chapitre60. 許すこと
文字数 9,636文字
今晩は吹雪になる、と彼女が言えば必ずその通りになり、明日の気温はどこまで下がると言えば小数点以下一桁まで合致した。未来が見えている子供、それをかつての保護者だった人間は気味悪がり、彼女の能力を欲しがった組織にエリザが興味を示すと、これ幸いと彼女を手放した。
自らを“ハイバネイターズ”と名乗ったその組織は、当時の科学技術の最先端をかき集めて地下シェルターを作ろうとしている集団だった。寒冷化によって地球全土が冷え込み、農作物は枯れて家畜は死に絶えた。滅亡直前まで追い込まれた人類が生き残るためには、もはや全人類を救うなどという綺麗事は言っていられず、一部の選ばれた人間のみで未来へ命のバトンを繋ぐしかない。
ハイバネイト・シティ、すなわち冬眠都市。
“ハイバネイターズ”が残された希望を託したそのプロジェクトは、地下に持続可能な生存施設を作り、地上から終末が過ぎ去るその日まで、何世代でも待ち続けるというものだった。そして、未来を見通すことのできるエリザの目は、遠い未来の気候変動を予見するために何が何でも味方に付けたい能力だった。
と、いう“ハイバネイターズ”の伝承をリジェラが語ると、アックスは難しい顔になった。
「終末、とは?」
「新都ができる前から文明はあったんです、アックス。そして一度滅びた」
「しかし、では、『祖の言葉』に代表される伝承は嘘だと言うんですか」
彼の質問にロンガが補足すると、アックスはさらに難しい顔をした。混乱するのは無理もないことだが、リジェラの話を理解するためにはそこを乗り越えないと何も始まらない。
「おそらくですが、滅びた旧世界の文明をかき集めて再建されたのが現在のラピスなのでしょう、その再建を
「ありがとう、ロンガ。ええ、“
「ふむ、確かに――僕も少し不思議に思うところはありました。創都から344年、長いように思えますが、人間の平均寿命の5倍もない。これだけ完成された世界が始めからあったと考えるよりは、多少、理に適っているかもしれません」
「そう。そこを力業で解決しているのが『祖の言葉』なのね、素晴らしく完璧な祖によって、始めから完全な形で世界が生み出されたのだということにしている」
リジェラが神妙な顔で言うと、アックスは溜息をついてステンドグラスを見上げた。穏やかな横顔に、途方に暮れた表情を浮かべている。
「何だか……この世界は偽物なんだ、と言われた気分です。正直あまり信じたくない」
「別に本心から信じなくて良いのよ」
リジェラが小さく微笑む。
「何だってそう、ぜんぶ仮説だから。ただ、私も貴方も信じたいものを信じている、違うかしら?」
「ええ、勿論そうです。それでも――揺るぎない真実というものはあるはずだ」
「どうかな」
肯定も否定もせず、リジェラは微笑んだ顔を小さく傾けた。どちらの意見にもそれぞれ同意できるところと同意できないところがあるように思われて、ロンガは背もたれに肘をついて2人の会話を楽しんでいた。意見こそ違うが、2人の波長は合っているように感じられた。リジェラをコラル・ルミエールで受け入れることについて、ロンガはまだ不安を拭い切れてはいなかったが、この分なら上手くやっていけるかもしれない。
「すみません。僕がここを離れてしまうと、ちょっと……」
「ああ、じゃあ私が行きましょう」
事情を察知してロンガは顔を上げた。
既に他のコラル・ルミエール団員は奥の居住区域に戻ってしまい、教堂にいるのは3人だけだった。もしアックスがここを立ち去ると、ロンガとリジェラが2人きりになってしまう。どちらも部外者である2人を残していくのが
ありがとうございます、とアックスが申し訳なさそうに微笑む。
「鍵は開いていますので。中の団員に聞いて下さい」
一応ノックしてから、居住区域につながる扉を開ける。半分くらい開けた扉から中をのぞくと、すぐ隣に立っていた少年と至近距離で目が合い、心臓が大きく跳ねた。あやうく叫びかけた口を片手で塞ぎながら、後ろ手に扉を閉める。よく見ればその少年は見覚えのある相手だった。
「ロマン」
苦笑に口元を歪めながらロンガは彼の名前を呼ぶ。
「
「……ごめん」
ロマンはそばかすの目立つ顔を赤く染めてうつむいた。壁際に立ってアックスたちの会話を聞いていたが、中に入る勇気はなかったというところだろうか。日光で暖められていた教堂とは違い、連絡通路は吐いた息が白く濁るほど寒かった。こんな場所に立っていては体調が悪くなるだろう、と思いつつも、彼が室内に入れない理由も分かる。リジェラがここで生活すると決まった以上は、ロマンもいつか自分のしたことと向き合わなければならないだろう。しかし、こんな場所で話し込むわけにも行かない。
「まぁ、いいや。リジェラが楽譜を見たいと言うんだけど、どこにあるか教えてくれないかな」
「ああ――おぅ。こっち来てくれ」
立ち聞きに対して言及されなかったので拍子抜けしたのか、やや素っ頓狂な声を上げてからロマンは頷いた。通路の突き当たりの扉を開けて、ロンガのために抑えてくれる。礼を言って通り抜け、ロンガはコラル・ルミエールの居住区域に入った。
扉の向こうは談話室という雰囲気だった。
ソファに団員たちが座って喋ったり何かを読んだり、思い思いに時間を過ごしているが、みな少しそわそわしている雰囲気だった。何人かはMDPとの話し合いで顔を見たことがあり、ロンガと目が合うと手を振ってくれる。トランプでゲームをしているなかにルージュがいて、ロンガを見るとにやりと笑った。彼ら彼女らに手を振りながら、ロマンの後について階段室に入る。喧噪がすっかり遠ざかると、ロンガは率直に感じたことを口に出した。
「平均年齢が若いな。
見たところ、談話室にいたのは10代後半から20代前半が多いようだった。研修生もそうだが、基本的に10代の間は教育を受ける期間だと考えられているので、15歳だというロマン自身も含め、唱歌団員という「役割」に従事しているのは例外的だった。
そうだなぁ、と呟いてロマンが視線を上に向ける。
「年寄りはここ2年でほとんどがラ・ロシェルを離れてバレンシアとかに行きやがった。生活の安定を求めてだ。まあその分、奴らの分の物資がオレたちに回ってくるから別に良いけどな」
「バレンシアでの生活も別に楽じゃなかったぞ」
ロンガが呟くと、「やっぱ、そうだよなぁ?」と言ってロマンは無邪気に笑った。バレンシアは農業を営んでいるので、たしかに食糧不足には強いかもしれない。だが中央都市ラ・ロシェルから遠いのでそれ以外の物資は少なく、電気に至ってはほとんど使えなかった。
「でも、それにしたって、10代の団員が多いようだ。普通はまだ教育を受けてる歳じゃないか?」
「あー。コラル・ルミエールの選抜を受けられるのが10歳から15歳までだったから」
「あぁ、なるほど」
研修生とはシステムが違うようだ。コラル・ルミエールはラピスで最もレベルの高い
階段を登り、脇の扉を横にスライドして開ける。埃っぽく薄暗い部屋は図書館の書庫にそっくりだったが、本棚には本でなく楽譜がぎっしりと詰まっていた。ロマンが
「ほら、この辺とかどうだ。オレ、好きなんだよ」
「私には音楽は分からないが」
苦笑してロンガは差し出された楽譜を受け取る。
「でも、ありがとう。少し借りていくよ」
「どーぞ」
「……ロマン、君も来るか?」
余計なお世話かな、と思いつつもロンガは彼を誘ってみた。案の定ロマンは複雑そうな顔をして、その表情をロンガから隠すように
「こうなった以上、いつかはリジェラと話さないと駄目だろう。謝るなら早ければ早いほど良い」
「……何だよ。急に説教くせぇなぁ」
「ごめん、強制する気はないんだ。でも、ロマン、君はまだまだ恵まれてるほうだ。謝るべき相手がまだ生きていて、しかも、すごく気さくな人なんだから」
まだ15歳の不安定な少年は、自分のした失敗をよく分かっているどころか、多分周りの人間が思う以上に重たく抱え込んでしまっているのだろう。少しでも彼の手助けになればと思って、ロンガは今まで出会った人たちを心の中に思い浮かべながら、静かに言葉を選んで話した。
「相手が死んでしまって、二度と謝れないことがある」
――ティアのように。
「相手が心を閉ざしてしまって、直接謝れないことがある」
――アンクルたちのように。
「相手が手を着けられないほど怒ってしまって、謝ろうにも謝れないことがある」
――自分たち、地上ラピス市民のように。
人間は有限だ。
そして本質的に、きっと孤独なのだ。
限られた一生のなかで、誰かと一緒にいられる時間は、とてつもなく貴重な一瞬だ。なかなか手に入らない出会いと違って、別れというものはあまりにも簡単に訪れる。好きな人だろうが、好きになれない人だろうが、同じ場所で同じ時間を過ごすのは、それ自体が奇跡的だと言っていい。
ロマンとリジェラ。
地上ラピス市民と地下ラピス市民。
交わるはずのなかったふたつの人生が交錯している奇跡。
「だからできれば、リジェラと一緒にいられるうちに仲直りしてほしい」
だが、その奇跡に意味を見出すかどうかは、ロマンが自分で決めるべきことだ。「今のは私のただの希望だよ」と言い訳するように付け足し、ロンガは声の調子を明るく作り替えた。
「じゃあ、私は教堂に戻ろう。案内してくれてありがとう」
こちらに顔を向けないままのロマンに声をかけ、部屋を出て階段を降りる。談話室を横切って教堂に戻り、借りてきた楽譜を2人でのぞき込む。音楽の素養のなさはリジェラもロンガも同じくらいだ。音階やテンポ、リズムといった音楽の専門用語はアックスからすると常識以前の話だったらしく、ロンガたちが質問すると「そこからですか?」とアックスは少し呆れた顔をした。それから我に返った顔をして眉を下げる。
「あぁ――いえ、すみません。多分、そういうのはお互い様ですよね」
アックスが必要以上に申し訳なさそうな顔をするのが面白くて、ロンガとリジェラは顔を見合わせて笑った。
この楽譜に沿って歌ってみて欲しいとリジェラが頼み、「これ合唱なんで、僕だけだと無理なんですけど」と困ったように言いながらもアックスは朗々と歌い上げてみせた。少し気弱げな話し方をするのに、歌い始めるととたんに堂々とした声になり、ロンガはその変化に驚いた。ロンガには音楽の素養こそないが、彼の歌が素晴らしいのは疑うべくもなく、歌い終わって少し照れた顔をするアックスにリジェラと2人で拍手を送った。
「貴方たちの音楽が聴きたいな」
リジェラがそう言うと、アックスは顔を赤くしながらも「光栄です」と微笑んだ。
アックスがロンガの一つ年下、リジェラが一つ年上と年齢が近いこともあって話が進む。3人が時間を忘れて楽しく話し込んでいると、奥の扉がきぃと音を立てて開いた。
振り返ったリジェラが、あ、と小さく呟いた。
扉の向こうにいる少年の顔を確かめるように、リジェラが瞬きをする。彼は思いきったように板の床を蹴ってずんずん歩いてきて、驚いて固まったままのリジェラの目の前で大きく頭を下げた。
*
同日午後、MDP本部にて。
「全ての配電系統が“ハイバネイターズ”の支配下にあるということは、そこに何らかの異常を引き起こせば必ず彼らの目に止まるということです」
何度言ったか分からない説明を、アルシュは繰り返す。会議室中から二十ほどの視線が身体に突きささり、その圧力だけで気を抜けば倒れそうだった。よろめきかけた身体を立て直して、「ですから」と声を張る。
「回線に何らかのメッセージを乗せることが可能で――」
「そこまでは分かってるんですよ、マダム」
アルシュの声は、苛立ったような声で遮られた。
「問題はそこからでしょう。地底の奴らに謝るなんて無意味だと言っているんです」
「謝るのが駄目だと言ったら、他にどうするんです」
隣に座ったフルルが応戦するが、その質問は鼻で笑われた。
「たしかに回線を使う兵器の類は軒並みダメになりましたがね、まだまだ銃やら手榴弾やら、使えるものはいくらでも残っている」
「回線をまるごと乗っ取った相手に勝てると思いますか」
「なんでやる前から弱気なんだ!」
「それを言うなら、なぜ規模も分からない相手を圧倒できると思うんですか!」
「一旦ストップ。熱くならないで下さい」
アルシュは長い溜息をついた。空が暗くなりかけている。今日もまた、議論が平行線のまま終わってしまいそうだ。MDPラ・ロシェル本部の意見は真っ二つに割れていて、いずれも譲らなかった。あまり悠長に時間を割いて議論をしている余裕はないが、とりあえずで進めてしまって良いような問題ではない。
「――私が悪いのかな」
日が暮れ、すっかり闇に落ちた帰り道で、隣を歩いているフルルに思わず弱音を吐いてしまう。最近は忙しくなり、身辺の世話を頼んでいるはずの彼女と連れ立って歩くのも、ずいぶんと久しぶりに感じられた。
「そう言わないで下さい」
彼女なら否定してくれるだろう、という少し甘えた考えもあった。アルシュの予想通り、フルルは明るく笑ってくれる。
「
「まあ、それはね……」
外なので“ハイバネイターズ”に聞かれないよう、フルルは具体的な計画を口に出さなかったが、その指すところは即座に理解できた。
MDPが進めている、配電系統の回復計画のことだ。話としては単純で、バレンシアの火災で有線放送が“ハイバネイターズ”に侵されなかったことから着想を得て、完全に閉じた有線の連絡網をラピス全土で作ろうという話が持ち上がっている。フィラデルフィアの火力発電所自体はまだ生きているので、配電系統を引き直し、
「上手く行ったら、良いなぁ」
アルシュは呟いて、分厚い雲に覆われた夜空を見上げた。ランタンの照らす空間に、雪の欠片が落ちてくる。きっと幻想的な光景なのだが、とても楽しむ余裕はなかった。今夜もひどく冷え込みそうだな、という溜息の種になるだけだ。
そのとき、何か音を聞いた気がした。
「ん?」
アルシュが何気なく振り向くと、その瞬間ランタンの光が消えた。続いて、足が地面と触れている感覚が消える。遅れて胴体に衝撃を感じ、何かに突き飛ばされたのだ、と感じる暇もなく、光のない空間に落ちていく。上下が何度も入れ替わり、一面が曇り空のはずなのに星が見える。
どこかで意識を失った。
*
アルシュが“ハイバネイターズ”と見られる何者かに襲撃された。
どこかで見かけた顔の、MDP構成員の少年が真っ青な顔でそれを伝えに来た。その
肩で息をしながら古い学舎に飛び込むと、泣き腫らした顔のフルルが廊下の椅子で待っていた。彼女も片腕を吊っていて、首筋に湿布を貼っていた。
「大丈夫?」
リヤンが慌ててすがりつき、フルルに尋ねると、彼女は返事の代わりに両眼から涙をこぼした。
「フルル、平気か。アルシュは?」
「お、奥の部屋ですけど、今は入らないようにって……」
「一体何があったんだ」
「分かりません。分からないんです!」
フルルは鋭く叫んで首を振った。首を痛めているから安静に、と医療従事者らしい年配の男性が言う。ロンガとリヤンは彼女の両脇に座って、激しく震えているフルルの手を握った。
「わ、私がいたのに。こういう時のために一緒にいたのに、なんでっ。役立たず!」
「違う、違うよぉ……フルル」
自分自身もぼろぼろと泣きながら、リヤンがフルルを抱きしめた。それ以上何も言葉にすることができず、フルルは真っ赤な顔をぐちゃぐちゃに歪め、リヤンの腕の中で声を上げて泣き続けた。
「……その、大丈夫なんですか。アルシュは」
抱き合って泣く2人を横目に見て、自分でもいやに冷静だと思いながら、ロンガは近くにいた医療従事者に小声で問いかけた。なんだか、身体の中に心臓がある気がしなかった。鼓動の音が聞こえてこないのだ。
問いかけられた男は眉をひそめて「おそらくは」と曖昧な返事をした。骨折や打撲だけなら大抵命に支障はないが、襲われたときに階段を転げ落ちたので、頭を強く打っているらしい。
おそらく大丈夫、ということは、もしかしたら大丈夫ではないかも知れないということだ。アルシュがもし死んでしまったら、どうしよう。想像すらできない。暗闇に凍りついた心臓が飲み込まれて、ロンガは糸の切れた人形のようにふらふらと椅子に座り込んだ。
*
幸いなことに数日後の朝、アルシュの意識は戻ったが、当分は予断を許さない状況だと言われた。報せを受けたロンガが、彼女の病室として割り当てられたMDP本部の部屋に駆け込むと、全身包帯やら湿布だらけのアルシュがベッドに寝ていて、あはは、と力なく笑ってみせた。それで強ばっていた身体中の筋肉から力が抜けて、はぁ、と溜息と共にロンガは床に膝を付いた。
ベッドから苦笑が聞こえる。
「えぇ? ちょっと過剰反応じゃないかなぁ……」
「これでも心配した。それこそ死ぬほど心配したんだ、過剰だというなら私の心労を返してくれ」
「ごめん、ごめんってば。心配かけたよ」
ロンガは重たい身体を引きずってパイプ椅子を開き、アルシュの枕元に腰掛ける。ずいぶん痛々しい容態だが、頭部の打撲以外は時間が経てば確実に治るだろうという話だった。頭部の怪我も見たところ異常はないが、その裏で脳出血をしていることもあるらしく、非常事態に備えて医師が常駐するよう手配したらしい。
彼女が意識を失っていた数日間の話をしていると、不意にアルシュが「そういえば」と言ってロンガの顔を見た。
「髪、
「着の身着のまま来たからな。一応右眼だけは隠したが」
「ふふ、急いで来てくれてありがとう。ねえ、久しぶりにロンガの髪を編んでも良い? 研修生だった頃みたいにさ」
「え? 手は平気なのか」
「大丈夫、大丈夫」
特に断る理由もなく、ロンガはアルシュに背を向けて髪を編んでもらった。ベッドに寝ている彼女が編みやすいように、椅子をどけて地面に膝を付く。アルシュの細い指が髪束を掬って、ひとつひとつ編み目を作っていく。誰かが自分の髪を触っている、どこかくすぐったい感触がひどく懐かしい。アルシュが助かって良かった、という単純な思いが胸にこみ上げて、鼻の奥がつんとした。
「はい、できた――あれ、泣いてる?」
「泣いてない。ありがとう」
はいはい、と子供をあやすような口調で言われる。“ハイバネイターズ”に襲撃されたばかりだというのに、アルシュはずいぶん落ち着いているようだった。多忙に追われていた最近の彼女より穏やかな気さえする、とロンガが冗談めかして言うと「久々にゆっくり眠れたからかもね」と穏やかでない冗談で返された。
数分後、血相を変えたフルルが飛び込んできて、ロンガと同じように部屋の入り口で崩れ落ち、ロンガと同じようにアルシュに苦笑されていた。自分の再現を見ているようでどこか気恥ずかしい。
フルルがロンガと違ったのは、彼女が取り繕う気もなく大泣きしていた点だった。顔を真っ赤にして泣きじゃくり「許せないんです」と嗚咽のすき間で呟いた。
「貴女を守れなかった自分も、貴女を襲った“ハイバネイターズ”もぜんぶ許せないです。せめて、貴女が助かって、そこは本当に良かった。このまま死んじゃってたら、それこそ私――」
「駄目だよ、フルル。怒っても良いけど、それで物事を見失うのは駄目。怒って拳を振り回すのは、絶対にしないで」
「む、無理です。できません」
「フルル」
少し厳しい口調でアルシュは言った。
「今回ので分かったよ。私はもしかしたら本当に殺されるかもしれない。でもその時に、私の意志より貴女の怒りを優先しないで欲しいんだ――それは、出過ぎた望みかな?」
「で、でも! 貴女に危害を加えた相手を許すなんて」
「許さなくて良い」
アルシュはきっぱりと言った。首を振る代わりに、強い視線でフルルを見据える。
「怒りに振り回されないで、と言っているだけ。私だって、
アルシュがその頬に手を差し伸べると、フルルはその手を握りしめ、押し殺すように涙を流し続けた。
*
「……ロマン、貴方が私を殴った理由は分かるよ」
まだ腫れの残る頬で、少し不自由そうにリジェラは話した。
「私たちは地上ラピスにとんでもないことをしたし、きっとこれからもする。それを許して、だなんて言えない。でも、貴方が私たちへの怒りを打ち消せないのと同じように、私、まだ貴方を許せないし、貴方が怖い。少しだけ、だけど」
リジェラは小さく目を伏せる。表情や口調は冷静に取り繕っているが、彼女の膝は小さく震えていた。ロマンは深く頭を下げたまま、彼女の話を聞いていた。時折、袖で顔を拭い、鼻を啜った。
「でも、だからね」
心なしか明るい声で、リジェラが言った。
――貴方といつか、友達になれたらって思うんだ。
VI この手に太陽を 了