chapitre159. 少年と罪と
文字数 8,816文字
――新都ラピス ハイバネイト・シティ第15層
およそ十メートルほどの高低差を、細い階段が斜めに横切っている。地上の建物で言えば、三階建ての屋上から地面を見下ろす程度だろうか。
カツン、カツンと足音が響く。
ペンライトを握りしめた
「よっ――と」
軽く声を上げて、彼は最後の一段を降りる。
それから振り向いて、上で見ていたアルシュたちに向け、無事をアピールするように、ペンライトの光を振ってみせる。思わず安堵の息をこぼしながら、アルシュは柵から身を乗り出して声を張った。
「無事で良かったです。問題なさそうですか?」
「いや! かなり揺れるんで、ひとりずつ、ゆっくり降りてください」
「俺が先に行こう」
カノンがそう言って、同意を求めるようにこちらを振り向く。
「あんたとティア君は最後に」
「最後?」
あまりにも当然のように言われて、アルシュは首を捻る。
「いいけど、どうして」
「どうしてって……ここにいる人間を見れば、当然の采配だろう。俺や彼らみたいな大柄な人間が、あんたら目掛けて足でも滑らせたらどうする」
呆れたように言って、彼はさっさと階段を降りてしまった。
取り残されたアルシュは一瞬ティアと目を見合わせて、それから周囲をぐるりと見回す。地下に残って発電棟を目指すことを選択したのは、アルシュとティアを除けば、みな大柄で体力のありそうな男性だった。
ふと疑問に思う。
迷わず地下に残ったのは、果たして正しい選択だったのだろうか。
自分がMDPのトップであり総責任者なのだから、もっとも危険な場所に赴くのも、当然の責務だと思っていた。だけど、アルシュという人間のステイタスを客観的に見たとき、体力や体格は、良くて平均より少し上程度だろう。
MDPという、自分自身が作ったグループを率いて動いているはずなのに、アルシュは不意に、肩身の狭さのようなものを感じた。
「まあ……あの人の言うことも、一理ありますよ」
思わず難しい顔で考え込んでしまったアルシュに、取りなすような宥めるような口調で、構成員のひとりが言う。
「平時なら、転げ落ちたところで、自分の安全だけ気にしてれば良いですけど――貴女や、そちらの少年が下にいると思うと、そうも言っていられないですからね」
「そう……ですよね」
思わず声が萎んでしまう。
「何だか私、かえって気を遣わせてるみたいで。ごめんなさい」
「いや、まあ――慣れてますよ」
「慣れ?」
ぱちぱちと瞬きをすると「だって」と彼は顔を横に引いて笑った。
「貴女って、そういう人じゃないですか。ラ・ロシェルに砂が撒かれたときに、上に残ろうとしたのとか、そもそも寝る間を惜しんで働いてるのだって……俺たち構成員は、ずっと、貴女のそういうところ、心配してるんですよ。気付いてましたか?」
声は軽かったが、物腰は真剣だった。ふたりの会話を聞いていた他の構成員たちも、苦笑を浮かべつつ、彼の言葉に同意するように頷いてみせる。
「――そんな、ことは」
アルシュは反射的に首を振りになったが、今の自分が分不相応に危険な場所にいるのは、否定しようもない事実だ。言葉を喉の奥で詰まらせたアルシュは、そこでふと、カノンに言われたことを思い出した。
『俺にはあんたが、あんた自身を軽んじているように見える』
「あ――」
あれはそういう意味だったのか、と今さらながらに気がついた。まったく違う場所で同じように言われるということは、つまりアルシュは客観的に見て、向こう見ずで軽率な行動ばかりしている――ということ、なのかもしれない。
頬が火であぶられたように熱くなる。一方で身体の内側は氷を差しこまれたように冷えていき、アルシュはよろめきながら一歩後ろに下がった。
「そのっ、私――心配ばかり掛けてたみたいで」
笑おうとしたのに、声が勝手に上ずる。悔しさと不甲斐なさで、胸が破裂しそうになった。涙が勝手に湧き上がってくるが、構成員たちの前で、まさか泣くわけにもいかない。
「……ごめんなさい」
「え、あ、いや……」
目尻に力を入れて謝ると、とたんに彼は慌てた雰囲気になって「違います」としどろもどろで言った。
「あ――謝って欲しいわけじゃなくて、俺は。その……貴女の、自分を省みないくらい前を向いているところがなかったら、MDPはここまで来れなかったと思いますよ。貴女は、それで良いんじゃないですかね」
「おい、無責任なこというなよ、お前」
少しはにかんだような声に被さるように、聞いていた周囲から野次が飛んだ。事態についていけないアルシュは、ぱちぱちと瞬きをして周囲を見回す。
「無責任?」
「だって、そうでしょう。身体はひとつしかないんだから……無理をするのが良いなんて言われたら、死ぬまで働きますよ、この人」
「死ぬまでって」
アルシュは悪い冗談だと思って苦笑いしたのだが、言い出した当の本人は「違いますか?」と不思議そうに首を傾げた。
あながち誇張された表現でもないらしい。
そんな目で見られていたのか――と驚いていると、階段の下からライトを振られる。光がもろに網膜に刺さり、暗闇に順応した目が焼けそうになった。先に階段を降りていたカノンが下のスペースまで辿りついて、それを
「あ――じゃ、次、俺行きますね」
こちらを一瞥して微笑んでから、構成員のひとりが降りていく。彼らは整然と移動をこなし、すぐにアルシュの番になった。階段の上に残されたアルシュは背後を振り向いて、肩身が狭そうに立っているティアの方を振り向いた。
「先に行く。ティア、貴方は最後に」
「えっ、あの……」
ティアはこちらに手を伸ばしたが、途中でぐっと拳を握って「分かりました」と頷く。アルシュは返事の代わりに頷き返して、金属パイプの手すりをぐっと握りしめ、一段ずつ階段を降りていった。体重をかかとから爪先に移動させるだけで、足下が音を立てて軋むのが分かる。ようやく仲間に追いついたときには、暑くもないのに首元が汗だくになっていた。
天井に向けてペンライトを振り、ティアに合図を送る。
両手でパイプを握りしめながら降りてくるティアを、アルシュは息を詰めて見守った。遠目に見ると少年の身体はさらに小さく、ひとつ躓けば、手すりと床の隙間から転げ落ちてしまいそうだ。
ぎぃ、と耳障りな音を立てて支柱が軋むたび、誰かが息を呑む。
握っている手に思わず力がこもる。気がつけば、彼が友人の仇であることなど頭から抜け落ちて、アルシュはひたすらにティアの無事を祈っていた。どうにか下まで辿りついたティアが「お待たせしてすみません」と開口一番で謝ったときに初めて、アルシュは自分の心が不思議なほど凪いでいるのに気がついた。過熱してもいなければ氷のように冷えてもいない、ごく自然体の自分で、誰よりも憎んだはずの相手を見つめていた。
「……アルシュさん?」
ティアが戸惑ったような表情でこちらを見上げていて、はっと我に返る。早口で「何でもない」と呟いて、アルシュは彼から視線を剥がした。
「行きましょう」
構成員のひとりが先頭に立ち、背丈ほどの高さの梯子を降りる。その先の壁は、少し身を屈めればくぐれるサイズの長方形にくりぬかれていた。管理用の通用口らしい。仲間の後を追って通用口を抜けたアルシュは、その向こうに広がっていた空間に思わず声をこぼした。
「うわ、広っ――」
そこには、想像をはるかに越えて巨大な空洞が広がっていた。ペンライトの光が吸い込まれていくほどの暗闇は、宇宙を思わせる。見下ろした下方に、辛うじて、真っ黒な水面が広がっているのが見えた。
ハイバネイト・シティ内にいくつも存在する貯水槽のひとつだ。損壊が起きたのはここではないが、もしこれだけの水量が下層に流れ出したら――と想像して、アルシュは思わず唾を飲み込んだ。
「早く行きましょう」
怯えのにじんだ声で誰かが言う。
アルシュは小さく頷いて、貯水槽の壁沿いに張りついた細い通路を、足早に通り抜けた。数十メートル進むとふたたび通用口があり、また似たような構造の階段をのぼって、しばらく歩く。
午後二時十五分、一行は発電棟に辿りついた。
そこは、貯水槽と同じか、それ以上に広い空間を占有して築かれた、広大な人口空間だった。ドーム型に固められたコンクリート天井の下に、大小無数の建築物が並んでいる。なかでも目立つのは、上に行くにつれ窄まっていく巨大な円筒だった。ドームの中央に鎮座しているそれの上端は、天井と融合している。
「あれは……?」
「冷却塔、ですね」
ティアがマニュアルを参照しながら答える。
「発電に利用した温水を冷却するために設けられた塔です。同時に、この空間の支柱としても機能しているようですね――あの近くに、コントロール・ルームがあるので、そちらに向かいましょう」
彼に先導され、空中に張り巡らされた管理用通路を抜けて、一行は円筒の根元まで辿りつく。ティアが言ったとおり、冷却塔の近くに二メートル四方程度の小さな部屋がある。部屋の中にはパネルと操作盤があり、規模は小さいもののコアルームによく似た構造をしていた。
「これ……コアルームにも、あった」
アルシュは端子のひとつを持ち上げ、
「ダメみたい」
「直接、見て回ろう。その方が早い」
カノンがそう提案して、ティアが同意するように頷いてみせる。地下での滞在が長い彼らの意向に従うと決めて、アルシュたちは手分けしてドームを回った。
発電棟はいくつもの区画に別れている。
中央の冷却塔、それを取り巻くように存在する合計六基のタービンと、各タービンに付随する管理施設――立体投影された地図で構造を確認しながら、各区画での異常の有無を示す安全灯を確認していく。
異常を発見したのは、ドームをちょうど半周するころだった。
「あ……! あれ、見て下さい」
構成員が斜め下を指さして叫んだ。
平時なら白く光っている安全灯が赤に変わり、物々しい色彩で周囲を照らしている。一行は階段まで折り返して下の階層に降り、幾度かフェンスに阻まれながらもランプの足下まで辿りついた。
「ここは……何の施設?」
「排水設備、らしい」
マニュアルを参照していたカノンが振り返って言った。
「周辺地盤の水圧が異常に減少した場合、熱水が逆流してシステムに異常をきたす恐れがあるため、緊急停止装置が作動する――と、記述がある。多分、これだ……対処法は、予備排水路の解放、とあるが」
「予備排水路?」
「通常なら地下水として排出するんだが、時間当たりに排出できる水の量が限られているんだ。それでは間に合わなくなった場合のために、別の水路が引かれている」
「そっちは無事なのかな」
「分からないが、マニュアル通りやってみる以外ないんじゃないかい」
「まあ、そうだけど、うーん……」
アルシュは唇を尖らせた。
「地下水圧が原因で止まってるなら、他の水路だって使えないんじゃ」
「それは、水路がどこに繋がっているか、それ次第だが……遠方の井戸に繋がっているなら、使える可能性もある」
投影された立体地図を、カノンが指で辿って「これだ」と呟いた。水路を示すらしい破線が、方角にして北東方向に伸び、地図の描画範囲外まで続いている。その先は確認できないが、どうやらかなり遠方まで続いているようだった。無傷の排水路が確保できれば、発電棟を再起動できるかもしれない。
だが、賭けではあった。
ハイバネイト・シティにおいて、配水系統とは血管のようなものだ。至るところで浸水が発生している現状で、水の流れを大きく変えるのは、ともすれば設備のさらなる崩壊を招きかねない。先ほど抜けてきた貯水槽の広さを思い出して、アルシュは背筋がぞくりと冷えるのを感じた。
危険性を理解してのことだろう、構成員たちは黙って視線を見合わせた。彼らの心情を代弁するように、カノンが「どうする」とこちらを見下ろす。
「あんたの意見は、どうだい」
「私は……」
ぐっと拳を握ると、不意に、白い靄の向こうで出会った、もうひとりのエリザを思い出した。
彼女が口に出した、
発電を再開するにしても、リスクはある。何もかも、上手く行くとは限らない。だけど、いつまでも失敗を気にして立ち止まっているわけには行かない。
それならば、少しでも可能性のある方へ。
「私は、賭けてみたい」
アルシュがはっきりと言うと、構成員たちが力強く頷いて見せた。
*
午後三時。
コアルームに連絡して、エリザの権限で予備排水路の解放とシステムの再起動を実行してもらう。数分の起動時間を経て、地下地熱発電棟がふたたび稼働を始める。アルシュは手狭なコントロール・ルームを出て、発電棟を見回した。
タービンの回転に合わせて、ドーム全体が小さく振動している。
鼓動のようだ、と思った。
考えてみれば発電棟は、ハイバネイト・シティにとっての心臓のようなものだ。そう考えれば、タービンの駆動と心臓の鼓動を重ねるのも、あながち間違いではないのかもしれない。思わず口元に浮かんだ笑いを拭ってから振り返り、アルシュはコントロール・ルームのなかに声を掛けた。
「あれ……どうしたの?」
構成員たちが離脱の準備をするなか、ティアとカノンが操作盤の前に残っていた。まだ何か作業が残っているのか――とアルシュが疑問に思っていると、カノンが振り返って「悪いが」とこちらを見た。
「少しだけ時間が欲しい。ティア君のことを、地上のMDPに伝えておいた方が良いと思ってね」
「伝えるって?」
「あ、あの――ごめんなさい」
首を傾げると、ティアが顔を蒼白にしてうつむいた。
「僕、誰にも何も言わず、出てきちゃったんです――MDPの、ヴォルシスキー支部を」
「あ……そうだったんだ」
「ごめんなさい。アルシュさんの、仲間の方にまで、僕、迷惑を――」
唇を裂けそうなほど横に引いて、ティアが頭を下げる。その向こうで、パネルを背にしたカノンが、いつになく真剣にこちらを見ていた。普段は冷静なティアが、周囲への連絡すら忘れて地下に来た理由は分かっているだろう――という声が聞こえてくるようだった。
分かっている。
アルシュは小さく頷いて、腰を屈めた。
「……良いよ、謝らなくて」
「でも」
涙が琥珀色の瞳を映して、睫毛の下で揺れている。驚くほど幼い顔立ちを正面から見つめて、アルシュは「良いから」と繰り返した。
「ティア君。今まで、私のためにと思って、いっぱい危ないことをしたんだよね」
「え、あの――」
「違う?」
視線を逸らさないまま問いかけると、ティアは数秒だけ逡巡する様子を見せてから「違わないです」と小さく首を振った。
「何の償いにもならないのは、分かってます。でも、いえ、だから……僕は、アルシュさんの役に立ちたいんです」
「うん、そうだよね」
彼がそう言うのも、分かっていた。
「メルを生き返らすのはできないから、代わりにってことだよね」
「そ――そうですっ、だから――」
「うん、だからね」
アルシュはひとつ瞬きをして、ティアの細い肩に手を置いた。
「それ、辞めよう。もう良いよ」
「えっ――」
ティアは一瞬息を止めて、それから怯えた表情になり、一歩下がる。
「で、できないです」
「どうして。私が良いって言ってるんだよ」
「だって、せめてそのくらい、させてもらえなかったら、僕は――僕はっ、あなたに償うために、ほんの少しでも罪を清算するために、今まで生きてきたんです……!」
「うん……そこまで追い込んでしまったのも、きっと、私なんだろうね」
アルシュは小さく息を吐いて、屈めていた腰を伸ばした。自分より頭ひとつぶん小さいティアの姿を見下ろす。身につけているものは服も靴もぼろぼろで、細い腕が傷だらけになって袖口から伸びている。
「ごめんね、無理をさせて。でもね、ティア君――何をしたって過去は変わらないんだ。私にどれだけ君が尽くしたって、それは、メルへの贖罪とは別なんだ。だから、もう良いよ」
「い……嫌、です、僕は……だって、償うことを辞めてしまったら、僕の罪は、どこに。なかったことになんて、できないです」
「それは違う。罪が消えることはない。でも、その上で君は、どれだけ幸せになっても良い。私のことなんか忘れて良い。美味しいものを食べて、仲間と楽しく暮らしたら良いんだ。大丈夫だよ、だって、どんな生き方をしたって、君は絶対……メルのことを忘れないから」
ティアが無言でうつむく。
アルシュは彼のつむじを見つめて、たった今交わした言葉について考えた。彼の罪を許すとも、メルのことを忘れて良いとも言えなかった。彼にとって、唯一罪悪感を晴らせるのがアルシュへの献身だったのなら、その手段を失うことで、今後ティアはかえって苦悩するのかもしれない。
それでも。
子供がこんな危険に身を晒すよりは、
「連絡ついた?」
「ああ、着いたんだが――」
ティアとの会話は聞こえていたはずだが、いつも通り感情の薄い声でカノンが応じる。
「どうも厄介なことになってるね。ティア君だけじゃなく、構成員が三人いなくなったとかで……そっちに居ませんかと、逆に訊かれてしまってね」
「三人?」
「秋頃にあんたがスーチェンを尋ねたとき、一緒にいた子なんだが」
「スーチェンって――え、フルルのこと!」
フルルとは、アルシュが地上にいた頃に身辺の警護や世話を務めてくれた少女の名前だ。アルシュが地下に来てからは連絡をあまり取れずにいたが、彼女の故郷でもあるスーチェンに戻り、MDPの支部で生活していると聞いていた。カノンを押しのけてパネルの前に向かい、地上から送られてきたメッセージに目を通す。
「フルルとリヤンと……えっと彼は、たしかスーチェン支部の。いなくなった? どうして」
「ちょっと操作盤を貸してくれ」
カノンが横から手を伸ばして、いくつかのコマンドを実行させる。数秒後に開いたウィンドウを見て、彼は「やっぱり」と小声で呟いた。
「地下にいるね」
「え? 地下のどこに」
「第24層……足取りを追跡するに、おそらくは地上からやってきて、MDP側の人間として避難補助に当たっているようだ」
「えっと……そうなると」
ひとまず居場所が判明して良かったが、それだと別の疑問が沸いてくる。
「なんで、MDPがそれを把握してないんだろう。避難補助のために地下に来たのに、支部の人間が関与してないことなんてあるかな」
「うぅん……」
カノンが曖昧な声で唸って、身体を背後に捻った。そこにいる少年を一瞥して「もしかしたら」と呟く。
「ティア君を追ってきたのかもしれない」
「――え」
まだ虚ろな表情で立っていたティアが、突然名前を呼ばれて、びくりと跳ねるように背筋を伸ばした。カノンは再び視線をパネルに戻して、ウィンドウの一部を指で指し示す。
「ほら……彼らが地下に来たのは、昨日の昼だ」
「あ……本当だ」
アルシュは頷く。昨日の昼といえば、まだ浸水が発生する前のことだ。フルルたちが避難補助のために来たと考えると矛盾が生じる。
「じゃあ、本当に――ティア君を心配して、追いかけたのかもね。だからって、いきなり地下に来たの? あの子たちも無謀だなぁ……」
「あんたが言えた義理じゃないが」
カノンが肩をすくめる。
「ひとまずヴォルシスキー支部には連絡を返しておこう。それで、ティア君は」
「は、はい」
名前を呼ばれて、ティアが小さく肩を跳ねさせる。その顔色は、先ほどとはまた違う蒼白さだった。服の裾をぎゅっと握りしめた少年を見て、カノンがふっと口元を緩めて笑う。
「さっさと安全な場所に行って、この子たちに頭を下げるんだね」
「え、あの――」
「心配かけてすみませんでした、って。アルシュ、それで良いだろう」
「良いよ」
ひとつ頷いて、リュックサックを背負い直す。カノンが
「ティア君、地上に行くって約束して欲しい」
少年は喉元を震わせて、目を見開いた。
アルシュは、その肩に手を置く。
「君はね、まず第一に、生き延びなきゃダメなんだよ。死んじゃったら、過去に向き合うこともできなくなる。私は、それは絶対に、許せないって思う」
「……はい」
瞬きの拍子に、涙が頬を伝って落ちる。
それが切欠になったように、見開いた琥珀の瞳から、いくつも水滴がしたたった。固く握った手の甲で顔を拭いながら、ティアが上ずった声で言う。
「分かって、ました。分かってます……ずっと、僕は、そう思って、今まで」
「――うん」
「分かってたのに……」
肩を震わせて泣いているティアの背中を押して、コントロール・ルームから出る。外で待っていた構成員たちが「行きましょう」と普段通りの声で言って、通路の方を指さした。