか、頼もしくなったな。リヤン」
ロンガが褒めるつもりで言うと、何それ、とリヤンは唇を尖らせた。
「今まで頼もしくなかったみたいな……」
「大人びたな、と思ったんだ」
「だってもう17だもん」
リヤンは折りたたんだ手紙を脇に置いて、次の書類に手を伸ばしながら言った。
「気づいちゃったんだよね。16で死んじゃったリゼより、今のあたしの方が年上なんだ。あたしだって、いつまでも妹じゃないんだよ。毎日少しずつ大人になっていくんだ」
ロンガは頷いて、次の仕事に取りかかる。
傾いた太陽が山並みの向こうに消えようとしていた。ひとつひとつ、太陽が昇るたびに、新しい自分に近づく。明確な未来の象徴としてやってくる明日を、リヤンが言ったとおりひとつひとつ積み重ねるしかできることはないのだ、と思った。
*
バレンシアが炎に包まれたニュースを耳にしたソレイユは、ひとり居室に戻って、電気も付けないままマットレスに顔を押しつけた。時間が止まってしまったような静寂の中で、何かを考える気も、誰かと話す気もせず、ただひたすら自分がここにいることを忘れようとしていた。
ガンガンと扉が無遠慮に叩かれる。
開けろ、と外で叫ぶ声がした。うるさいなあと呟いて、顔だけを動かし扉の方に視線を向ける。前髪に変な向きの癖がついてしまい、弧を描いて視界に入り込む。邪魔だった。
そのまま虚空を眺めていると、絶え間なく響いていた打撃音が変わった。より硬質なもので叩いているような音だ。例えば銃床とかかな、とソレイユがぼんやり考えている間にも、外で叫んでいる声は大きくなっていく。
「あんたにとって悪い話じゃない」
「――聞きたくない」
自分でも驚くほど弱々しい声が口から出た。対する、扉の向こうの声は全く揺らがず「良いから開けな」と強い調子で言う。
「そろそろ鍵を撃って壊すよ」
「なにそれ……ぼく、中にいるんだけど。殺す気なの?」
「軽口を叩く元気があるなら開けろって話だ」
立ち去るくらいなら本気で扉を吹き飛ばしそうな勢いだったので、諦めてソレイユは立ち上がり、扉を開けた。カノンがこちらを見下ろすように立っていて、酷い顔だね、と言って笑う。カノンは居室に入ってから内鍵をかけ直し、そして開口一番「あんたの友達なら無事だよ」と言った。
「あの子は今、ラ・ロシェルにいる。アルシュちゃんと一緒だ」
「……嘘だ。可能なわけない」
「統一機関が崩壊して、監視の目がなくなってから、街と街を渡り歩くのはずいぶん簡単になった。あんたは獄中にいたから知らないだろうけどね」
「だとして、カノン君が知ってるわけない」
「いいから考えてみな。ティア君が交渉してる、親しい奴ってのは誰なのかをさ。2年前にラピスに来たばかりのティア君に、そこまで知り合いがいる訳じゃないのはあんたも分かってるだろう」
マットレスに倒れ込んだまま、ソレイユはカノンの言葉を半ば聞き流していた。普通より何倍も時間をかけて、その回りくどい言い回しの意味を頭の中で再構成する。十数秒後に、稲妻のようなひらめきが走って、その勢いのまま跳ね飛ぶように起き上がり、ベッドに腰掛けていたカノンの胸ぐらを掴んだ。
「ロンガ・バレンシアって」
「あの子の偽名だ」
「はぁあ!? 何それ、最低だな君は!」
「悪いな」
「信じられない。あぁ、もう……」
身体の底が抜けるような虚脱感に襲われ、その場に崩れ落ちる。身体中の筋肉がなくなってしまったのかと感じるほど、力が入らなかった。しばらくしてよろめきながら立ち上がり、長い溜息をついてベッドにどさりと腰を下ろす。
横に座っているカノンをじろりと睨んだ。
「教えてくれてありがとう。礼を言うよ」
「人に感謝する顔じゃないね」
「当たり前だ」
友達に向けるには少々力を込めすぎた拳を、カノンの胸板に叩きつける。ソレイユとカノンでは体格が違いすぎるので彼は微動だにしないが、その方が罪悪感なく殴れるので都合が良かった。
溜息が絶え間なく口から零れる。
「たしかに、良かったよ。彼女は無事なんだからさ。でもね――」
*
MDP本部からの帰り道、ふとロンガは顔を上げた。
星のきらめく凍りついた空が、無表情に見下ろしている。隣を歩いているリヤンが、ロンガの歩みが遅くなったことに気がついて振り向いた。
「どうしたの?」
リヤンはその手にパンの入った袋を抱えている。MDP本部で、宿舎の仲間が無事だったと伝えたら、半ば強引に押しつけられた祝いの品のようなものだ。今晩は豪勢にしよう、と先ほどまで笑いながら話していたのだが、ふと違和感に気がついたのだ。
「宿舎のみんなは無事だった」
「うん、良かったよね」
「でも――」
続きを言おうとして、はっと気がつく。仲間の無事を純粋に喜んでいるリヤンに向けて言っていいような話ではなかった。何でもないよ、と無理に笑ってごまかして、何歩か先を歩いているリヤンに追いついた。
たしかに第43宿舎の仲間こそ助かったが、その影で何人も亡くなったのに。そのことを忘れて、ただ知り合いが無事だっただけで手を取り合って喜んでしまった。罪悪感が胸の奥に刺さり、噛みしめれば噛みしめるほど苦かった。