chapitre45. 月夜の脱獄
文字数 8,812文字
「食品の配給が四割五分までに抑えられました。グラス・ノワールだけではなくラピス全域でとのことなので……ご理解ください」
「ご理解、って……この食事で働けってか!?」
誰かが叫んだ。いつも通り、アドミンは答えを返さずにアナウンスを切ったが、食堂にはひりついた空気が流れていた。ソレイユは伸びてきた前髪をかき上げて、配られたパンを見つめる。もはや欠片と呼んでも良いほどに小さい、乾いたパンだった。
「くそ、壁の向こうで何が起きてるんだ」
ラムが忌々しげに呟いた。
「ちゃんと流通ラインが生きていれば絶対起きない事態だ。食料の蓄えもあっただろう。どうなっているんだ?」
「ねえ。そもそも、どこの街にどのくらい食べ物を送る、って、誰が決めてんの?」
ソレイユは純粋な好奇心からラムに尋ねた。今はこんなラピスの辺境にいる彼も、元は統一機関の上層にいたのだから、一介の研修生だったソレイユよりは詳しいだろう。
「……俺も詳しくは知らないが」
ラムはそう前置きして話し出した。
「統治部に、各都市の人口組成比率から予想消費量を算出してる部門があったはずだ。食料の備蓄量や収穫量、廃棄率まで全てを数字で管理している。どんな不作でも、理論上、予想消費量の九割を切らないようになっている」
「でも現に減っている。その部門がサボってるってことかなぁ」
「親切心で教えてやるけどな」
ラムは声を潜めてソレイユに鋭い目を向けた。
「役割を怠る、役割に逆らうってのは普通の市民にとってはとんでもない禁忌だよ。お前みたいに、自分の役割に文句を言うような奴は異端中の異端なんだ」
「そりゃ、どうも」
ソレイユは視線を逸らして足を組み替えた。まだ何か言いたそうなラムを意識から遮断して、ということは、と考えを巡らす。あり得そうな説明としては、蓄えられていた食物が浸水か腐敗などで配給できなくなったとか、だろうか? でも、今年が不作だったという話は聞いたことがない。ということは備蓄にそこまで頼らなくても良いはずで、なのに実際、配給量は半分以下にまで減っているのだ。
「なんでかなぁ?」
のんきに呟いているうちにも、生活は様々な形で切り詰められていった。冬場にも関わらずほとんどお湯が使えなくなったとき、それまで肩を組んで耐えていた囚人たちもついに怒り、スピーカーの向こうにいるアドミンに寄ってたかって文句を言った。その中には聞くに堪えない罵倒もあり、それは言っては駄目だろう、と流石に止めようとしたが、怒り狂っている彼らに振り払われて終わりだった。どんなに囚人たちが文句を言ったところで、首元に懲罰用チップを埋め込まれている以上はアドミンに逆らうことはできない。絶対的に弱い立場を自覚しているからこその、行き所のない怒りだった。
だがそんな苦境においても日々、生きることを続けた。
ようやく冬は明け、春になった頃、28人いた仲間は23人に減っていた。寒さで体調を崩し、そのまま帰ってこれなかった者が多かった。亡くなった者は囚人の手で所定の場所に運び出すように指示された。仲間を亡くして悲嘆に暮れているなかで、その仲間の死体を運ばせるなんて酷い、そうソレイユは思ったが、知らない人の手で運ばれていくよりは多少気が楽なのかもしれなかった。
そんな春の日だった。
昼下がりの休憩時間に、廊下に座って話し込んでいると、あれ、と誰かが呟いた。
「何か、休み時間長くない?」
そう言われてソレイユも気づいた。普段は、休憩時間の終わりにアドミンのアナウンスが流れるのだが、今日は待てど暮らせどそれが一向に流れない。グラス・ノワール内部に時計は置かれていない。だから正確な時間は分からないが、体感時間だと明らかに遅れているような気がした。
「おーい、アドミーン?」
天井に向けて話しかけてみるが、スピーカーは答えない。
彼女のアナウンスが遅れることは、この半年間ただの一度もなかった。朝も夜も、起床命令から夕食のメニューに至るまで色々な情報と指示を、一秒の狂いもなく正確に伝えること。それが彼女の絶対的な「役割」だったはずなのに。
「アドミン、大丈夫かな?」
一番最初に考えたのはそれだった。
急な体調不良とか、貧血を起こして倒れたとか、そんな事情だったら心配だ。スピーカー越しに命じられるだけの、一方的に支配された関係とは言え、半年もグラス・ノワールで生活していると、彼女にもまたひとりの仲間として連帯感を抱くようになっていた。似たようなことを考えた囚人もいたらしく、アドミンを心配する声がぽつぽつと上がり始めた。
「外では誰も異常に気付いてないのか?」
「
「まさか……いや、そうかも?」
「考えてみればいつもアナウンスは同じ人だよな、多分」
「私たちが外に連絡した方が良いんじゃない」
「でも、どうやって?」
誰かがそう問うと、場がぴたりと黙り込んだ。
そうなのだ。
牢獄グラス・ノワールは物理的にも情報的にも、外部から完全に遮断されている。唯一の窓口だったアドミンが沈黙してしまうと、もう手の打ちようがない。
うーん、と唸って天井を仰いだソレイユの耳に、小さな呟きが届いた。
「――今なら、逃げられるんじゃないか」
その瞬間、空気が変わる音を、ソレイユは聞いた気がした。ざわり、と背中の毛が立つ。グラス・ノワールから逃げ出せる? そうだ、思い出せ、そもそも自分たちがこんな厳しい生活を強いられているのは、囚人として捕らえられているからだ。外に出さえすれば自由で豊かな世界が広がっている。
一瞬で脳を席巻した愉快で都合の良い想像を、しかしソレイユは打ち消した。
「いやいや、ダメだよ!」
周囲の雰囲気が浮き立ち始めたのを感じ、慌てて声を張る。
「アドミンひとりの目を掻い潜ったところでぼくらの身分は変わらない。軍部に報告されて終わりだ。すぐ捕まるよ」
「捕まるだけで済めば良いがな」
ラムもぼそりと呟いた。
「俺たちの首元には常に鎌がかけられていることを忘れるなよ。囚人とはいえ、人を殺めることは禁忌だが――その者が他者の命を脅かすと判断された場合に限って、禁忌は安全保持のために撤回される」
2人の発言に、その場の空気は静まり帰った。他でもない、統一機関出身の2人が言うからこそ、その警告には説得力があった。
反応は綺麗に二分された。
それもそうだ、と2人の警告を受け入れて、アドミンが戻るのを大人しく待とうと決めたグループ。そして、反対に奮起したグループ。
「どっちみち、
大声でそう言って、立ち上がった者がいた。
「食事だってこのままじゃ出ねえだろ。なら外に出て助けを呼ぶ、てのも有りじゃないか?」
「待って、ナンバー14!」
ソレイユは立ち上がった。
「早計だよ」と、囚人番号14を割り当てられている彼に呼びかけると、鬱陶しそうな顔がこちらを向いた。彼の顔にありありと浮かぶ不満と拒絶に、思わず立ち竦む。
「お前は――
「ええ? 何でそうなるの。ぼくが心配してるのは君の身だよ」
「どでかい世話だ」
彼はこちらに歯を見せつけて威嚇した。
「元研修生だか何だか知らないが、上から話すのはいい加減にしてくれ。俺は俺の意思で出て行こうとしている。何の問題がある?」
ソレイユがぐっと言葉に詰まると、彼は身を翻し、早足で集団を離れていった。つられるように何人かが立ち上がり、彼の後を追って廊下の端に向かう。半年前にソレイユが通った、外部に通じる扉を彼らが引くと、それは呆気なく開いた。おお、と歓声が上がって、勢いづいた彼らは開いた扉に雪崩れ込む。
「待ってってば!」
そのとき。
ブツッと音がして、途切れ途切れの声がスピーカーから流れ出した。いつもとは違い変声器を通していない、アドミンの肉声だ。
「こち――管理――す。急な――ル――により放送が―でした。現在は復帰を――あっ、え? 嘘……」
声は一瞬押し黙った。
そしてすぐに、血相を変えた――とスピーカー越しのソレイユにも分かるほどの切羽詰まった声で叫び始めた。
「ナンバー4、8、14から16、19、22! すぐに戻りなさい!」
「みんな戻れ!」
アドミンが言うのと同時に、ソレイユは開いた扉の向こうへ腹の底から全力で叫んだ。扉の向こうには見覚えのある小部屋があり、さらにその向こうの扉が開け放たれていた。逃げ出した彼らの姿はもう見えない。
「戻れ、戻ってよ!」
「こっちだ!」
ラムにシャツの背中を掴まれ、ソレイユは引きずられるようにバルコニーに出た。外を見渡せるバルコニーには、脱出防止のために鉄柵が設けられているが、その隙間から、逃げ出した一団の姿を見つけた。外階段を駆け下りている。いつの間にか他の囚人たちも後ろにやってきて、戻れ、と彼らに呼びかけた。
「止まりなさい!」
アドミンの絶叫と共に、彼らははじけ飛ぶように転んだ。かつてラムがされたように、懲罰として電流を流されたのだろう。何人かは階段を転げ落ち、ソレイユはその痛々しさに思わず目を覆った。
しかし、彼らは立ち上がる。
よろめく足で再び階段を降り始める。その顔は熱に浮かされたようで、もはや誰の声も届いていないのだろう、と察するに十分だった。目の前に降って湧いた、脱出のチャンスに魅了されてしまった彼らは、誰にも止められない。
グラス・ノワールにおいて、唯一絶対の支配者である、アドミンさえ。
「止まって! お願い、市街に出ないで!」
スピーカーから聞こえるアドミンの声は、もはや泣き叫んでいた。ソレイユはかつて、研修生同士の立場で彼女と言葉を交わしたことがある。他愛のない世間話だったが、気さくに微笑む顔を覚えていた。冷徹な
「やめて!」
何度目かの絶叫の直後、嘘のような静寂が訪れた。
ソレイユは目を見開いてそれを見た。
逃げ出した仲間が痙攣しながら手足を突っ張る。ひとりは柵を乗り越えて外に落ちた。残りはバタバタと重なって踊り場に倒れる。その口から黒い煙が上がった。そして、それきり二度と、指先すら動かすことはなかった。
長い沈黙の末に、スピーカーからいつもの加工された声が流れ出す。
「――皆さん、午後の労働の時間です」
柵を握りしめていた両手から力が抜け、ソレイユは地面に膝を付いた。
その日、牢獄グラス・ノワールにて停電が発生し、一時的に警備システムが麻痺した。7人の脱走者は度重なる制止にも関わらず従わなかったため、
*
物資の不足、アナウンスの不都合。
一連のあれは統一機関が滅びる前触れだったのだ、そう理解したのは半月後だった。
その情報は、足に何かを括り付けた
半年前。
統一機関幹部のなかでも重鎮に当たる人物が突然失踪したらしい。
その結果、ラピス中で大小の問題が勃発した。電力不足を皮切りに食糧の配分不均衡、情報網や物流の麻痺が相次ぎ、市民の生活に多大な影響を残した。寒さと飢えで命を落とした者は、グラス・ノワール内と同様、ラピス全域でもかなりの数を数えた。
当然、不満の声は二倍三倍と大きくなった。
――何のためにお前たちを高い塔に住まわせ、統一機関職員として特権を与えていると思っている。自分たちの生活を保障する為だろう。市民を殺して、お前たちに良心の呵責はないのか。
それに対して出された「私たち統一機関は貴方がたの生活を高水準に保つ術を失った」という趣旨の声明は、事実上、統一機関の崩壊を示していた。市民に役割を与え、その為に働いて貰う代わりに、文句のない生活を保障する。統一機関とラピスが掲げていたその前提は崩れ去った。
朝からそのニュースについて話し合っていた囚人たちは、ふと気付いて顔を見合わせた。
当然、アドミンの
だが彼女は今日に至るまで、粛々と自分の仕事を続けていた。彼女だけでなくラピス中で同様の現象が起きていた。つまり、自分の生活がもはや保証されないにも関わらず、与えられた役割に従い続けるという現象だ。
「それはそうだろうな」
ラムが呟いた。
「突然、自由にしろと言われてできるものではない」
「ふぅん、そう?」
「ラピス市民は役割に従うことで生きられる。骨の芯までその意識が染みているから、一朝一夕で行動を変えられるわけがない」
「だとしたらそれはラピスの失敗だ。自分の頭で考えられる市民を育てなかった」
「お前はそう思うだろうな」
彼は珍しく笑った。
「だが、統一機関の支配を欠いてなお、役割通りに動こうとラピス中の人間が努めることで、辛うじて秩序が保たれている。食糧配分が減っても、ゼロにはならないのは、役割を果たそうと努力する者がラピス中にいるからだ」
「……そうだね。彼らが何も考えてないと断じたのは、ぼくの間違いだ」
ソレイユが素直に頷くと、ラムは少し拍子抜けした顔をした。いつものように、ソレイユが噛みつき返すと思っていたのだろう。
それから一年半、アドミンが看守としての役割を果たし続けたので、囚人たちも代わり映えしない生活を送り続けた。生活は一貫して厳しく、酷暑と厳冬を超えるごとに仲間が減り、最終的に11人まで減った。そして3回目の冬が近づき、囚人たちの間に緊張が漂い始めたころ――
――事件が起きた。
*
ラピス中の配電系統が乗っ取られ、ラ・ロシェル上空に巨大な光の女性像が顕現した。それによって、かつて7人の仲間が脱走囚として処刑されたあの時と同じく、警備システムが麻痺した。
深夜、いち早くそれに気付いたラムは、隣の独房を訪れた。
就寝時間中は閉鎖されているはずの扉が呆気なく開いた。中で眠っていたソレイユの肩を揺すって起こす。常に一言多い、腹の立つ若造だが、判断の速さとコミュニケーション・スキルはラムにはない強みだった。脱走するなら連れて行かない手はなかった。
そのソレイユは起き上がると「逃げるなら全員でだよ」と宣言した。
「おい。いつまで警備システムが麻痺してるか分からんぞ」
ラムがそう言って止めたが、「復旧したときにぼくらのこと報告されたら、それはそれで詰みでしょ!」と言葉を残して独房を飛び出す。結局、総勢11人の仲間と共に、暗闇の廊下に踏み出した。
囚人たちの首元には、アドミンの手ひとつで自分たちを殺せるチップが埋まっている。
だがソレイユには勝算があった。
停電している限り、チップに信号を送ることはできない。たとえ配電が復帰しても、アドミンの監視外に出てしまえば問題ない。そして統一機関は機能していない。つまり、警備システムが麻痺しているうちにグラス・ノワール外に出てしまえばこちらの勝ちだ。
11人の囚人は一心不乱に管理棟内部を駆け抜け、ついにグラス・ノワールの出口が見えた。
そのとき。
確かに、すすり泣く女性の声を聞いた。
ソレイユはぴたりと立ち止まった。その声は遠く掠れているが、確かにアドミンの声だった。声の聞こえたほうに向かうと、立ち並ぶ扉のひとつが内側から叩かれている。重たそうなスライド扉だ。停電で開かなくなったのだろうか。
「アドミン、離れて!」
叫んで、廊下に置かれていた椅子を掴み、扉に叩きつけた。鈍い打撃音が響き、手が痺れる。2回、3回と繰り返すうちに扉が歪み、細く開いた隙間から身を滑らせてソレイユは部屋に入った。
満月の夜だった。
月明かりが細くさし込む部屋で、腰を抜かしたアドミンと目が合う。
頬に流れた涙がきらりと光る。毎日のように声を聞いていたが、顔を見合わせるのは実に2年ぶりだった。涼しげな目元は変わりないが、今は真っ赤になっている。彼女は泣き腫らした目でまじまじとソレイユの顔を見て、ああ、と細い声を零した。
「立てる?」
看守と囚人の立場を忘れ、ごく自然にソレイユは右手を差し出した。その手に自分の手を重ねたアドミンは、放心した顔で呟いた。
「そうか――行っちゃうのね」
彼女の言葉で、ようやく、そうか自分は脱走囚の立場だった、と思い出す。チップが使えない限り、彼女は何の脅威にもなり得ないので忘れかけていた。アドミンを助けると仲間たちに言ったとき、一様に渋い顔をされたのはそのためか、と今さら理解する。
「悪いけど。でも脱走が起きたところで、もうアドミンを咎める人もいないんでしょ?」
「そうよ」
いつもの丁寧で事務的な口調から素の口調に戻って、彼女は言った。
「看守としての役割を続けていたけど、誰に命じられた訳でもない。監視するべき貴方たちも、もう、いなくなるのか……」
「アドミンも好きな場所に行けばいいよ。役割に縛られない生き方もあると思うな」
ソレイユが言うと、彼女は「……そう」と呟いて、差し出された手に縋って立ち上がり、その勢いのまま彼に抱きついた。突然のことで、反応が遅れる。密着させられた彼女の身体に戸惑いながら、ソレイユは「大丈夫?」と問いかけた。
「お願い、仲間にして。連れて行って」
彼女の懇願を聞いた瞬間、ソレイユの背筋が強ばった。確かに体温を持った人間に抱きしめられているのに、冷たい。身体の触れ合った部分が石になってしまったような、そんな感覚がした。ソレイユの反応に気付いているのか否か、「お願い」と振り絞った声でアドミンは繰り返した。
――演技だろう。
アドミンは、ソレイユが彼女に同情するように演じているのだ。あからさまに身体を密着させたのも、ソレイユの動揺を誘うとともに、彼女自身に愛着を持たせるためだ。
ただ、彼女が行き場を求めていること、それ自体は嘘ではないと思う。アドミンもまた、ラピスの被害者だ。役割を押しつけられ、疑うことを教えられずに育てられ、そして突然手を離された。
間違いなく、彼女は可哀想だ。
だけど、それでも。
彼女を受容することは、ソレイユにはできなかった。
「ごめん」
きっぱりと言って、ソレイユは身体を引き剥がす。看守と囚人という立場の差を超えても、2人の間には高く厚い壁があった。決してその手を取ることの叶わない理由があった。突き放されたアドミンは「どうして?」と呟く。
そして、何かを理解したように笑った。
「そっか――もともと、幼馴染の女の子のためにこんな場所にいるんだもん。こんな色仕掛けみたいなこと、不快なだけだよね」
「……知ってたのか。でも別に、それは理由じゃない」
「私が女だから、その子に義理立てしてるんじゃなくて?」
「違う。ぼくの仲間には女性もいるもの」
ソレイユは首を振った。
「アドミン、貴女を連れて行けない理由は一つだけだ。貴女の手によってぼくの仲間が亡くなったからだ」
虚を突かれた顔をする彼女に、ソレイユは背を向ける。扉の隙間を抜けて、部屋の中を振り返ると、明瞭な口調で言った。
「分かってる。アドミンには
言うだけ言って立ち去ろうとしたソレイユの背中に、ぽつりと声が掛けられた。
「……この2年間、楽しかった。スピーカーの向こうから文句以外で話しかけてきたのは貴方だけだったよ。友人みたいに思ってた。私は
「――そんなことないよ。アドミンのアナウンスがなければぼくたちはもっと、ずっと孤独だった。ありがとう」
ソレイユが振り返らないままそう呟くと、ふふ、と微かに笑う声が聞こえた。
「ねえ、もう私のほんとうの名前って忘れた? 昔、最初に会ったとき、覚えてるって言ったでしょう。まだ覚えてる?」
「――覚えてる。でも、呼ばない。貴女は
忘れてなかっただけで十分、と呟く声を聞きながら、今度こそソレイユは立ち去り、仲間と合流した。
満月のその夜。
グラス・ノワールにかつて収容されていた囚人は、