chapitre152. 白い靄
文字数 8,924文字
「……誰か、いるか」
返答はない。
もう一度、今度は少し声量を上げてみるが、声は靄に吸われて、ただ拡散していった。ひとつ舌打ちをして、あらゆる方向を埋め尽くす白を見渡すと、自分の手のひらすら見えないことに気がついた。
何か前例のない事態に巻き込まれた気がする、そんな直感めいたものを抱きながら、意識を失う直前に見たものについて考える。
自分はコアルームにいた。
エリザの姿を借りたロンガと、アルシュとともに、データ転送を待ちながら話をしていた時だった。とつぜん、エリザの両目――D・フライヤの干渉の証であるという白銀色の瞳が、異様な鮮やかさとともに煌めきはじめて、その光がコアルーム中を飲み込んだ。激しい色彩が目を灼く感覚は、
ひとつ思いつくのは――
「ひとつ思いつくのは遷移性と呼ばれる、並行世界間の移動を成立させる時空間異常だが、そもそも移動先として存在しうる並行世界は、既にラ・ロシェル語圏と融合してしまったのではなかったか?」
「――誰だ」
カノンの思考を勝手に読み上げた声に、勢いよく振り向く。相変わらず白い靄が広がっているばかりで、姿は見えないが、その声色は知っている人によく似ていた。
「ロンガ……の声だが、いや、違うだろうね。あんたは誰だ」
「名前はないな。君たち人類と違って僕らはひとつしか存在しないからね……それにしても、自分たちが理解できないからって
周囲の靄が、声の方角へ吸い寄せられるように動いている。微細な点の集合はやがて嵩を持ち始め、カノンの目の前で、ゆっくりと人型を形成していった。後ろでまとめられた癖のある髪、伏し目がちな目元。カノン自身より頭ひとつ分ほど小柄な、忘れられるはずもない女性の面影は、両目の色だけが記憶と異なっていた。
景色に染められたような白銀色の瞳。
「君たちのスケールでは見えないだけでさ?」
声も姿も限りなく似ているのに、明らかに本人ではないと分かる何者かが、溜息とともに肩をすくめる。
「異常呼ばわりされるの、こっちにとっても、あんまり気分が良いものじゃないんだけどなぁ」
「……気分が悪いというのなら、俺のほうだね」
ロンガの姿だけを借りて、ぺらぺらと聞いてもいないことを話されるのは、彼女を冒涜されているようで腹立たしい。舌打ちしたいのを堪えて、カノンは冷静に保った口調で問いかける。
「あんたが何者なのか教えろ――と言いたいが、分かった。あんた、D・フライヤだろう……違うか」
「へえ……」
時空間異常をありふれた事象のように語る点、そしてこちらの心理を読んでいるらしい点から察しを付けて、一か八か問いかけると、少し驚いたように
「君はリュンヌと違って、察しがいい側の人間だね。やりやすくて助かるよ」
「何を思ってこんな場所に連れてきた?」
「ただ単に、巻き込んじゃっただけだよ。すぐ、君のあるべき場所に戻してあげる……けど、せっかく
「
雲をつかむような曖昧な物言いに、カノンは眉をひそめる。
「俺がいる場所はどこなんだ」
「あははっ――その訊き方じゃあ、君の欲しい答えはあげられないかな?」
彼女の姿を借りたD・フライヤは、片手をこちらにまっすぐ伸ばした。等間隔に広げられた指が、ぱっと折り畳まれた次の瞬間、身体を支えていた地面が溶けるように消える。完全に予想の範疇を外れた事態に、カノンは声を上げる暇すらなく、ただ生ぬるい空気のなかを落下していった。
「そうじゃなくてさぁ――どこの
落ちていくカノンを追いかけながら、D・フライヤは嫌らしく笑って、そして無数の粒子に砕け散る。ロンガを象った身体が空気に溶けていったかと思うと、周囲の白がひときわ強く光り、カノンは思わず目を細めた。自由落下の加速度と、脳を焼き尽くす明るさに、思考は秩序を失って
気がつくと、見知らぬ扉の前に立っていた。
いや、正確には知っている。ハイバネイト・シティ居住区域で使われる、片開きの扉だ。しかし、コアルームにいたはずの自分の前に、その扉が現れる理由が分からない。開けるべきか戸惑い、しばらくドアノブを見下ろしていると、向こうから扉が引かれた。
「――誰だ」
「誰!?」
悲鳴に近い声を発したのは、見知った友人だった。怯えたように身を縮めたアルシュが、恐る恐る目を開けて、あ、と気の抜けた溜息をこぼす。
「――なんだ、カノン君か」
「あんたは……本物っぽいな」
「本物?」
彼女は目を見開いて「もしかして」と呟く。
「カノン君もD・フライヤに会ったの」
「ああ……あんたもか。姿形だけはロンガに似せていたけどね」
「ロンガに……?」
アルシュは訝しげに呟いて、眉を寄せる。
「だって私が会ったのは――あ、そうか、そういうことか……会いたい人の姿を借りるってことか。
「あんたの方は違ったのか」
「違ったよ……むかつくことにね。それより、私たち、今どうなってるのかな……D・フライヤが直接干渉してきてるってこと、だよね」
「そうだろうね。俺の方では、何だか――巻き込んでしまっただけ、だの、せっかく来たんだから見ていくか、だの言っていたけど、あんた、どういう意味か分かるかい」
「いや――さっぱり」
首を傾げたアルシュが、ひっ、と細い声を上げて、蒼白な顔を引きつらせる。
「カノン君、後ろ――何かいる」
「後ろ?」
振り返ったカノンの視界は、場違いに可愛らしいパステルピンクで埋められていた。天井まで届きそうなほど背が高い、人型の機械だ。一本足の細長いシルエットから、二対の腕が伸びている。黒いアクリルに覆われた頭頂部が蛇のような動きで降りてきて、アルシュとカノンの間に割り込んだ。
「何これ……」
怯えをにじませてアルシュが呟く。
「ロボット、だよね」
「だろうけど……D・フライヤの手先にしては、何というか即物的だね」
触れようと手を伸ばすと、楕円形の頭部がくるりと回転してカノンの手を避ける。黒いアクリルの向こうで、カメラがこちらを見て赤く光った。ロボットが人型をしていることも相まって、まるで牽制されたように感じる。
「何のつもりかな」
敵対する意思こそ感じないが、かといって友好的にも見えない。どうしたものかと腕を組むと、ひとつの足音が近づいてくるのに気がついた。ハイバネイト・シティ居住区域に、やはり良く似た構造を持つ通路の向こうから、ロングヘアの女性が顔を出す。
蜂蜜色の長い髪には、嫌と言うほど見覚えがあった。
「マダム・エリザ、これは一体?」
アルシュが声を張って問いかけるが、エリザは答えない。彼女はシフォンのワンピースをゆったりと翻して、頬に指先を添えて首を傾げた。
「あら……カシス、どうかしたの」
「カシス?」
おうむ返しに呟くと、カノンの顔を逆さに覗き込んでいたピンク色の頭部が、ぐるりと首を回転させてみせる。一本足のロボットは跳ねるように移動して、エリザの方に向かいながら、四本ある腕のひとつでこちらを指さす。
「――もしかして」
いつもは掛けていなかったはずの眼鏡を押し上げて、こちらを見るエリザの目の焦点は、カノンたちより遥か背後に合っていた。
「そこに、誰かいるのかしら?」
*
「さて、誰かいる――という仮定で話すけど。これでカシスのセンサーが狂っているだけだったら、だいぶ笑いものね」
ソファに腰を下ろして、シトロンと呼ばれているらしいロボットが運んできたティーカップに口を付けながら、エリザがこちらを見る。
「ようこそ、コモン・エラへ……なんてね」
笑ってみせるエリザを横目に、なるほど、とカノンは呟く。エリザが口に出した
「
「でも……完全に見えてないわけじゃ、ないみたいだよ。あのロボットは私たちを感知できてるみたい。でも、本当にそうなら、私たちは過去に干渉してることになるね?」
「あんたの言うとおりだが……」
他に何の説明も付けられない。カノンは両手を広げて、お手上げだ――と示しながら、エリザがまた話し出すのを待った。
丸っこい焼き菓子をひとつ口に運んで、エリザが伏せた目を上げる。
「どこから話したら良いのかしら。プラリネ、いま
溜息をひとつ。
「まあ、
「――そういうことか」
昇降装置のなかでロンガと話した内容を思いだして、膝を打つ。彼女の話とエリザの言葉が、カノンの頭のなかで綺麗に繋がった。
「これが八番目の分枝か……ってことは」
気長に話している場合ではない。
カノンはすぐさま踵を返して、通路に飛び出す。呼び止める声が後ろから聞こえたが、構っている余裕など、心のどこを探しても存在しなかった。
因果に支配された第八の分枝。
ここは彼女がいる世界だ。
似たような景色の繰り返しを駆け抜けて、僅かなイレギュラーを探す。D・フライヤの気紛れが持続するうちに、早く見つけなければ――彼女が残した足跡を。触れた手の残した温度を。
交差路を通りすぎて、はたと立ち止まる。
鼻孔に刺さる血の臭い。
導かれるように視線を動かして、半ばまで開いている扉を見つけた。誰かが見つけるのを待っているように開いていた扉に、足が勝手に吸い寄せられる。ベッドとテーブルのみがある簡素な部屋で、白い枕に浮かぶ、波打った髪のひと房が見えた。
『分枝世界の私の身体は、もう――』
昇降装置のなかで、突然の激震に遮られた言葉。扉の向こうで待っていた彼女の姿を見て、嫌でもその続きが分かった。
「ちょっと、どうしたの?」
声を失って立ち尽くしたカノンの背中を、誰かが叩く。返事の代わりに、部屋の中が見えるよう、横に一歩ずれてやった。
「――何これ」
アルシュが顔を出して、掠れきった声で呟く。
血の気が失せて雪のような色を呈した肌に、閉じられた両目の丸み。記憶と寸分違いない顔立ちの下に、斜めに走った深い傷跡。抉るような創傷は明らかに心臓まで達していたが、その胸元は僅かに上下している。
「生きている……のか?」
「死んだはずなのよ」
ロボットたちを従えて部屋に入ってきたエリザが、相変わらず焦点の合っていない目でこちらを見る。まるでカノンの呟きを拾ったような言葉だが、こちらの声はエリザには聞こえていないはずだ。
「理由なんて知らないわ。でも、心臓が抉られて、壁に跳ねるくらい血が出て……生きているなんて、誰が見ても期待しないくらいに、死んだはずなの……だけど、鼓動だけは、まだ止まっていない」
赤黒い泉のような血溜まりに、エリザが躊躇なく手を差し入れる。白い指先を赤く染めて、どろりとした血を掻き出すと、そこには、滑らかな肌の流れとは似ても似つかない角柱が突き出していた。
虹色の煌めきを持つ群晶。
それが、まるで歯のように噛み合って、口を開けた傷の両壁から生えていた。
「失われた器官を補うみたいよね」
エリザが悲しげに俯いて、血が染みこんだ爪先を見つめる。
「こんな姿になっても、まだ、生きている理由。D・フライヤがリュンヌを生かしている理由。さらに言えば、この分枝世界が新しく作られた理由――私も、少しは考えてみたのよ……それでね、これは仮説だけど、この世界は
「
アルシュがごくりと唾を呑むのが聞こえた。洗面台のもとに向かいながら、エリザがこちらに語りかける。
「
エリザはそこまで言って、言葉を切る。
洗面台で手に染みこんだ血を洗う、静かな水音だけが部屋に満ちた。しばらくの間持続した沈黙を、でも、というアルシュの小さな呟きが打ち破る。
「ここって、ラピスが創都される前だから――四世紀近く昔ってことになる。運び手って言ったって、ロンガの寿命が持たない」
「いや――それは、あの子が言っていた、身体と世界の時間がズレている、という話で解決できる」
記憶を手繰りながら、カノンは話す。
「分枝世界にいた頃、体感の上ではほんの少ししか経っていないのに、時計を見ると長い時間が過ぎていたことがある――と言っていた。概算して数十倍は違う計算だった……ロンガ自身はその理由が分かっていないようだったが、彼女の寿命が持つうちに、俺たちのいるラピスと合流するため――と考えれば、納得がいく」
「……そう、なんだ」
アルシュが膝を付いて、ロンガの頬に手を伸ばした。直接触れることはできないらしく、彼女の指先は頬をすり抜ける。
「また、会えるのかな。マダム・エリザの身体じゃなくて、ロンガ自身の姿で、もう一度……」
「さあ……」
カノンは曖昧に濁して、彼女から視線を逸らした。いま語った推測が正しければ、数年は待つ必要があるにせよ、ロンガが眠るこの分枝と、七語圏の交わったラピスは、いずれ合流する。そうすれば、エリザではない生身の彼女と、ふたたび出会うことができるかもしれない。
しかし所詮は推論に過ぎない。
「期待しないでおくよ、俺は」
そう呟いて視線を斜め下に落としたとき、カノンは視界の違和感に気がついた。
アイボリーの壁紙が奇妙に滲んでいる。
目を擦って周囲を見回すと、壁だけではない。天井やベッドや床、ロンガやエリザやロボットたち、分枝世界を構成する全てが、印刷の過程を逆回しで見ているように、鮮やかな原色の粒子に分光する。
「何、これ?」
アルシュにも見えているらしく、戸惑った声が背後で言う。
ゆっくりと色が壊れていき、あらゆる物体の輪郭が曖昧になっていった。崩壊はエリザやロンガの身体にまで及び、糸玉をほどくように崩れて消えていく。全方位に飛び散っていく光の粒が、まるで銀河のようだと思ったのを最後に、意識は暗闇に落とされ、何も見えなくなった。
何も感じ取れない。
感覚の存在しない無のなかを、数秒か、あるいは数年か漂ったころ、遠くで何か音が鳴っているのに気がつく。曖昧な意識のなかに強制的に介入してくる、不快な音を手繰って、カノンは意識を取り戻した。
ブザーが鳴っている。
視界を横切るパイプ椅子をどかして、霞んだ目で周囲を見回す。ハイバネイト・シティ最下層のコアルーム、すっかり見慣れた仕事場だ。パネルの片隅に記されている時刻は8時58分――体感時間と反して、ほとんど時間は経っていなかった。
カノンにとっての現実に戻ってきたようだ。
意識を失って倒れたときに打ち付けたのか、身体の節々に嫌な痛みが残っている。身体中の巡りがどろついているように気怠いのをこらえて立ち上がる。コアルームを見回すと、作業をしていた仲間たちが残らず気を失っている、異様な光景が広がっていた。
近くで倒れていた、エリザとアルシュの様子を確かめる。意識を失っているが、呼吸や顔色におかしな点はない。パネルの前を横切って、向かいで仕事をしていたMDP構成員たちの様子も確かめるが、見たところ、全員ただ眠っているだけのようだった。
ひとまず安堵して、次に、警告音を発しているスピーカーと、
『大丈夫? 通信が切れたみたいだけど――』
「一時的な過負荷だね。復帰したら改めて連絡するから、待っててくれ」
『そう?』
とっさの嘘に、シェルは少しだけ引っ掛かる様子を見せたものの「なら良いんだ」と言い残して通信を切る。マイクを切って溜息を吐くと、背後から「流石、上手いね」と呟くのが聞こえた。
「上手いって、何がだい」
「平静を取り繕うのが」
アルシュが床に肘をついて立ち上がり、埃の付いた服を払う。
「まあ、そりゃあ、シェル君に本当のことは言えないからね。だが……起きていたんだったら、あんたからも何か言ってくれれば、信憑性が増したものを」
「ごめん、でも、いま起きたんだよ」
「あぁそう……あんた、頬、切れてるね」
おおかた倒れたときに傷つけたのだろう、アルシュの頬に赤い線が走っていた。カノンは爪先で自分の頬を引っかいて、切り傷の場所を示してみせる。ああ、と気の抜けた声を吐いて、垂れ落ちる血を指先で拭い、アルシュはぼうっとした顔でパネルを見上げた。
白く照らされて血の気の失せたように見える顔が、こちらを見ないまま呟く。
「……居たね」
「ああ、居たねぇ……」
主語こそ省略されているが、アルシュが言及したのが、分枝世界で眠る彼女の姿を指していることは疑いようもない。D・フライヤに連れられて第八分枝世界を訪れたのだと、並行世界というものが実在するのだと分かっていても、まだどこか夢を見ているような気分だった。
「だが……あんたも同じものを見たってことは、俺の幻覚じゃないってことだな」
「そうだね。D・フライヤも、第八の分枝世界も、可愛い色のロボットも、マダム・エリザも、ロンガも……ぜんぶ、見たんだね、カノン君?」
「ああ、見た。おそらくは同じものを」
「そう……」
額を抑えて、カノンは目を伏せる。
血の気の失せたロンガの頬と、胸元の血溜まりから生えた、無機質な結晶のかたち――白と赤のコントラストが、まだ脳裏に焼き付いている。記憶の残像から目を逸らすため、真白く光るパネルに向き直って、ウィンドウのひとつを眺める。
そこには、妊娠の成立を妨げる抗体の研究データを、ハイデラバードに転送し終わった旨が表示されていた。
「でも」
冷や汗を拭うような所作をして、アルシュが首を傾げる。
「最後に、世界がまるごと壊れていくような景色を見た、あれは――何だったんだろ?」
「おそらくだが、さっき……データの転送が終わった瞬間に、俺たちはあの空間に引き込まれた」
パネルに浮かんだウィンドウのひとつを指先で示して、カノンは背後に振り返る。
「マダム・エリザの話と照らし合わせて……あの子がいる、あの世界が、出生管理施設の焼失によって失われた、高度な生命工学を現代に至るまで引き継ぐために作られたのなら――その代替となる技術が広く公開された時点で、
「え……それって」
一瞬蒼白になったのを、アルシュは苦笑いでかき消してみせた。
「嫌だなぁ……つまり、あの分枝が消された、って言おうとしてる? だから私たちは、
「そうあって欲しくはない、俺だって」
「当然だよ、だって、それはっ――」
途中で言葉を切って、アルシュは口を抑えた。
物事をはっきりと言い切らないのは彼女らしくない態度だが、声に出したことが、そのまま真相になってしまうことを恐れているようにも見えた。それに、みなまで言われずとも、アルシュが何を言おうとしたのかは理解できた。
分枝世界のエリザは、第八の分枝を箱と呼んだ。
箱――という表現は抽象的だが、つまり、世界があって人間が存在するアルシュたちの世界とは逆に、ロンガという人間のために作られた空間が分枝世界である、という意味だろう。
箱の消失の意味するところは――
「それは、少し違うわ」
静かな声が割り込んで、ふたりは振り返る。操作盤にもたれて倒れていたエリザが上半身を起こして、髪をかき上げながらこちらを見た。口調や表情から、彼女の内側にある意識が、エリザ自身のものであると分かる。
「えっと……マダム・エリザですよね?」
アルシュが駆け寄って、ふらつく肩を支えた。
「ご無事ですか。さっきのは、一体……」
「ええ、ごめんなさいね。D・フライヤが、私の身体から出て行こうとして――その余波で、貴方たちも巻き込んでしまったみたい」
「出て行く、ですか?」
「そう。その理由は、いまカノンが言ったとおり、このラピスが自身の力で、滅亡を回避しつつあるから……よ。分枝の存在意義がなくなりつつあるのも、おおむね正解――あまり言いたくなかったけど」
「言いたくない、ですか?」
「だって貴方たちは、本当にラピスのことを思って、すごく頑張っているじゃない……その結果、あの子が――貴方たちの友人が消されそうになってるなんて、あんまりにも気の毒で」
「――だが」
白銀色を呈した、通常ならありえない彩りの瞳を見て、カノンは眉をひそめる。
「その目の色は、D・フライヤの干渉を示す色――では、ありませんでしたか。つまり、
「そうね……それも、正解」
「――マダム・エリザ」
エリザの手を握って、アルシュが真剣な表情で呼びかけた。
「どのみち私たちは、今更、自分たちのやり方を変えません。ラピスのためと思ってやったことで、何か不利益が及ぶとしたって、そのリスクを含めての決断を下すべきだと思います。だから――ちゃんと、最初から教えて下さい。いま、貴女とロンガに、何が起きているんですか?」